七章

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「こら! 君っ! また来てたのかっ!」  寿が抱きついてくる尊の黒々とした髪の艶を眺めていると、遠くから声が聞こえてくる。声の方へ視線をやると顔見知りの警備員がこちらに向かって全速力で走ってきた。 「ここは関係者以外立ち入り禁止だと何回言えば分かるんだ!」 「離してよぉ! 僕は本当に関係者だもん!」 「それなら正規の受付口から入りなさいっ!」 「僕にも事情があるんだよぉー!」  寿の腰をガッチリと掴んで離そうとしない。それを懸命に引っぺがそうとする警備員。このままでは埒があかない。そう判断した寿は尊の肩を持つことにした。 「警備員さん、これ。俺の知り合いなんすよ」 「え? そうなんですか?」 「学生なんで見逃してやってくれません? 次からはちゃんと受付を済ませるようにしっかりと言い聞かせるんで」 「そういうなら任せるけど……頼むよ。数日前からウロウロしてて私達もどうすればいいか頭を悩ませていたところなんだよ」  すんません、と言葉を添えてペコリと頭を下げる。警備員は腑に落ちていない様子だったが顔見知りの寿が言っていることもあり事を荒立てず、見逃してくれた。 「……で、尊。これは一体どういうことだ?」  すると唇を尖らせながら拗ねているのを隠すこともなく全面に出しながら抗議の声を上げる。 「だって寿がいきなり居なくなっちゃうんだもん! 武じいも何も教えてくれないし! パパには会えないし……」 「で? なんで俺がここにいるって知ってたんだ?」 「僕が武じいに手紙預けてるの知ってるでしょ? 武じいが来る前に住所を見たの!」 「個人情報漏洩……」 「手段なんて選んでる場合じゃなかったんだってば」  この小さな身体のどこからこんな行動力が湧いて出るのか。この様子だとおそらく父親に何も話さずに来ているのだろう。そうなると話は変わってくる。尊が勝手に外に出回っているのをどうにか帰してやらなければならない。元使用人の血が騒ぐ。 「おい、お父さんにちゃんと言ってねえんだろ?」 「寿には関係ないもん!」 「あるんだよ。お前がないって言っても俺はお前の親父さんを裏切るわけにはいかないんだ」 「僕と寿が会うのがそんなにもいけないことなの? ねぇ? なんで⁉︎」  なんで、なんてそんな。言える訳ない。自分の気持ちをはぐらかしながら、尊を宥めようとする。しかし心の片隅でもう一人の自分が叫び続けている。  このまま奪い去りたい、と。  自分から離れた。それで全てが解決すると思った。時間が経てば全てが平常運転になる。一人の少年に恋をしてしまった事実なんて消えてなくなるだろう。そうたかを括っていたのに。 「ダメなんだよ、尊……」  何故こうして目の前に現れる。振り返らないようにしていたのに、どうして気持ちを引き止めようとする。兄と同じように傷つけてしまうかもしれないのに、どうして離れさせてくれない。 「何がダメなのか、言ってくれなきゃ……分からないよ」  せっかくの再会で拒絶をされたのがよほどショックだったのか、ポロポロと大粒の涙をこぼす。涙を拭おうとして止めた。きっと自分には涙を拭う資格なんてないから。 「俺も、兄貴と一緒なんだよ」 「伊沢先生と?」 「ああ、俺は。俺はお前に……恋をしている」  涙を流したまま呆然とする尊。まさか大の大人に「恋をしている」だなんて言われるとも思っていなかっただろう。大粒の涙が頬を伝い地面にポタリ、ポタリと落ちていく。 「それは、僕が……寿に寄せてる〝好き〟と同じ?」 「分からない。出来たら違っていてほしい」 「ううん、多分違わないよ。きっと僕と寿の気持ちは一緒だ」 「だったら尚更……離れなきゃいけねぇ」  グッと肩を押し戻すが尊は離れようとしない。 「子供だから?」 「……そうだよ。大人は子供を守ってやらなきゃならねぇんだ。だから、子供が傷つくようなことをしては、いけねぇ」  するとキッと睨みつけるように尊は寿の拒絶を拒んだ。その瞳の奥には確かな意思が宿っている。 「僕は、今は子供かもしれないけれど……でも、ずっと寿のこと。大好きだよ。大好きなんだから。僕の大好きって気持ちを否定しないで!」  気持ちが揺らぐ。もう限界だ。これ以上尊の目を見つめていると心がぐしゃぐしゃになってしまいそうだ。勢いに任せて尊を担ぐ。 「何するのっ!」 「聞かん坊のガキを親父さんのところに連れてくんだよ」 「そんなことしたら、パパと武じいに怒られるよぉ!」 「怒られろ! そんでここにもう二度と来るんじゃねぇ!」  そんな本心でないことをよく言えたものだ。尊の顔を見た瞬間、体が震えてしまうほどに嬉しかったのに。自分の気持ちに蓋をする苦しさを再び思い出すなんて考えてもみなかった。 「社長……すいません」 「いや、こちらこそ迷惑をかけたね」  勢い任せに社長室まで赴いたがよくよく考えたら一清掃員である寿が気安く訪ねられる場所ではない。そう気づいた瞬間に汗が噴き出た。 「いや、俺も最後に挨拶をしなかったせいで」 「君が庇う必要はない」  ピシャリと言いのけると誠は尊の方に向き合った。身構える尊に悠然と誠は言い放つ。 「尊、お前が勝手に行動をしたばかりに伊沢は仕事を中断して、私の仕事も止まった。更に言うと武内にも多大な迷惑をかけている。武内からは何度も注意を受けているだろう」 「でも、僕も寂しかったんだよ! いきなり寿がいなくなって、パパも武じいも何も教えてくれなくて……」  予想外の尊の反応に誠も少し驚いた顔を見せる。しかしそれもすぐにいつもの表情に戻った。 「……伊沢は責任を取ったんだ」 「責任?」 「そうだ。大人として責任を取った。言い訳もせずにだ。だから私もそれに応えた。尊……伊沢のことを大事に思う気持ちは分かる。だからこそ分かりなさい」 「責任を取るのが、大人ってこと?」 「そうだ。伊沢の気持ちを無駄にするな」  納得がいかない様子の尊であったがやがて挑むような目つきを誠に向けた。今まで見たことのない挑発的な眼差しは誠が時折見せる仕草にそっくりであった。 「じゃあ、いつか僕が責任を取れるようになったら……大人になったら、また寿は側にいてくれるの?」  尊のまさかの発言に寿はもちろん誠まで表情を硬くする。凍りついた社長室。宝来尊は紛れもなく宝来家の、宝来誠の血を受け継ぐ子であると証明された瞬間だった。
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