三章

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 コンビニに車を停めてコンビニに入った。陽気なBGMに自然と心が躍る。二人一直線に向かったのはスイーツコーナー。寿の目当ては新発売の「夏みかんパフェ」である。 「これこれ、みかん牛乳寒天も捨てがたいが、生クリームにムース……最高だな」 「寿、本当に甘いのが好きなんだね」 「まぁな。よく顔に似合わねえ、なんて言われるけど。で、尊は何食うんだ?」  尊は一通りスイーツコーナーを眺めると「抹茶ムース白玉団子添え」を指さした。 「渋いな」 「僕はクリームよりお団子の方が好き」  尊が指さしたのを手に取ると二人分のスイーツをレジまで持っていく。会計を済ませていると急に尊が寿の影に隠れた。 「どうした?」  尊は何も言わずに寿の影に隠れたままだ。辺りを見渡すと自動ドアの向こう側から何人か生徒がやってくる。そのうちの一人に寿は見覚えがあった。 (……アイツ、尊を蹴っ飛ばした奴)  顔までははっきりと覚えてないが背格好がよく似ている。尊よりもかなり背が高く、周りの生徒も同じくらいの背格好だ。持っているエナメルバックには「サッカー部」と文字が刻印されている。 「尊、もう会計終わったから行こうぜ」  レジ袋を片手に尊の手を握った。微かに震えた手が彼らを見て怯えていることを表している。少しでも安心して欲しいとギュッと握りしめる。小さくてふにふにとした柔らかい手。この子を護りたい。出会ってから常々思っていたことだが、これほどまでに強く願ったのは今日が初めてかもしれない。 「……大丈夫か?」  尊は青ざめた顔で何度も頷く。そのまま出口まで行こうとしたその時、サッカー部の一団の話し声が聞こえてきた。 「つーかさ、お前。宝来のこと、蹴り飛ばしただろ?」 「え? なんか問題あった?」 「バレたらやばくね?」 「片野が見てねえ時だったし大丈夫だって。つーかアイツが亀みてえにチンタラ走ってんのが悪いんだろ?」  卑しい笑い声に寿は思わず顔を顰めた。やはり持久走の時、尊を蹴ったのはわざとだったのだ。 「……あの野郎」  怒りは脳へと瞬時に登り、身体中が沸騰したかのように熱くなる。どんな理由かは知らないが、大事な主人に危害を加えられたのだ。黙って見過ごすわけにもいかない。と言うより一度ぶん殴らないと気が済まない。 「待って、寿」  スーツの裾をキュッと引っ張られて我に帰る。尊が不安そうな顔でこちらを見上げていた。こんな顔をさせる為に尊をコンビニに誘ったわけではない。 「行こう、寿。遅くなったら武じいに怒られちゃう」  尊が居なかったら本当に殴ってしまっていただろう。未だ心の中でうねり、今にも破裂してしまいそうな怒りを必死に押し込めながらコンビニを後にした。 「ただいま!」 「おかえりなさいませ。今日、伊沢さんから坊っちゃまの体調が悪そうだと連絡がありましたが大丈夫でしたか?」 「うん、途中でちょっとお腹が痛くなっただけ! 寿も大袈裟なんだから」 「坊っちゃまに何かあってはいけませんからね。伊沢さんも心配されているのです」  帰宅するなり、武内が尊の元に駆け寄ってくる。持久走での出来事やコンビニでの一件のことは一切口にせず、今日のテストの点数が良かった話や先生に褒められた話をいつもの口ぶりで話す。  もしかしたらずっとこのようにいじめられていることをひた隠しにして生きてきたのだろう。そもそも何故、尊のような善良な性格の少年がいじめのターゲットにされなければならないのか。  大きな目を細めて笑うその姿が痛ましい。きゅっと上がった口角は全てを誤魔化す為? 悲しいのに笑って周りを安心させようなんて、そんな尊を見ていたくはない。 「あの、念の為坊ちゃんに薬を飲んでもらおうと思うんすけど、救急箱とかってあります?」 「それでしたら伊沢さんがいらっしゃる部屋、クローゼットの上にございますよ。お腹のお薬もあったと思います」 「ありがとうございます。じゃあ家庭教師の先生がお見えになる前に飲んでもらいますね……坊ちゃん、失礼します」 「うわぁっ!」  尊の身体を抱き抱える。突然の抱っこに最初の方は抵抗を見せたがすぐに大人しくなった。何ともないフリをしているが、転んだ時に足を痛めている可能性もある。無理に歩かせる訳にはいかない。 「もう、武じいの前で抱っこしないでよね」 「いつもしてんのに?」 「……二人の時だけにして」 「次からはそうする」  腕から尊の温もりが伝わってくる。ほのかに香る汗の匂いに心が揺れた。せめて自分には素のままの尊を見せて欲しい。救いたいなんておこがましい願いかもしれない。  でも、救いたい。  あの日、絶望の中にいた寿を尊が救ってくれたように。 「ほら、足見せてみろ」 「……やだ」  尊の自室に入るとベットに尊を腰掛けさせた。そして寿の部屋から救急箱を取ってくる。大きな薬箱には様々な薬と一緒に包帯や絆創膏、消毒液や塗り薬などが入っていた。 「何で見せられねえの? 普段なら着替え手伝えっていうのに」 「嫌ったら、嫌なの」 「じゃあもう着替えとか手伝ってやらねえからな」 「それもやだ」 「じゃあ、足出せ」  尊は少し渋った後に自ら制服のズボンの裾を捲り上げた。露わになったふくらはぎ。後ろの方に真っ青なアザが出来ている。見ているだけで痛々しい。おまけに足首も捻ってしまったのか若干熱感があるような気がする。おまけに転んだ拍子に出来たのであろう膝の擦り傷。かなり大きい。 「思った以上にひどいな」 「でも本当はそんなに痛くないんだよ! ……蹴られた時だけ」  寿は尊の前に跪き、靴下を脱がした後、お湯で濡らしたタオルで軽く拭いた。そしてアザと足首には湿布を、膝小僧の擦り傷は消毒液で丹念に拭き取る。 「痛ぁ」 「そのままにしてたらバイ菌が入ってもっと痛くなるぞ」 「うぅ……じゃあ我慢する」  絆創膏を貼ったら寿に出来ることはもうない。尊の隣に腰を下ろす。聞きたいことはいっぱいあったが、真っ先に浮かんだのは。 「なんでアイツらは尊にあんなクソみてぇなちょっかい出すんだ?」 「……分からない」  明らかに心当たりがありそうな返答だ。根掘り葉掘り聞いて状況を把握した方が今後のためなのかもしれない。しかし話すことで尊の柔い心に傷がついてしまったら──足の傷はすぐに治るだろうけれど、心に受けた傷は治らない。寿が一番よく知っている。  兄と比べられ続けて出来た細かい心の傷達。劣等感という名の呪縛は日常の至る所で顔を出し、寿を苦しめる。 「言いたくないなら言わなくていい。だが、尊が助けてっていうなら俺は何だってするよ」 「……うん」 「忘れないで欲しいのは、俺は尊の味方ってことだな。武内さんも親父さんもみんな尊が大事だよ」  しかし尊の顔に翳りが見えた。何かまずいことを言ってしまっただろうか。 「僕もみんな大事。だからね、僕のことで心配かけたくないの。だから蹴られたこととかパパにも武じいにも言わないで。僕が学校で嫌われてるって知られたらパパ達も悲しくなるから」  何でこんなに心優しいこの子が足にこんな傷を負わなければ行けないんだ。あんな仕打ちを受けなければならないんだ。  気付いたら尊のことを思い切り抱きしめていた。 「寿……?」 「約束する。誰にも言わねぇ。誰にも言わねえけど、俺の前だけでは我慢しないでくれ。ずっと、我慢してたら尊がおかしくなっちまう。そんなの、俺、嫌だよ」  小さな腕がおずおずと遠慮がちに抱きしめ返してくる。 「寿、ありがとう。僕ね、寿に会えてよかったと思ってるよ……とっても優しいんだもの」  人生の終わり、寸前で拾ってくれたから。そんな理由ではない〝護りたい〟という気持ち。自分だけに明け渡して欲しいという願い。  自分でも制御できなくなりつつある尊への想い。これは忠誠心だと、何度も何度も自分へと言い聞かせた。
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