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午後の講義は集中して聞くことができた。学ぶことは楽しい。それでも僕は、きっと寂しさを乗り越えることはできないと思う。どんなに自己暗示をかけたって、周りの人に励まされたって、寂しいものは寂しい。
だから、乗り越えるのはやめた。僕は、寂しさを抱えて、一緒に歩いて行く。この道の先に、龍さんが待っててくれるって、信じて……。
アパートに続く公園内の遊歩道を歩いていると、パーカーのポケットの中でスマホが鳴った。画面には、龍さんの名前が浮かんでいる。離れていても声が聞けるだけ、幸せだよね……。
僕は、近くにあるベンチに座って、ひとつ深呼吸してから電話に出た。龍さんからの電話には、すぐ出られないんだ。泣きそうになってしまうから……。
「もしもし」
「もしもし、司?」
「はい。司です」
「今、大丈夫?」
「はい。もう家に向かって歩いているところなので、大丈夫です。あ、今は公園のベンチに座ってますけど」
「司って公園好きだよね」
「好きです。なんだか落ち着くんです。あ、僕が住んでるアパートの前に、大きめの公園があるんですけど、商店街の近くにある公園にちょっと似てるんです」
「あぁ、確かに。木の植え方とか、遊歩道の造りとか、後、東屋っぽいのもあるしね」
「そうなんです。こっちでは、東屋って言わないんですけど……、って、え?どうして、知ってるんですか?」
龍さんは、僕の住んでいるアパートどころか、この公園にだって来たことがないはずなのに……。もしかして……。
ベンチから立ち上がり、辺りに忙しなく視線を向ける。いない、いない、いない……。どこにも、いない。
そうだよね、やっぱり、いるわけないよね。分かってるけど……、分かってるけど期待しちゃった……。
「もしもーし、司ー?」
電話の向こうから、龍さんの声が聞こえる。すぐ傍にいるみたいなのに——遠いよ……。
「っ、うぅっ……、会いたい、です」
堪えきれなかった。僕の目からは涙が溢れて、色づき始めた公園の景色が、あっという間にぼやけていく。
カラフルな花が咲いてるんだよ?青々とした木々は、太陽に向かって、葉を広げてるんだよ?池では、鳥達が羽を休めてるんだよ?早朝は、陽の光が反射して、景色が輝いて、とっても綺麗なんだよ?
一緒に見たいよ……。
「っ、……うぅっ、龍さんに、会いたいっ」
泣きながら俯いて、小さく呟いた時、背中がふわりとあたたかくなって、自分が抱きしめられていることに気がついた。
「来ちゃった」
耳元に響いたのは、紛れもなく龍さんの声だった。
「え?は?え、な、なんで?」
勢いよく振り向いて、スマホと龍さんの顔を交互に確認すると、龍さんがおどけたように肩をすくめる。
「司に会いたいなーって思ったら、いつの間にかここにいた。魔法かな」
「嘘つきっ。なんですか、その格好っ。スーツなんか着ちゃって、髪型もぴしっとしちゃって、全然いつもの龍さんじゃないじゃないですかっ」
商店街にいるいつもの龍さんは、細身のパンツにオーバーサイズのTシャツを来て、袖は捲っていたり、捲っていなかったりで、腰には足首までのギャルソンエプロンを巻いてて、髪も後ろでくるっと纏めてて、ぴょんって跳ねる毛先が可愛いのに……。
ピシッとしたスーツに、ピシッとした髪型をして、ただでさえ高い身長をさらにアピールするみたいに、背筋を伸ばしているなんて……、カッコ良すぎるっ‼︎
「あー、まぁ、そうね。いわゆる、出張だよ。こっちのホテルで、ちょっと仕事を頼まれたんだ。司のパパに行ってこいって言われたら、断れないじゃん?」
「……出、張……。そっか、そうですよね。僕に会いたくて来てくれたわけじゃないんですね……」
龍さんがスーツを着てる時点で、そんな気はしてたけど、ちょっとショック。いや、めちゃくちゃショック。出張だとしても、他に言い方があると思うんだ。なんか、なんか、モヤっとする。
あぁ、ヤダな。龍さんに会えて嬉しいのに、こんなこと考えてるなんて、面倒くさいヤツじゃない?僕って……。
「もう、不貞腐れるなよー。可愛くてキスしたくなっちゃうじゃん。ほら、久し振りに会ったんだし、抱きしめさせて」
余裕たっぷりの微笑みで、両腕を広げている龍さんが憎いっ‼︎僕は、泣くほど会いたかったのにっ‼︎そもそも、可愛いとか、キスしたいとか言えば、誤魔化せると思ったら大間違いなんだからねっ。
「……龍さんも、僕に会いたかったですか?」
「そんなの、会いたかったに決まってるじゃん」
「……本当に?」
「本当だよ。楓に聞いてみる?」
「……どれくらい?」
「ん?」
「……どれくらい、会いたかったですか?」
僕の言葉に、龍さんが顎に手を当てて思案している。なんて言ったら、僕の機嫌が直るか考えてるんだろう。お手並み拝見だねっ。
「うーん。そうだな。手っ取り早く説明すると、こっちに来たのは出張だよ、と言いながら……、実は、こっちのホテルで働いてくれるなら、司の卒業まで一緒に暮らしても良いよっていう許可を、司のパパとママに貰えるくらい、かな」
「……………………は?」
「だーかーらー」
龍さんは目が点になっている僕の腕を掴み、そのまま引き寄せ、耳元に囁いた。
「また、俺と一緒に暮らさない?」
龍さんはズルい。そんなこと言われたら、嬉しくて泣いちゃうじゃんっ。
「本当、に?」
「本当だよ」
「本当に、本当に、ずっとこっちにいるの?」
「いるよ。ずっと司の傍にいる」
「龍さん、大好きっ」
陽の傾き始めたオレンジ色の公園で、僕たちは抱き合って、そして——キスをした。
キミの隣、ふわり——心が、ほどけてく……。
Fin
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