四章

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「寿……?」  どれくらいの時間が経っただろう。いきなり扉が空いたと思ったら尊の声が聞こえてきた。誰よりも大切な人の声。だからこそ今は耳に入れたくない。 「今日は寿も一緒にご飯食べれるかと思ったのに……どうしたの? 何かあった?」  ペタリペタリと足音を立ててゆっくりと近付いてくる。心配してくれるのはありがたいが、今はうまく受け入れられそうにない。 「風邪でも引いたんかな。すぐに良くなると思う」 「じゃあお医者様呼ばなきゃ」 「使用人ごときに医者なんか呼ぶ必要ねーよ」 「寿は使用人じゃないよ、僕の大切な……」 「じゃあ、俺には何も包み隠さずに全部を教えてくれるのか?」  乱雑に放り投げたのは尊が落とした手紙。床に落ちる音。ヒュッと息呑む尊の呼吸音。そして自分のやかましい鼓動。調和のない音の羅列に頭がおかしくなりそうだ。 「これ、どこで」 「車の助手席に落ちてた」 「……読んだ?」 「うん」  ここでようやく尊の顔を見た。そこには真っ青な顔をしてカタカタと震える姿。手には手紙が握りしめられている。 「大事なモン、つーか見られて困るモンを簡単に落とすんじゃねえよ」 「寿、これ読んで……嫌いに、なった?」 「嫌いっつーよりも、どうしたらいいか分からねえ」  寿が読んでしまった手紙。  送り主は尊の学校の教員であった。文面からして音楽の教員であることが窺える。何度も何度も目を通したせいで目を閉じていても脳裏にはっきりと内容が焼き付いてしまった。 『宝来くん  単刀直入に言います。  君と僕の関係が噂となってしまい、とうとう校長から呼び出しをくらってしまいました。  どちらともなく始まった関係ですが、これ以上君との逢瀬を重ねてしまうと僕の立場が危うくなってしまうのです。  君も同級生から僕の件を怪しまれ、いじめに遭っているでしょう。  だからもう金輪際、個人的な用件で君に会うことは出来ません。  どうか分かってください。君と僕の為なのです。  そしてこれは絶対に誰にも見せないこと。君が素直で物分かりがいいことを僕は誰よりも知っています。  何度も繰り返しますが、全ては君と僕の為です』  手紙の内容は尊とこの教諭が何かしらの関係を持っていたこと。それが噂となり尊がいじめられているということ。教員側も学校にバレてしまいそうになっており、関係を終わらせたいと一方的な通告だった。  こんなのふざけている。どう言う理由であれ教員が生徒である尊と関係を持っておいて、自分の立場が危うくなったからと切り捨てる。こんなのあまりにも酷すぎるじゃないか。  尊と一体どこまでの関係であったかは分からないが明らかに普通の教師と生徒の関係ではない。尊が言っていた〝好きな人〟とはこの教師のことだろう。結婚までしているのにこんな年端も行かない少年に手を出して── 「僕も変だな、って思ってたけど……先生しかいなかったの。苦手な音楽の補習にも毎回熱心に付き合ってくれて。好きになったのは僕からだった。僕が先生に好きって言ったら、先生が」 「やめてくれ。聞きたくねえ」  ちゃんと事実を聞いて然るべき対処をしなければならない。だが、今の寿にそれをする余裕がなかった。尊がどのように手を出されて、どのような汚され方をして──考えただけで反吐が出る。 「本当なら、俺は親父さんに報告しなきゃならねえ」 「……分かってる」 「でもそうしたら、尊は学校でどうなる? 今よりも酷くいじめられちまうよな。ソイツを許せねえ。けど、どうしてやったらいいのか本当に分からねえんだよ」 「寿……」 「俺は無力だ」 「そんなことない」 「何も出来ねえ」  答えは出ているのに動けないのを無力と言わずに何だというのだ。色々なことを考えて動けなくなってしまう自分がただ情けない。 「寿は、僕のことを考えてくれてるんでしょう?」 「当たり前だろ」 「僕、それだけで強くなれるよ。どんなイジメを受けたって平気」 「イジメられて平気だなんてあっちゃいけねえんだよ」 「でも、僕。元々、宝来の息子ってだけで距離置かれてたし、先生だって宝来の名前があったら僕に興味を持っただけだから。気にしてないよ。でも寿は宝来の名前がなくても、僕を……」  気付いたら思い切り抱きしめていた。それ以上言わせたくなかった。父や使用人達に心配をかけないように明るく振る舞う心優しい子。それにつけ入った下衆な教師。それすら責めることもしない。この子をこれ以上、酷い目に合わせるだなんて、出来ない。 「尊、俺はお前の味方だ。何度も言ってるが絶対に、絶対に忘れないでくれ。お前のしたいようにしよう。だからってソイツにされたことをどうしたりとかは出来ねえかもしれねえけど……」 「うん、もう……音楽室にはいかない」 「約束してくれ。絶対に」  尊がぐりぐりと胸元に頭を擦り付けて甘える仕草を見せる。ただこの少年が愛しい。激しい怒りの中で見つけてしまった自分の気持ちにそっと蓋をして寿は小さな背中をそっとさすった。  尊と話し合ってすっかりと気力を取り戻した寿は尊の就寝の準備に取り掛かった。新しい着替えを用意している最中にばったりと誠に出くわす。 「伊沢、調子はもう平気なのか?」 「あ、はい。すいませんでした」 「慣れない生活で疲れも出たのだろう。尊も寂しがっていたぞ」 「そうっすか……旦那様は坊ちゃんと喋れました?」 「おかげさまでな。そう言えば近いうちに合唱コンクールがあると話していたよ」  そろそろ夏の名残も姿を消して本格的な秋の到来を送迎中にも感じていた。文化系の行事がこれから目白押しらしい、などと誠はまるで自分のことのように話している。  実情を知っているが故に少し複雑な気分になりながらも誠の言葉に頷いていた。普段多忙で表情を硬らせている主人が、こうして明るい表情になるのは嬉しいものだ。 「そう言えば、君に折り入ってお願いがあるんだが」 「何でしょう?」 「伊沢は確かピアノが弾けると言っていたな」  確かに闇オークションに買われてすぐの時に特技の一つとして話した。よくもまぁ、役に立たなそうなことを覚えていたものだ。なんて感心していたら誠の口から更にとんでもないことが飛び出してくる。 「尊に、ピアノを教えてやってもらえないだろうか」
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