一章

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 到着してすぐにこき使われるかと思っていたが夜も遅くであること、そもそも今日行うべき仕事は全てやり終えた後で寿の出る幕はないということだった。 「伊沢さんの部屋は坊っちゃまの部屋の隣です。使用人の部屋ですので少々手狭ではありますが寝起きするには不便はないかと思います」  なんて前置きをされて案内された部屋は寿が住んでいたワンルームと同じくらいの広さで、使用人が使うにはもったいないくらい綺麗な部屋だった。シンプルではあるがベッドもスーツなどを収納するクローゼットもある。 「お休みになられる前に坊っちゃまの様子を見に行って下さい。さすがにもう寝られているとは思いますが、念のため」 「うっす。ありがとうございます」 「では、おやすみなさいませ」  深々と頭を下げると武内は部屋を出ていった。もしかしたらまだ客人扱いされているだけかもしれないが、非常に物腰が柔らかい男だ。宝来家の使用人として寿もあのように品よく振る舞わなければならないのだろうか。はっきり言って自信がない。  もう深夜二時を回っている。武内が言う通り、尊はもう寝ているだろう。だが主人の安全確認も使用人の務め。着ているスーツを整えて尊の元へ向かう。先ほど武内に教えてもらった尊の部屋の前に立つと二、三度深呼吸をしてからゆっくりとドアを開く。 「尊、坊っちゃま……」  失礼します、と声に出しかけて飲み込んだ。尊がスヤスヤと寝息を立てて寝ている。布団ではなく勉強机に突っ伏していた。そんなに勉強に熱が入っていたのか、と机の上を覗き込んでみるとそこには漫画が山積みになっており、携帯ゲームが二つ並んでいる。大切な宝物を抱え込むようにして上から覆いかぶさるように寝ていた。 「こう見ると普通の子なんだよなー……」  いつまでも見ていたくなるような寝顔だった。はっきり言って寿は子供が苦手だ。というよりも今までの人生で全く縁もなかったので未知の生物を相手にしている気分になる。  ふと手を伸ばした。そのまま頬っぺたを指でツンと触れる。柔らかくてもっちりとした肌。ずっと触っていたくなる感触。 「んぅ……」  夢中になって頬を触っていたら安らかな寝顔の眉間にシワが寄る。少し身動いだ後に瞼がゆっくりと開いた。しばらくポーッとした顔をしていた段々と意識がはっきりとしてきたのか、寿の存在を大きな黒目がしっかりと捉え始める。 「ことぶき」 「尊坊っちゃま、ベットで寝ましょう。机に突っ伏してたら身体痛くなっちゃうぞ……いや、なっちゃいますよ」  子供相手に敬語というのもなかなか慣れない。しかし紛れもなく尊は寿の主人なのだ。言葉遣いもどうにかして直していかなければいけない。 「ことぶき、遊ぼ」 「明日は学校があるから早く寝た方がいいっすよ。武内さんに怒られちゃいますって」 「ちゃんと起きるもん」  父親の言うことには素直に従うが、寿ではまだまだ役不足らしい。威厳が足りないのか。とは言っても闇オークションで売られていたおじさんがいきなり良いところのお坊ちゃんを従わせることなんて出来ない。 「僕ね、寿と遊びたかったんだ。漫画も用意して待ってたんだよ。ゲームもあるよ。お話でもいいよ。僕、寿のこと沢山知りたい」  先ほどまで眠気はどこへ行ったのやら。椅子から落ちてしまいそうなほど寿の方に身を乗り出してくる。一体、この少年は寿の何に興味を持って五億なんて高値で買い取ったのだろうか。ここに来るまで色々考えてみたが、どれだけ考えても自分にそんな魅力があるとは思えない。 「坊ちゃん。明日にしましょう。明日、学校が終わったら遊びましょう」 「……坊ちゃん、って呼ぶのはやめて」 「でも、坊ちゃんは俺の主人で」 「僕は手下を買ったわけじゃないよ……パパは使用人にするつもりみたいだけど。僕は寿みたいな友達が欲しかったんだ」 「友達?」  恥ずかしそうにコクコクと頷くと両手をいきなり広げるように差し出してくる。 「寝ろっていうならちゃんと言うこと聞いてあげる! でも寿がベットまで運んでよね」  友達というには随分な要求だ。だがこのまま夜更かしされて翌朝寝坊されたら困る。言われるがままに抱き抱えるとそのままベットまで連れて行く。随分と軽い身体だ。それなりに寿も力がある方だが軽すぎて心配になるくらいの華奢さだ。 「ほら、坊ちゃん。寝てください」 「僕は坊ちゃんじゃないったら」 「……尊くん、寝てください」  名前を呼ばれたのがよほど嬉しかったのか素直に布団に潜り込む。これで一安心。そう思って離れようとしたら尊の手が寿の袖口を掴んで引き留めた。 「僕が寝るまで居てよ」 「いつも一人で寝てるでしょう?」 「そうだけど今日から寿と一緒に寝る」 「って言われてもなぁ」 「あと、敬語も禁止! 〝くん〟付けもやだ! 僕は寿と友達になりたいんだよ?」  随分と注文の多いご主人様だ。しまいにはペロンと布団をめくって寿のスペースを開けて誘ってくる。 「尊……今いくつよ」 「十五歳」 「中三、とかか? 中学生は一人で寝るだろ、普通」 「いいったらいいの!」 「分かった分かった! 寝るまでな、寝るまで添い寝してやるから。ほら、早く寝ろ」  言われた通りに呼び捨て、敬語なしで話してやるとますます嬉しそうな顔をする。尊の笑顔が見れるのは満更でもない。スーツのままベットに潜り込むのは少し抵抗があったが、尊を待たせて機嫌を損ねても困るのでそのまま横になった。 「明日、何時起き?」 「六時には起きるよ」 「本当に起きれるのかよ」  武内からは五時には起きるように言われている。少しでも早く尊に寝てもらわなければ、寿の方が起きれなくなってしまう。 「ねぇ、寿。明日も起こしにきてね。明後日も、ずっと。寿はもう僕の友達なんだから。ね? ずっと一緒じゃなきゃダメなんだよ」  まん丸な黒目が寿を捕らえて離さない。思わず吸い込まれそうになる。三十五年間生きてきてここまで強く求められたのは初めてかもしれない。 「もう俺はここ以外にいくところもねえし、逃げねえから大丈夫だよ」  そう言って柔らかな黒髪を撫でてやると安心したかのように頬を緩ませる。そのまま目を閉じるとスヤスヤと寝息を立てて夢の中へ。 「……母ちゃんがいなくて寂しいのかもな」  何故、自分にこんなに執着するのかは分からない。だが守ってやりたくなるような不思議な気持ちになる。  一度終わりかけた人生だ。この子のために残りの人生、全部使ってもいい。  ベットから音を立てないようにゆっくりと抜け出した。口パクで「おやすみ」と告げて部屋を後にした。
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