三章

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 学校の正門からはグラウンドがよく見えないので裏門の少し離れたところに車を止めた。この学校は至る所に緑があって非常に静かだ。グラウンドの方から聞こえてくる生徒達の声。尊のクラスだろうか? 必死に目を凝らして姿を探す。  どうやら生徒達は長距離走をしているらしい。気怠そうに走る生徒達。 「おっ、尊だ」  少し後方辺りで尊が懸命に走っている姿を見つけた。遠目からでも辛そうな表情がよく見える。人よりも視力がいいのが今ここで役立つとは、人生わからないものである。 「運動は苦手なのかな」  もしかしたら持久走が嫌で学校に行きたがらなかったのかもしれない。認めることは出来ないがそれくらいの理由なら寿も安心できる。  ゼエゼエと息を切らしながらも諦めず懸命に走る尊を、寿は心の中で応援した。気怠そうに走る生徒の中でも手を抜くことはせず、前だけを見据えて懸命に走る。尊の何に対しても全力で取り組む姿には尊敬の念すら覚える。  ワガママで聞かん坊な部分も含めて尊が好きだ。だがそれはあくまでも主人に対する敬愛であり、決して性愛のような醜い感情ではない。何事からも逃げていた寿が逃げずに尽くしたいと思った初めての相手。 「尊、気張れよ……」  周りからみたら不審者に見えてしまうかもしれない。ただでさえ人相が悪い寿が食い入るように体育中の生徒を見つめていたら気味が悪いだろう。しかし、目を離さずにはいられない。自分の主人がこんなにも頑張っているのだから。  尊の背後からやけに速いスピードで走ってくる生徒が現れた。小柄な尊に比べたら随分とガッチリしたガタイの生徒である。運動部の生徒だろうか。  尊は平日は全て家庭教師の授業を入れているから、部活には入っていない。普段から運動の習慣がある生徒に比べたら体力に差が出てきてしまうのだろう。  あっという間に追い抜かされそうになる。寿の応援も虚しく、追い抜かされてしまった。しかし追い抜かす瞬間にとんでもないことが起こったのだ。 「あっ!」  尊を追い抜かす瞬間、生徒が尊のふくらはぎを思い切り蹴り上げた。突然の衝撃に尊が転ぶ。後方から走る生徒は倒れた尊など最初から見えていないかのように素通りしていく。 「あの野郎……!」  普段、それほど気が短いタイプでもない寿だがこればかりは一気に頭に血が上った。  しかし尊はすぐに立ち上がる。そして何事もなかったかのように再び走り出した。足を引きずっているのが少し気になったが、尊は表情を歪めることもなく淡々とグラウンドを走り続けている。 「寿! 聞いて聞いて!」  放課後、正門まで迎えに行くと尊が車に向かって一目散に走ってきた。後部座席に乗るのをやはり嫌がるので、今日だけ特別だぞ、と助手席に乗せてやる。  尊はいつもと同じ調子で上機嫌であった。寿がいるから調子もいいのだろうか。偶然に目撃してしまった尊の体育の授業中の姿とつい比べてしまう。 「今日ね、小テスト満点だった!」 「そ、そっか」 「今日も家庭教師の先生がいらっしゃるけど……終わったら一緒に宿題やってくれる?」 「もちろん、隣にいるだけしか出来ねえけど」 「それだけでいいよ! 寿がいるだけで嬉しい」  それは好きなやつに似ているから? 咄嗟に口から出てきそうになった言葉を慌てて飲み込む。今は尊を悲しませるようなことを口にしたくない。 「あのさ、尊」 「なぁに?」 「学校では、普段クラスメイトどんな遊びとかしてるんだ?」  体育の一件を見て真っ先に頭に浮かんだのは〝イジメ〟と言う言葉であった。寿は学生時代から何故か怖がられていたので特に被害に遭うことはなかったが、尊は小柄だし場合によってはいじめっ子達のターゲットになりかねない。  それとなく学校の話題を振ってみる。尊くらい利発な子であれば友人も多いはず。しかし尊の反応は暗い。 「……休み時間は次の授業の準備とかしてるから、遊べない」 「昼休みとかは長いんだろ?」 「音楽の補習、受けてる」 「音楽?」 「僕、音楽苦手なの。歌やリコーダーとか。体育もあまり得意じゃないけど、補習するまでじゃないから」 「尊にも苦手な科目とかあるんだな」  なんでも器用にこなせる子供だと思っていた。だがよく考えてみればこの成績は全て尊の努力が勝ち取ったものなのだろう。人には得意なものがある分、苦手なものがあるのは当たり前で、それを克服出来るか出来ないかは本人次第なのだ。 「出来ないものは頑張るしかないんだ」  そう口にする尊の横顔は寂しさを孕んでいた。いじめられているかどうかは分からないが、あまり学校生活を楽しめていないような感じが見て取れる。 「尊、寄り道すっか」 「え? 寄り道……?」 「さっきコンビニ寄ったら美味そうなパフェがあったんだわ。食べたくねえか?」 「でも、武じいが寄り道はダメだって」 「何かあったら俺のせいにすればいいよ」  このまま何も知らんぷりして家に帰るのは嫌だった。家に帰れば休む間もなく家庭教師による授業が待っている。その前に少しでも尊を甘やかしてやりたい。 「お団子、食べたい」  尊の言葉を受けて行き先を変える。目指すは一番近くのコンビニ。寿は甘いものを食べている時が生きている中で一番幸せだ。尊も同じだったらいい。いつかドーナッツを分け与えてくれたように、寿が感じる幸せを千切って尊にも分け与えてやりたい。
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