実家に帰る

2/2
前へ
/11ページ
次へ
 昼を回っても雨は止む気配がなかった。窓から庭を見下ろすと、紫陽花が長雨を嘆くように項垂れているのが見える。  窓の景色は子どもの頃から変わっていない。僕自身、外見こそ余分な脂肪がついたものの中身はなにも変わっていない。  もし、いまの僕が子どものころに戻り、一からやり直したらどうなるだろう。今と違う僕になれるのだろうか。  いや変わるわけがない。  結局は同じ人生を歩むはずだ。  僕はウジウジ考える。  つまり、人生は何度やり直しても変わらないと。  部屋の片づけに疲れた僕の脳裏に昨日あったことが浮かんでいた。  実は昨日、部長に頼まれたときにかけられたひと言は僕の胸にグサリと刺さるものだった。 「おまえはなにを考えとるかわからん。どういう生き方をしてきたんだぁ? 真面目なんはわかるけど、もっと自分の意見をはっきり言え。いまのままだと営業は務まらんぞ。この会社でやっていくつもりなら変わらないとな。あ、そうそう、おまえに頼みがある。女子更衣室の電球を替えといてくれ。切れてたから。こういうのは、おまえぐらいしか頼めるやつがいないんだ」  僕だってお客さんと約束があったのに。  結局なにも言わず電球を取り替えた。普段から自分の意思をハッキリさせない僕は、入社以来いいように使われている。  人に自慢できるような特技はない。営業に必須のトーク術もない。ないものづくしの僕にただひとつ自慢できることがあるとすれば、小学校からつづいている日記だろう。  小学校にあがってすぐのことだ。  父から、「字を書く練習がてら日記を書いてごらん」と渡された、白蛇の写真が表紙を飾る日記帳がきっかけだった。 「日記には、その日あったことやこれからやりたいこと、自分の思ったことを書いたらいい。字も覚えるし、考える力も身につく。将来、ぜったいに役に立つ。そのためにも……」  日記の話から父は、勉強論や人生観について、身ぶり手ぶりで熱く説法してくれた。  あのころの父の言葉は僕にとって道しるべだった。父の言うことはなんでも正しく、僕は父のことが大好きで誰よりも尊敬していた。  だけど、いまの父は背中を丸めてちびちび酒を飲むことを楽しみにしている、ごく普通の会社員だ。  まるで威厳はない。どうしてあのころの父が大きく見えたのか、いまでは不思議なぐらいだ。  それにしても父に勧められてはじめた日記は、僕の人生になにかしら役に立っているのだろうか。  書棚から、その日記帳を取り出した。  僕が日記をはじめるきっかけになった、父からもらった日記帳。  表紙の白蛇が久しぶりと言わんばかりに僕を睨んでいる。  すっかり変色したページを開く。  古い紙の匂いととともにあのころの自分に対面するようで胸がざわつく。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加