三章

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三章

 ──ねぇ、寿。本当は僕にキスしたいんでしょ?  迫り来る尊。大きな黒目は寿の胸に潜む想いを全て見透かしているかのよう。  ──どうして我慢しなきゃいけないの? (お前は主人で俺は使用人。それに俺みたいなのがお前の最初を散らすのはあってはならないことなんだ)  ──僕が良いって言っているのに。何でダメって言うの? 否定をするの?  グッと顔を近づけてくる尊。不満そうに尖る唇。淡いピンク。触れたらさぞかし気持ちがいいだろう。触れられるもんなら触れてみたい……ふと過った思考にかぶりを振って懸命に否定する。 (俺は、俺は……)  言葉が出てこない。本音と建前が激しくせめぎ合う。本当にダメだと思うなら力づくで止めれば良い。それなのにそうしないのは心のどこかで尊のことを……いつから? 何故? どうしてこんなにも?  尊には明確な理由がある。好きな人が寿に似ているからという明確な理由が。だが寿には尊に惹かれる理由がない。しかし確実に、庇護欲以上の何かを尊に向けている。 (尊……)  いよいよ唇が触れるギリギリの距離まで近づいた。吐息が触れ合う。このままではダメだ。ダメだダメだ。頭では分かっているのに拒むことが出来ない── 「うぉぉぉぉぉぉ⁉︎」  唇が触れる瞬間、目が覚めた──夢だった。  どうやら激しく寝返りを打っていたらしくベットから落ちた衝撃で一気に現実に引き戻される。昨日の尊とのやり取りを思い出し、自分がこんなにも不埒な夢を見てしまったことを反省する。 「昨日の今日で……こんな」  昨晩は尊を寝かしつけた後、寿もすぐに自室に戻ろうとしたのだが、寝かしつけながら寝落ちしてしまった。ベットに寄りかかるような体制で寝落ちしていたので身体のあちこちに変な痛みが残っている。自室に戻って少し休んだが身体は痛いままだ。  それでも初日よりは睡眠時間を確保できたので身体の疲れは幾分か抜けていた。ただ頭の中は未だにごちゃごちゃしていてうまく整理が出来ていない。  夢に見るまでに尊のこと考えてしまっている。小さな主人にこんなにも心乱されるなんて。何もかもが目まぐるしい。数日経ってもまだ慣れない。心も身体もうまく追いつけないでいる。 「みことー、入るぞー」  ノックをして一呼吸置き、ドアを開ける。尊は起きていたがベッドに潜り込んだまま、ジィっとこちらを見ている。 「おはよう。ほら、起きろ」 「もう起きてるよ」 「じゃあ支度しないと」 「……寿が来るの、待ってたの」 「なんだ? また着替えでも手伝えってか?」  冗談めかして口にしてみたら、どうやら図星だったらしく顔を真っ赤にしてコクンと頷いた。 「武内さんの時は一人で着替えてたって聞いたぞ」 「そうだけど、今起こしてくれるのは寿だもん」  まだ三日ほどしか一緒にいないが尊は一度言い出したら譲らない部分があるのをあらゆる場面で感じていた。今回もどれだけ諭したところでどうにもならないだろう。 「分かった分かった。手伝うよ」  布団を引っぺがして、見事に言われるよりも早く抱き起こす。 「わぁっ」 「自分から言ったくせに驚くな」 「だって急だったんだもん」  ワタワタと慌てるような仕草が愛らしい。もうちょっとゆっくり見ていたいがタイムスケジュールの都合上、着替えにこれ以上時間をかけていられない。  淡い水色のパジャマのボタンを手早く外して脱がせると白肌が覗く。きめの細かい肌は触ったらスベスベしていて気持ちが良さそうだ。触りたい、と言う気持ちを必死に押し殺してズボンの下の方に手をかける。その瞬間、尊が大声でそれを制した。 「下を脱ぐのは僕がやるっ!」 「あ、悪い……」 「寿は制服を持ってきてっ!」  見上げると顔を真っ赤にした尊。大きな黒目が潤んだ眼差しを向けてくる。 「そんな恥ずかしがるなら自分でやりゃあいいのに……」  聞こえないようにボソッと呟いた。なるべく尊の方を見ないようにして制服の準備をする。背後から布の擦れる音。  たったそれだけでやけにドキドキしてしまうのは、まだ夢の続きを引きずっているからかもしれない。 「もう車は慣れた?」 「……しばらくかかりそうだな」 「車乗る時の寿。顔がめちゃくちゃ怖くなるの、好き」 「そりゃどーも」  今日から本格的に寿一人での送迎が始まる。助手席に乗りたがる尊を「武内さんや親父さんに言いつけるぞ」と脅して何とか後部座席に座らせた。  尊は寿の顔が見えないから嫌だと後部座席に座ってからも駄々をこねていたが、少し時間が経つとお喋りに夢中になっている。さっきも着替えを手伝った時はあんなに顔を真っ赤にしていたのに、朝食の時間にはケロリとしていた。寿ばかりが尊のことを引きずっているようで少し悔しい。  尊が通う学校は車で三十分くらいの場所にある。名門私立の名にふさわしい敷地の広さ。 寿も名前を聞いたことのあるような有名進学校。改めて尊の凄さを思い知る。学費もかなり高いだろうが、生徒自身の学力がなければ入学は叶わない。武内から聞いた話だが、ここを受験するために朝から晩まで勉強していたと聞いている。 「しかし、でかい学校だな」  広大なグラウンドでは様々な部活動が行われている。そして大きな校舎。名門私立に相応しい立派な造りだ。 「尊の教室はどの辺りなんだ?」 「……」 「尊?」  さっきまで寿が喋る隙も与えないくらいにあれやこれやと喋りかけてきたのに、寿の問いかけにうんともすんとも言わない。 「どうした? 腹でも痛いのか?」 「違う……」 「我慢せずに言えよ。コンビニでトイレ借りるか? 余裕持って出てきたから学校には間に合うぞ」 「いきたくない」 「我慢はよくねえ。俺の先輩、小便我慢しすぎて膀胱炎になったんだけど辛そうだったぞ。膀胱炎って知ってるか?」  笑いを取りに行ったつもりが盛大にスベる。 「おい、尊。まじで具合悪いのか?」 「……行きたくない」 「トイレか? そんな恥ずかしがることは……」 「トイレのことじゃないよっ!」  今までにない剣幕にただ事ではないと判断し、路肩に車を止めた。振り向くと後部座席では尊が俯いたまま微動だにしない。 「おい、どうしたんだよ。何か嫌なこと言っちまったか? でも調子悪いんだったら無理しちゃダメだぞ」  ゆっくりと尊が顔を上げる。唇を震わせて、何度か浅い呼吸を繰り返した後にぽつりと、耳をそば立てていないと聞こえないくらいの声で寿に言葉を投げかけた。 「学校、行きたくない……」
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