ありがとう

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 その後、さらにとなりの504号の住人…まあ、A君と同じくらいのサラリーマンなんですが、その人を訪ねて訊いてみたんですけどね、彼もやっぱり「503号? ……いや、ずっと空き部屋だと思うけど?」と訝しげに首を傾げて答えるんです。  それでも信じられないA君だったんですが、そうこうしていると、あの501号に住んでいる薄気味の悪い女が、ちょうど部屋から出てきてバッタリ出くわしたんですね。  相変わらず黙ってジロっと睨みつけてくる女でしたが、もうそれどころじゃないですからね。 「あ、あのう……」  と、思わず彼女にも503号のことを確かめてみようと、気づけば声をかけていたんですね。  すると、いつもは無口な彼女でしたが、どうやら彼の様子がおかしいことに気づいたらしく、こんなにしっかり話すのはほんとに初めてだったんですが、こう、尋ねる前から答えてくれたんでね。 「やっぱり、何かあったんですね……じつはあたし、普通に幽霊が見える体質なんですけど、あなたがあの女の霊と人間みたいに接していたんで心配してたんですよ」  彼女の言うにはですね、彼が睨まれていると思い込んでいたのは、逆に心配して見守っていただけだったようなんですね。突然、こんなこと言うと変に思われるかもしれないと、心配しつつも声をかけられずにいたそうです。 「あの女の霊、いつもここの住人達に声をかけてるんですが、みんな見えないから反応しないんです。あたしもつきまとわれたくないから、あえて無視してますし……でも、あなただけはどうやら見えるみたいですね。あんまり関わらない方がいいですよ? 取り憑いて道連れにしようとしますから」  501号に住んでいる女性は、彼のことをほんとに心配してくれている様子で、そうつけ加えました。  彼女の話に驚きながらも、その時ですね、A君はあることをはっきり思い出したんです。  ああ、そうだ……あのストッキングを履いたすらっとした脚、どこかで見たことあると思ったら、あの美人さんの脚だ……と。  瞬間、先程、不動産屋と話していた時以上にゾクゾクと血の気の引いていくのを覚えたA君は、そのままそこのマンションを出て、しばらくホテル暮らしを続けた後に急いで引っ越したそうです。  A君、最後にこう言っていたんですがね。  後から思うに、あの女の脚が「ありがとう……ありがとう……」ってずっと繰り返していたのは、彼女のことが見えない住人達がみんな無視する中、彼だけが親しげに言葉を交わしてあげていたことがうれしかったからなんじゃないかと。                       (ありがとう 了)
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