弱者の冗談

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「俺、嘘つきだから」 茶葉とパウンドケーキの土産を丁寧に包んだマスターは、3600円ですと爽やかに微笑む。 「え?」 「3600円です」 「あ、はい」 お釣り計算をする余裕もなく、久しぶりにクレジットカードを取り出す。ふ、と笑われたのは気のせいか。あなたのせいですよ。レジの操作音と自動ピアノの演奏をBGMに、書きかけの予約票に目を落とす。 予約日時はOK、そう、人数は間違えないようにしないと...。え?関係?いつも1人だから、こんな欄があるなんて知らなかった。えっと、友人、かな。 「どうぞ」 カードとレシートを受け取って、顔を上げる。ひとつまばたきをして言葉を促す男性は、年にして私とさほど変わらないだろう。けれど、クセのある毛を後ろで束ねたマスター姿には品の良さを感じる。若くして店を持っているという事実が、そうさせるのだろうか。 「あのう、『嘘つき』というのは?」 たとえそれが、ビルの隙間に埋もれてしまいそうな薄暗いものであっても。 「ああ、それは」 自動ピアノが静かに、ワルツを奏で始めた。よく耳にするんだけど、何て言うんだっけ、これ。 「文字通り、ですよ」 迷子大歓迎のカフェ。しかも2度目以降の来店は完全予約制。そのくせ店のHPは存在せず、電話番号もアピールされていない。予約リストは3分の2ほど埋まってはいたものの、私は他の客とすれ違ったこともない。 「俺は、嘘つきなんです」 狭い店内は丁寧に磨かれていて、自動ピアノの選曲や食器のデザインから、店主の拘りが見て取れる。時折見せる有無を言わせない笑みは、この店そのものをよく表しているようにも思う。 「はあ」 腰を90度に折ったマスターに見送られながら、店を後にした。ドアを閉めると、カウンター奥からケーキの焼ける匂いがふんわりと見送ってくれた。 今度はスマホを取り出す。早い内に連絡してしまわないと。 『この前言ってたお店、予約取れたよ。1日遅れちゃうけど、大丈夫?』
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