私はいつも利用されている

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私はいつも利用されている

私はあれよあれよという間に、社会の落伍者と化し、心療内科のお世話になり、失業して、デイケアというやる気があるのかないのかよくわからない病人の集まりに通う羽目になった。 そこでも私は問題を起こした。自分がやりたい絵を描くことだけに集中して、他のプログラムや掃除などの雑用を無視し続けたのだ。しかし、ここにも昔の幼稚園の先生と同じ、見栄っ張りの臭いがする、理解あるふりをする人がいた。 作業療法士の、茂木一典さんという男性。作業療法士は女性の方が圧倒的に多く、男性は数が少ない。茂木さんは、私の絵を見るやいなや、 「障害者文化祭に絵を出してみない?」 パンフレットを手渡してきた。私は募集要項を読んでから、茂木さんに問い掛ける。 「私に何のメリットがあるんですか?」 茂木さんは、目をキラキラと輝かせて、 「自己表現っていうのは人間の欲求のひとつで、見返りがあるからやるとかそういうものじゃないと、僕は思うんだけどな。表現すること自体に喜びを見出だして、表現した作品を多くの人に見てもらいたいって、自然な気持ちでしょう?」 古いテレビドラマの、熱血教師みたいなことを言い出すので、私は笑いを堪えるのに必死だった。私の絵は、誰かに見せるために描いているつもりはない。 ただ、自分の目に映った形と色を、自分のフィルターを通して、吐き出しているだけだ。39キロまで痩せた私が、食べ過ぎた食物を嘔吐するのと同じ。吐き出さないと気持ち悪いから、描いてるだけ。 そこまで体型にこだわる気持ちがわからないと、よく言われてきた。もっと分かりやすく変換するのなら、乾燥してかさついた肌をついつい搔きむしってしまう、無意識に皮膚を爪で擦ることと絵を描くことは、私にとって同じだ。痒いから搔く、絵にして吐き出さないと気持ち悪いから、描く、ただそれだけのことでそれ以上の欲求はない。 無言で俯く私に茂木さんは、見当違いな一言を更に付け足して、他の患者の方へ移動した。 「プレッシャーになるかな?ごめんね」 私は、この男が嫌いだと再認識した。痒む肌を搔くことがプレッシャーになる人間などいる訳がない。そうやって、おだてて私を目立たせて、指導したのは僕なんですって自慢したいのが見え見えだった。 どうして人の評価をそんなに欲しがるのか? いつもどんなときも、人との距離感が遠い私には理解出来ない。そして、障害者だけどこんなに凄い絵が描けるんですという、障害者という鉤括弧で括られるのもごめんだ。 人々の心の中にある、障害者は健常者より劣るはずだという、障害者を見下した思い込みの上に成り立つ、障害者アートなんて、糞食らえと思っている。 例えば、私が普通の絵画教室に通っていたとして、私の絵を展覧会に出して見ないか?と講師は言うだろうか?自分でも印象派の真似事だと自覚している。普通の人が通うような絵画教室なら、けちょんけちょんに扱き下ろされるだろう。 モネやルノワールの点描画の模倣に過ぎない、円を切り貼りする技法だけで目立とうとしている、個性が足りない。これは、私が健常者だった頃に、中学や高校の美術コンクールの講評で、実際に言われた言葉だ。 障害者という高下駄を履かなきゃ、評価されない絵に何の価値がある?同情と憐憫と障害者なのに凄いという称賛を受けるために出展する? 馬鹿らしい。私は私のためだけに絵を描いている。利用されるのはもうたくさんだ。
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