八章

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八章

 四十を過ぎると身体が思うように動かなくなる。入社当時のようにバリバリと動いて活躍は出来ないけれど、代わりに仕事の要領というものを覚えた。  更に言えば性格も丸くなった気がする。いつの間にか増えた後輩達も随分と懐いてくれている。経験というものは人を成長させるというのは本当のことらしい。 「伊沢さん! 今日のシゲさんの送別会、居酒屋予約しときました!」 「サプライズもバッチリっす!」 「おー、サンキューな。幹事も大変だろ」 「そんなことないですよ。伊沢さんが事前に店をピックアップしてくれてたんで! そのお陰で助かりました」  自慢じゃないがここら辺一帯の居酒屋や立ち飲み屋にも随分と詳しくなった。成人したてで飲みたがりの青年に付き合わされたせいだ。 「事前に飲みに行ったりしたんすけど、どこも穴場って感じですごいよかったです」 「今度、新しい店見つけたら飲み連れてって下さいよー」 「考えとくわ」  本当なら可愛い後輩達を引き連れて色々なところを巡りたいのだが、他の誰かを一番最初に連れていくとどっかの誰かさんが拗ねてしまうだろうから止めておく。今日も一次会で帰らないとドヤされそうだ。  尊との関係は思わぬ形で再び繋がった。  寿を訪ねに来て再会したあの日、誠の前で今までの石蕗との関係を全て正直に尊の口か話したのだ。それによって石蕗は教職を辞すこととなり妻子とも別れたらしい。その後、石蕗がどのような末路を辿ったかは寿は分からない。寿は知ろうとも思わなかった。 「もう一度使用人に戻る気はないか?」  寿が尊の考えを尊重して黙り抜いたのを知った誠はもう一度寿を使用人として側にいる気はないかと問いかけてくる。しかし寿の気持ちはもう決まっていた。 「俺は今の場所で働けるだけで満足です。この場所を与えてくれたことに心から感謝してます。だから……本当に申し訳ないんですが戻ることは、出来ません」 「……君には本当にすまないことをした」 「俺も兄貴との一件を言わなかったことが正解か、不正解って言われたら正直わかりません」 「親としては君の兄がやったことは本当に許せない。だが……君は尊のことを思って黙っていてくれたんだろう? それだけ尊のことを大事に思ってくれる人間に今後も尊を任せたい」  わがままかもしれないが、そう付け加えられて深々とお辞儀をされる。だが、自分の心の中に尊のことが心の中にある以上。側にいることは許されない。 「もういいよ、パパ」  誠の言葉を遮る様に尊は口にした。あれだけ寿を求める様な言葉を口にしていたのに。一体どういう心境の変化だろうか。 「尊……お前は一体どうしたいんだ?」 「寿と一緒にいたい。でもその為には僕も大人にならなくちゃいけないんだ」 「大人じゃなくても世話役としてならいくらでも一緒にいれるだろう」 「もー! パパは分かってないなぁ!」  仮にも宝来ホールディングスという大企業の長に向かってとんでもない口を利くものだ。もし寿が尊と同じ立場であったら親子であっても誠に生意気な態度を取るのは憚られる。 「僕が大人になったら寿ともっと近い距離でずっと一緒にいられるの。パパと武じいとはまた違うけど。僕は大人になる! で、大人になってパパの跡を継いだら寿を武じいみたいに秘書と使用人……それからこいび……むぐっ!」 「あれっすね! もう遅いんで! 武内さんに連絡入れときます! 坊ちゃん……明日も学校だろうから!」  親の前で〝恋人になりたい〟なんて発言されたらそれこそもう二度と会えなくなってしまうだろう。やましいことはしてないが、想いを抱いているのは事実。誠くらいに勘のいい人間であれば容易に勘づいてしまいそうで怖い。慌てて尊の口を押さえた。 「悪いな、伊沢。武内への連絡を頼む。あと、それから……よほどお前に懐いている様だから嫌でなければ時折尊に会ってやってもらえないだろうか?」 「だ、大丈夫っすけど……いいんすか?」 「与えていたことを忠実にこなすだけだった尊が自ら夢を語ったんだ。それがただ嬉しくてね。伊沢といると尊は活動的になる」  やんちゃの間違いではないだろうか? という疑問は口に出さないでおく。 「伊沢……君と出会って、尊は変わった。恥ずかしながら私は仕事もあるから父親としての責務を果たしているとは言い難い。だからこそ、君に世話になりたいんだ」  自分に誰かを変える力があるかと思うと不思議な気持ちになる。今まで逃げてばかりの人生だった。今回も一人だったら逃げ惑って変わらぬ人生を送っていただろう。そんな寿を変えてくれたのは他の誰でもない尊。立ち向かう勇気と大事さを教えてくれた人。 「まぁ、坊ちゃんの勉強の邪魔にならない程度なら……」 「いいの? 本当に?」 「ただし私の跡継ぎとなると今以上の努力が必要になってくる。それは覚悟の上だね?」 「もちろん!」  思い切り胸を張って自信満々に言ってみせる。 「僕だって生半可な気持ちで寿を探しにきたわけじゃないんだよ!」  あれからもう十年近く。  寿自身、このような自分のどこに執着するポイントがあるのか全くわからない。だが、一ヶ月に一回の逢瀬に心をときめかせている自分がいる。  一度だけ聞いたことがある。 「俺は、兄貴の……石蕗の代わりにはなれねえぞ」  そもそも寿を闇オークションで買った理由が寿を石蕗に重ねて、という理由であった。もし今も石蕗の面影を追い求めているのだとしたら。考えるだけでこめかみの辺りがずっしりと重くなったのを覚えている。 「馬鹿だなぁ、寿は」 「馬鹿とはなんだ。馬鹿とは」 「じゃあ心配性?」 「そりゃあ、心配するだろ。惚れてんだから」  自分で口走ってから急に恥ずかしくなる。一方の尊もまさかのカウンターに口を真っ赤にしてパクパクと魚のように口を開閉している。 「で、どうなんだよ。実際のところは」  わざとらしく不機嫌な顔を作って問いただす。すると尊はうつむきながらもじもじと何かを言いたげにしている。  頬を両手で掴んで顔を上げさせた。すると観念したようで目を逸らしながらも、はっきりと口にした。 「寿だからだよ! 寿だから好きになったの! じゃなきゃ今、こんなに頑張ってるわけないだろ!」  高校生になってから少しシュッとしたフェイスライン。包んだ頬が真っ赤で、少し熱い。
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