あいを、しる

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 ぼくに幸運が訪れたのは30歳の誕生日を迎えた日だった。  その日もぼくはひとりで過ごしていた。  その頃には現実を受け入れて、ぼくは笑うことも何もかも諦めていた。  誰とも触れ合わなくても生きていくことはできる。    ただ唯一の愉しみは本屋をぶらつくことで、本だけがぼくに自由をくれる窓口であった。    高い棚の中にびっしりと埋まった本の数だけいろんな人生がある。今日はどんな風に生きようかとワクワクしながら選んでいた。  現実のぼくはどうしようもないけれど、本の中でだけは好きなように生きて誰かと触れ合うことが出来るのだ。  その空想だけは誰にも奪えない。  その人に出会ったのは偶然だった。 「ううう、くぅ」 「……?」  本をパラパラとめくっていたら変な声が聞こえてきたのだ。  何事かと横を見たら、小柄な女の人がつま先立ちで手を伸ばし高いところの本を取ろうと奮闘している。  近くに脚立もないし、あと少しで取れそうなのに、あと数センチが足りない。 「く、うううっ」  プルプルと震えながらさらに足をつっぱり指先まで伸ばし切っている。そんな状況で本に触れたところで取り出すのは無理だろう。  ぼくは手を伸ばすとその本を取り出した。  びっくりしたように女の人がこちらをみる。  目と目が合って、ぼくの時は止まった。 「あ、えっと……」  彼女は困ったようにぼくに声をかけてきた。  今まで聞いたことのないような、柔らかく鈴のような綺麗な声だった。 「その本、わたしが欲しいなって思っていた本でして……」  横取りされたと勘違いしたのか、ギュっとにぎったこぶしをスカートに押しつけ、意を決したというような声。 「なので、あの、」  もちろんそのつもりだったし、ぼくは彼女にそれを手渡した。受け取った彼女は「えっ」っと声をあげた。 「もしかして、取ってくれたんですか?」  大きな丸い瞳が嬉しさにさらにキラキラと瞬いた。  丸い頬が赤く染まっている。  小さな唇から出てくる声はとても心地がいい。  ぼくはなんて可愛い人なんだろうと感動しながらコクリと頷いた。
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