一章

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「……まずは見た目から、だな。家に上げても問題ないように綺麗にしなくては」 「お父さん、僕もついていっていいでしょ?」 「宿題はもう終わっているのか?」 「うん! ぜーんぶ、終わってる!」  なんとも微笑ましい親子の会話である。しかし寿はこの親子に五億で買われたのだ。一体何が目的なのだろうか。宝来不動産グループの現社長とその息子。富裕層の考えることなど寿には全く想像も出来ない。 「おじさんにぴったりなスーツ、僕が選んであげるね!」 「あ、ありがとう……」  少年──尊は寿の腕にじゃれつくように腕を回す。今までの人生で子供との接点がなかった寿はどう接していいか分からず曖昧な返事を返した。 「ねぇ、おじさんは名前なんて言うの? 好きな食べ物何?」  寿の強面にも怯むこともなく尊はガンガンと質問をしてくる。丸くて少し吊り目気味な目が寿を捉えて離さない。 「伊沢寿、です。ことぶきは寿司の〝す〟って書く……」 「ほう、縁起のいい名前だ」  助手席に座っていた誠が話に割って入ってくる。バックミラー越しに興味深そうな眼差しと目が合った。 「好きなモンはパフェ」 「……パフェ?」 「ああ、よく意外って言われるんだけ……ですけど」 「無理に敬語を使わなくてもいいよ。それより伊沢。私からもいくつか質問を……いいかな?」 「は、はい」 「パパ、僕ももっと寿と話したい」 「お前はこれから一緒に居れるだろう。だから今はパパと話をさせてくれ」 「はぁい」  物怖じしない彼でも父親の言うことは反抗せずにちゃんと聞くようだ。 「伊沢の略歴を簡単でいい。教えてもらえないだろうか? 君が売られた経緯は知っている。だからそこは説明不要だ。君が出来ること、出来ないことを話して欲しい」  いきなり空気が変わる。まるで面接のような雰囲気に寿の背筋は一気にピンと伸びた。やはり大手不動産会社を一手にまとめる手腕を持った男。寿が今までの人生で見てきたどの人間よりも強烈なオーラを放っている。 「まず、デスクワークは出来ないです。パソコンもよく分からないんで。職歴は現場、タクシー運転手、コンビニの深夜アルバイトで食い繋いでいました。出来るのは車の運転くらいでしょうか。あと力仕事もそれなりに行けると思います」 「そうか……車の運転が出来るのはいい。力仕事はあまり要求しないかもしれん。マネジメントのような職に就いたことは……なさそうだね」 「ないっすね……どれも非正規雇用だったんで」 「まぁ教育次第でいくらでもどうにかなるだろう。ちなみに腕っ節に自信は?」 「喧嘩はよくしてました。ですが護身術とかそんな感じじゃなくてただ殴り合う喧嘩です」 「そうか。では、そこら辺も要教育ということで。他に特技などは」 「……幼少期からピアノを習ってました。家庭が、その……音楽家ばかりでしたので。俺は音大を中退してしまいましたが」 「ほう、その顔で意外だな。ぜひ今度聞かせてもらいたいものだ」  誠は手早くメモを書いて手帳を閉じた。一体何の仕事を任されるのだろう。誠のボディーガードであろうか。やはり誠くらいの立場となると何かと危うい場面に晒されたりするのかもしれない。 「私達ばかりが質問するのもフェアではないな。伊沢からも質問があれば遠慮なくすればいい」 「あの、ちょっと聞きづらいんすけど……なんで俺、買われたんですかね?」  まさか自分が闇オークションで買われるだなんて夢にも思っていなかった。しかも五億で。美少年や美少女ならばまだ分かる。しかし寿は人相の悪いおじさんだ。特別な能力があるわけではない。 「尊を幼少期から見ている世話役がいるんだ」 「せ、世話役」 「長年宝来家に仕えている使用人でな。私が子供の頃にも教育係として世話になった。だが、その者も七十手前。そろそろ楽をさせてやりたい。要は後継者を探していたんだ。出来たらもっと若いのが良かったのだが……尊の意見を最優先させた結果、君を買ったというわけだ」 「ハァ……」  もうスケールが違いすぎて何も言えない。まさか自分が大富豪一家の使用人になるなんて闇オークションの舞台に上がっていた時は想像すらしていなかった。 「とにかく、どんな形であれこれからの人生を宝来家に尽くしてくれることを願う。悪いようにはしないから」  尊は二人の話に飽きてきたのかウトウトと船を漕いでいた。車窓から覗くネオンライト。子供にはこの時間に起きているのか辛いかもしれない。  ──おじさんにぴったりなスーツ、僕が選んであげるね!  あの時のキラキラした笑顔を思い出す。彼はどうして寿を選んだのだろう。こんな強面で犬猫も寄り付かないおじさんにどんな魅力を感じたのか。尊はすっかりと夢の中。寝顔はそこら辺の子供と変わらない、庇護欲を掻き立てるような愛らしさだった。  結局、尊は寝たままだったので先に家に帰すこととなった。テーラーに言われるがままサイズを測る。そしてスーツの生地などに関しては全く分からなかった為、全て誠が選んだ。そして宝来家お抱えの理容師に散髪をしてもらい、顔剃りまでしてもらう。てっきり髭も剃られるかと思ったが誠が「強面であればボディーガードとしても使えるだろうから」と整えるくらいにしてくれた。茶髪も少しトーンを暗くしただけだった。意外にも宝来家の使用人は外見に対する自由度が高いらしい。 「もっと黒髪に髪の毛ぴっちりにされるかと思ってました」 「多少ラフな方が尊も慣れやすいだろう。現にあの子があんなに誰かに懐くのを見たのは初めてでね。見た目を変えすぎるのも良くないと思った」 「本当に、お子さん想いなんすね」 「……いや、私は尊に対しては何もしてやれない。ダメな父親だよ」  誠が突然見せた翳りに寿は何も言えなくなってしまう。どうにか話題を変えようとしても口下手な寿では気の利いた言葉一つ言えやしない。 「さぁ、仮のスーツも何着か用意したし家に戻ろう」 「家……」 「君が今日から使用人として住み込みで住う場所さ」  再び車に乗り込み、向かうは宝来家の屋敷へ。想像を絶する世界が待っているとは考えもせずに窓の外の流れるネオンをぼんやりと眺めていたのだった。
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