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 ただね、A君、そのストッキングを履いたすらっとした脚に、なんとなく見憶えがあるような気がしていたんだそうです。  でも、それをどこで見たのかまでは、はっきり思い出すことができない。明確にあれだ! とその答えはわからないまま、何か引っかかるようなものを感じるだけなんですね。  そうしてA君は悶々とした心持ちのまま、夜毎、その女の脚に悩まされて夜もおちおち眠れなくなってしまいました。  また、一方、普段の生活においても、右どなりの503号室の美人さんとは、「あ、こんにちは。今日はいい天気ですね」、「こんにちは。ほんと気分のいい陽気ですねえ」と親しげに挨拶を交わして、彼にとっては安らぎのひと時となっていたんですが、対して左どなりの501号室の女はというと、相変わらずこちらをじっと無言で睨んできたりして、どうにも薄気味悪くて仕方ないんですね。  そんなご近所さんとの問題もあって、いい加減、我慢も限界に達したA君は、そのマンションを紹介してくれた不動産屋に電話をかけて、ある疑念を確かめてみることにしました。  こういう場合、一番に考えられる原因はやっぱり事故物件ですよね? もしかしたらルール違反にも黙っていたのかもしれないし、たとえ事故物件でも、間に一人以上借家人を挟めば、告知の義務はなくなりますからね。そんな合法ではあるんだけれど、消極的に卑怯な商売をしているのかもしれない。 「あの、この部屋ってもしかして事故物件じゃないんですか?」  A君は、少々語気を強めて不動産屋をそう問い詰めました。  でも、予想外にも不動産屋は、「いえ、Aさんの借りている502号室はぜんぜんそんなことありませんよ」って、けろっとした声できっぱりとそう答えるんです。  もっと動揺するだとか、はぐらかすだとかするんじゃないかと思っていたものですから、A群は拍子抜けといいましょうか、なんだか肩透かしを食らったかのように、「あ、ああ、そうですか……」と、バツが悪くて生返事しかできなかったようです。  でもね、そのわずかの後に、あれ? と思い直したんですね。  今、確か〝502号室()…〟って言ったよな? じゃあ、他の部屋なら何かあったってことなのか?  そこに考えの至ったA君は、改めて不動産屋に尋ねました。
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