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「そしてこれが、発見直後の棚橋氏です。座席とハンドルの間に挟まり救助が困難でしたので、ハンドルを切断して引き上げました。この時点で呼吸と脈拍は確認できましたが、呼びかけに反応は無く、頭部から大量の出血が見られました――」
着衣の胸元に刺繍糸で『須賀』と書かれている男性は、渓谷にある現場の状況に加え、棚橋の容態についても簡潔に語っていく。
運転席に挟まっている血塗れの姿も、シートに包まれ担架で搬送されている姿も、目にするどれもこれもが痛々しい。
凄まじい勢いでハンドルが腹部を圧迫した事実から想像するに、肝臓損傷によって腹腔内で大量出血を起こしている可能性が高い。
脳挫傷と出血性ショックに伴う意識障害か……。現在は緊急オペ中だと聞いているが、想定していた以上にかなり厳しい容態だろう。
「この茶色いシミのようなものは何だ」
莉緒が一枚の光景に目を止めて、指をさした。それは、担架から救急車専用のストレッチャーに乗せ換えられた直後の映像だ。
救急隊員がシーツを捲り上げ、棚橋の左腕に触れている。血圧計や酸素飽和濃度測定器など、精密機械を取りつけている最中と思われる。
莉緒の指先が触れているのは、棚橋が着ているシャツの袖口。随所に血液と泥のような汚れが付いているが、おそらく白っぽい生地に薄水色のストライプが入った、カジュアルなシャツだろう。
「茶色いシミって、泥がこびり付いてるんじゃないですか?」
前のめりになった俺は顔を近づけ、彼女が示すそれを凝視する。
「違う。明らかにこの一部分だけ色濃く生地に浸透している。泥でも砂でもなく、何かの液体だ」
俺の意見など歯牙にもかけず、目を細めた彼女は断言した。そのやり取りを聴いていた鑑識官は、一呼吸を置いた後に口を開いた。
「そのシミは珈琲だと思います」
「珈琲?」
「車内にブラック珈琲のペットボトルが転がっており、シートやマットに珈琲と思われる液体が付着していました。唾液のDNA鑑定をしなければ明確なことは申し上げられませんが、おそらく、棚橋が口にしていたものではないかと」
「その珈琲のペットボトル以外に、別のペットボトル等は落ちていなかったか?飲料水や食料品の空き袋など。美咲が同乗していたことを証明する、物的証拠となる物なら何でもいい」
デジカメから目を離した莉緒は、下り坂が始まる頂点を仰いで意味深な言葉を紡いだ。すると突然、それまで大人しくしていたルウがリュックの隙間から飛び出した。
捜査員たちの間を潜り抜けてたどり着いた先は、道路と危険地帯を隔てるガードレール。軽々とジャンプをした黒猫は、絶妙なバランスをとって谷底を見下ろしている。
猫は好奇心旺盛な動物だと聞く。リュックから顔を出しているだけでは飽き足らず、散策をしたくなったのだろうか。
それはそうと――、
「美咲が同乗していた証拠って、どういう意味ですか?彼女が棚橋と行動を共にしていたことは、道路に設置されたNシステムで確認されたんですよ」
お気楽な猫から莉緒の背中へと視線を移した俺は、疑問を口にして小首を傾げた。
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