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「おい泣いている暇はないぞ。ここからは君だけで行くんだからな。そうだ、まだ名前を聞いていなかった。最後に名前を教えてくれないか」
「ノエルだ。クリスマスの季節に生まれたから母親にそう名付けられた」
「そうか。僕はエヴァレットだ」
やっと少年の名前が聞けた。にじませた涙が落ちないように目を閉じて、かすかな喜びを溜息に込める。眠らしたまぶたはもう力んでも開きそうになかった。
目の前がまた『暗闇』に包まれる。でもそれはすでに恐怖を感じさせるものではなくなっていた。
「ノエル……ノエルか。いい名前だな。よしノエルよ、一度しか言わないからよく聞いてくれ。もう喋るのも疲れてしまった」
最後の熱意を体中から押し出して彼に伝える。伝えなくてはならない。
「ここから北東方面に十数キロ走れば小さな村がある。そこの牧場にロードリックという若い羊飼いがいる。そいつは僕の旧友だからよくやってくれるはずだ。僕の胸元にあるバッチをとって差し出せばいい。使い古した方位磁針も胸ポケットにある」
「でもそうしたらエヴァレットは――」
ノエルの震えた声が鼓膜の奥に響いてやるせない気持ちになる。一緒にいてあげたいのは山々だが、この瞬間もこれからもノエルだけの人生だ。
ためらいを振り切って命令する。
「僕のことはいい。はやくバッチと方位磁針をとるんだ」
「エヴァレット……」
「はやくしろ!」
ようやく胸の辺りに指の柔らかさを感じて、針がとれる乾いた音とポケットをまさぐる布越しの感触があった。
よくやってくれた。ノエルの前途にひとまず安堵の息をもらす。
「ノエル、あとはもう走るだけだ。君が僕の代わりにロードリックに会ってくれ。彼によろしくな」
「わかったよ」
ノエルの張りがある力強い肉声が聞こえる。どうやら吹っ切れたようだ。
「もしロードリックに名を尋ねられたら、ノエル・エヴァレットと名乗るよ」
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