三章

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 最初はいつものわがままかと思った。しかし声色や表情を見ているといつもの冗談とは思えない。一体何があったのだろうか。車に乗ってすぐくらいは元気そうだったのに。 「尊、体調悪いのか?」  少し考えた後に首を横に振った。体調の問題ではないのなら一体どうしたというのだろうか。 「寿と一緒に居たい」 「俺は学校まで送ることは出来ても中には入れねえよ」 「分かってるけど……」  膝の上で爪をいじりながら、こちらを伺うような目で見てくる。出来ることなら尊の願いは全て叶えてやりたいが、こればかりは譲歩してはいけない。学生の本分は勉学であり、寿はそれをサポートする為に買われたようなものだからだ。 「本当に体調が悪いんだったら今日は休みにしてもらう。無理はすんな。でもズルで休ませる訳にはいかねえよ」 「うん」 「……行けそうか?」  尊は何も言葉を発さずにコクリと頷いた。違和感を拭うことが出来なかったがこれ以上ゆっくりしていると、本当に遅刻してしまう。後ろ髪を引かれるような思いでアクセルを踏んだ。正門に着いても尊は一言も喋らない。 「尊、まじで行かないと遅刻するぞ」 「うん、今行く」  寿が促してようやくドアノブに手をかけた。しばらく俯いていたが意を決したように校門を見据え真っ直ぐに歩いていく。寿はその背中に幼少期、ピアノのレッスンに行くを嫌がっていた自分を無意識に重ねてしまう。 (尊くらいしっかりしていても、やっぱり学校はダルいのか……)  あれだけ勉強も頑張って、周りの大人のことを素直に従う〝いい子の見本〟のような尊。そんな彼にとって学校は退屈なところなのかもしれない。武内には言えなかった分、心を開いている寿には甘えが出てしまうのか。  一瞬、尊が振り返り寿を見つめた。  目と目があったと思ったら再び校門の方に目線を戻し、淀みない足取りで校舎へ向かっていく。寿はいつまでもその背中を見つめていた。というよりも動くことが出来なかったのだ。  尊の目が寿に助けを求めていた気がした。  校舎までの道。左右には立派な木々が生徒達を迎え入れるように葉を茂らせている。風で揺れるさまはまるで手招きをしているよう。  しかし寿の目にはそれが不穏な風景に見えて仕方がなかった。尊の背中を追いかけたくなる。衝動を必死に抑えながら寿はただ立ち尽くしていた。 「あ、お疲れ様です。実は坊ちゃんの調子が悪そうで……いや、先ほど登校されたんですが。ご報告を。え、待機っすか? 分かりました。昼過ぎまでっすね。はい、何かあったらまた連絡します」  尊の様子を武内に報告する。学校に行きたがらない、というのを〝体調が悪そうだ〟という感じでやんわりと伏せる。学校近辺で待機するように指示を受けた。 「普段は元気に登校してた、か」  武内の前では学校に行きたがらない素振りを見せたことはないようだった。だとしたら何故、寿にだけそのようなことを口にしたのだろう。 「俺もどっちかと言うと学校サボってた方だしな……気持ちも分からんではないが」  学校近くのコンビニ、店の影で一人、煙草を喫む。使用人に与えられる小遣いで真っ先に買ったセブンスター。借金をしてからも煙草だけはやめられなかった。煙草を吸っているといつもより冴えた思考回路で物事を考えられる気がする。  別に学校に行きたくない気持ちを否定するわけではない。  ただ自分が尊の立場であったらそんな考え、思いつきもしないと思う。学校の宿題や予習復習も含めて勉強だってあんなに懸命に取り組んでいるし、確実に優等生の部類に入る尊が学校で嫌な思いをするとは考えにくい。 「俺の時は兄貴がいたもんなー……」  寿は尊とは違って学校をサボりがちのいわゆる不良と呼ばれる部類の生徒だった。おまけにこの強面というのもあって生活指導の教師からも目の敵にされていた。  一つ年上の兄がとにかく出来が良く、ピアノの腕前はもちろんのこと勉強や運動も優等生と言って良いレベル。比べられてばかりでとにかく嫌だった。今思えばあの頃から逃げ癖がついたのかもしれない。心の中に「俺はダメだから」と自分自身でレッテルを貼って逃げ回っていた。  教師達は「何故、学校に来ないのか」と、両親は「何故、兄のように出来ないのか」と寿を責めた。兄のように出来ない自分が情けないから、なんて言えるはずもなく大人に楯突く日々。大人が勝手に決めつけてくるせいで本音も言えず── 「……なんか言えないことでもあんのか?」  フゥッと息を吐くと紫煙が緩やかに立ち上り青空に消えていく。こんな晴れた空なのにイマイチすっきりとしないのは去り際の尊の眼差しがどうしても忘れられないから。  あの眼差しの奥に言えない本音があったとしたら。かつて兄へのコンプレックスをひた隠しにしていた寿のように。 「……ぐるっと学校でも回ってみようかね」  携帯灰皿に吸いかけのタバコを押し付けるとキーを捻りエンジンをかける。高級車に慣れたわけではないけれど、緊張を塗りつぶすように尊のことで頭がいっぱいになっていたのでスムーズに車を発進させることが出来た。  確か尊は昼前に体育の授業があったと言っていた。部屋にあった時間割にもそう書いてあった気がする。運が良ければグラウンドで尊を見つけられるかもしれない。  いや、運など関係なく絶対に尊を見つける自信がある。  だって寿は、尊だけの使用人だから。
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