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楓さんの言う通り、宮尾酒店はとてつもなく暇だった。
「宮尾って、みゃおって感じで可愛いですよね」
一応、箒を持って、店の前を掃除しているフリをして、入り口のそばにずーっと座ったままの楓さんに声を掛ける。僕はもちろん、掃除してます。
「あー、それ、昔、誰かにも言われた事あるよ。誰だっけな」
「このエプロンもカッコよくて素敵ですけど、宮尾じゃなくて、みゃおって書いてあっても可愛いかも。お揃いでTシャツも欲しいなぁ」
「確かに、宮尾だと堅いよね。みゃおに作り直そうかな」
手招きしている楓さんに近づくと、僕の腰に巻かれているエプロンの裾を持って、楓さんが広げた。
「みゃおにするなら、猫耳カチューシャ付けてくださいね」
「え、俺が?つけるなら、司きゅんでしょ」
「店長は楓さんなんだから、楓さんがつけなきゃ、意味ないですよ」
「やだよ。龍さんにつけさせよ」
「めちゃくちゃ嫌な顔しそうですね」
「酔わせちゃえばいいんだよ」
酔っ払った龍さんが猫耳カチューシャをつけて、みゃおって言うところを想像して、僕と楓さんがお腹を抱えて笑っていると、真っ黒なスーツを着て、サングラスをかけた男の人が僕たちの傍に音もなく立った。
「いらっしゃい。何をお探しですか?」
動揺している僕の隣で、楓さんはいつもの調子で、黒スーツさんに話しかけている。猛者だ。
「2001年産のパヴィヨン ブラン デュ シャトー マルゴーを探しているのですが、こちらにありますでしょうか」
2001年のワインって、ヴィンテージワイン?驚いて楓さんを見上げると
「ありますよ。1本ですけど」
「1本で結構です。見せて頂けますか?」
「もちろんです。中へどうぞ」
地下のワインセラーから木箱に入った白ワインを持ってくると、カウンターに乗せ、黒スーツさんに確認を取る。
「こちらでよろしいですか?」
「間違いないです。こちら、頂きます」
なんだか長い名前をしたワインのお値段はびっくりするくらい高かった。そんな高級ワインが、楓さんのお店にあるなんて思ってもいなかったので驚いた。楓さんって実は、ヴィンテージワインとかにめちゃくちゃ詳しい、ソムリエかなんかなんじゃ……。
呆然としている僕の隣で、楓さんは慣れた手つきで高級ワインにラッピングを施し、黒スーツさんに手渡した。
「ありがとうございました。助かりました」
「いえ、こちらこそ、こんな寂れた商店街まで足を運んで頂き感謝します」
「また、来ます」
「お待ちしてます」
黒スーツさんは、サングラスをかけていても分かるくらい嬉しそうだった。あのワインを贈られる人は幸せだ。
「はぁー、今日の売り上げ目標達成ー。さぁ、のんびりしよ?」
楓さんはそう言って伸びをすると、あっという間に店じまいをしてしまった。売り上げはあるって、言っていたのは、こういうことかと妙に納得した。
お店の奥にあるお部屋に上がり、さっさとエプロンを外してしまった楓さんに声をかける。
「楓さんって、ワインに詳しいんですね」
「え?詳しくないよ。親父がさ、好きだったんだ。それでうちにはヴィンテージワインが、山ほどあるわけ。金掛けてワインセラーまで使っちゃってるから、保存状態は悪くないし、宝の持ち腐れじゃん?で、龍さんに相談したら、ホームページを作ってくれたんだ。それで、あーゆーお客さんがちょくちょく来るってわけ」
「そうなんですね」
「だから、暇でも大丈夫ー。それにしても、龍さん、遅いね」
ゴロンと床に寝転がった楓さんが、壁にかかっている時計を見て、それから僕を見た。時計は15時を指している。そんなに時間は掛からないって言っていたけど、何かあったのかな……。電話したいけど、打ち合わせ中だったら、邪魔しちゃうよね。
スマホを握りしめながら、どうしようか考えていると、お店のドアが開いた。
「ただいまー」
「龍さんだ‼︎おかえりなさい」
お留守番していた犬みたいに、喜び勇んで龍さんを迎え入れた。
「遅いから心配してました」
そう言って、抱きつこうと両手を広げた時、龍さんの左頬が赤く腫れていることに気がついた。
「どうしたんですか、それ」
手を伸ばして、頬に触れると、微かに熱を持っている。
「早く冷やさなきゃ」
「いや、いい。これは、罰だから」
「罰、ってなんですか?」
「とりあえず帰ろう。話はそれから。楓、今日はありがとな」
龍さんの視線の先にいる楓さんは、黙って頷いた。その時、唐突に理解した。何も知らないのは、僕だけなんだ、って……。
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