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しばらくして再びエレベーターの扉が開いた。降りてきたのは、ちょうど三名。《レッド=ドラゴン》の六華主人と幹部たちだ。
黄家の当主である黄鋼炎、左隣には彼の甥である黄雷龍。そして中央には、燃え上がるような深紅のチャイナドレスを身にまとった紅神獄の姿がある。
彼女のチャイナドレスは、よく見ると濃い紅色をした大きな牡丹が刺繍してあり、ところどころ金糸まで使われている。服のことはよく知らない深雪でも、かなり値が張るだろうとひと目で分かる代物だ。
真っ赤な衣装に合わせてか、チークやアイシャドウ、ルージュも濃い。艶やかで美しいものの、まるで京劇の役者のようにどこか現実味に欠けている。
深雪の視線は彼女に釘づけとなった。深雪が紅神獄の姿を目にするのは、これが初めてだ。その隣でオリヴィエが小さく告げる。
「《レッド=ドラゴン》側も到着したようですね」
「あの真ん中の赤いドレスを着た女性が、紅神獄……?」
深雪が半ば呆然としつつつぶやくと、六道は小さく頷いた。
「ああ、そうだ。彼女が《レッド=ドラゴン》の現六華主人だ」
(あれが真澄なのか……!!)
深雪の心臓はにわかに早鐘を打つ。紅神獄の顔はメイクが濃すぎて、そこから真澄の面影は感じられない。ただでさえ深雪の記憶にある真澄は十代のままで、三十代半ばの紅神獄とは印象が重なりにくい。
足取りや立ち姿も、記憶の中の真澄とはまるで違う。《ウロボロス》にいた時の真澄はどちらかと言うと恥ずかしがり屋で、いつも深雪や火矛威の後ろに隠れていたが、紅神獄である彼女は威風堂々と立ち振舞い、真っ赤なハイヒールも優雅に履きこなしている。
真澄はどうだろう。深雪の存在に気づいただろうか。今のところ目立った反応は示していないが。
そんな事を考えていると、《レッド=ドラゴン》の面々が深雪たち《死刑執行人》に近づいてきた。最初に口を開いたのは、黄家の当主である黄鋼炎だ。大柄な体を折って、六道に深々と礼を述べる。
「東雲探偵事務所の《死刑執行人》か。KiRIの殺害に関する真実を突き止めたそうだな。まずは我が同胞のために尽力いただき、感謝する」
「お気になさらず。我々は《収管庁》の意向を受けて動いたまでです」
六道が片手を上げて押し留めると、鋼炎もつと目元を緩めたものの、次の瞬間には表情をきつく引き締める。
「そう言ってもらえると有難い。だが……それはそれ、これはこれだ。調査の結果次第では我々も容赦はせんぞ! この件に《アラハバキ》が噛んでいるならなおさらだ! 連中は幾度となく我々を欺き、陥れようとしてきた……これ以上の侮辱は断じて許さん!!」
黄鋼炎の声は重厚感があって力強く響く、まるで龍の咆哮ようだ。続いて甥である黄雷龍も、牽制するかのように吠える。
「そうだ! 《アラハバキ》の連中を少しでもかばうなら、お前たち《死刑執行人》も俺たちの敵だぞ! 何故、俺たちの宝だったKiRIを、あんな残酷な方法で殺したのか……連中の口からきっちり説明してもらう!!」
「……」
六道の斜め後ろから様子を窺いながら、これはまずいのではないかと深雪は冷や汗をかく。
(マリアは『滝本が犯人説』で押し通すって言ってたけど、この様子だとかえって悪手なんじゃ……?)
KiRIの殺害はあくまで滝本の個人的犯行であり、《アラハバキ》とは一切関係無い――という深雪たちの用意している説明を、《レッド=ドラゴン》側がすんなり受け入れるとも思えない。
早くも会談の先行きに不安を覚えた深雪が、かなりの荒れ模様となるだろうと危惧していると、これまで黙していた紅神獄が艶やかな紅い唇を開き、黄鋼炎と黄雷龍をやんわりとたしなめた。
「おやめなさい、二人とも。彼らは《死刑執行人》……確かに日本人ですが、《アラハバキ》とは違うのですから」
(この声……!)
紅神獄の発した声を聴いて、深雪は思わず胸が詰まった。二十年前にくらべて少し低い声で、口調も落ち着いている。おそらく威厳を保つため、そうした話し方をしているのだろう。
それでも真澄の声だ。いつも深雪と火矛威のそばにいて、どれだけ体調が悪くても気丈に笑っていた。間違いなく真澄の声だ。
「……申し訳ありません、神獄さま。差し出がましいことを言いました」
黄鋼炎がわずかに身を引くと、彼の甥である黄雷龍も渋々と続く。紅神獄は二人を咎めることなく、やはり淡く笑う。
「謝らずとも良いですよ。私も心情は同じですから。けれど、東雲探偵事務所の《死刑執行人》がせっかく調査を行ったのです。まずはそれを聞いてみましょう。その上で、《アラハバキ》側がどのような無様な言い訳をするか……私たちはただ待っていれば良いのです」
「……御意」
それから紅神獄は六道へ挑むような視線を向けた。
「ねえ、東雲さん。《アラハバキ》側に過失があるのであれば、同じ日本人であるあなた方が、それ相応のけじめをつけてくださるのでしょう?」
「全ては《収管庁》が判断することです。我々はその判断に従うまで」
「あら……冗談がお上手ね。あなたが大人しく《収管庁》に従ったことが一度でもあったかしら?」
「……さて、何のことでしょうかな?」
六道と神獄との間には、互いに手の内を知り尽くした好敵手のような雰囲気が漂っていた。決して馴れ合っているわけではないが、憎しみ合っているわけでもない。腹を探り合い、距離を取り合う格闘技の選手のようだ。
(そういえば……六道も紅神獄もかつて《ウロボロス》にいたんだ。つまり、六道と真澄は二十年前からお互いを知っているのか……?)
深雪は《ウロボロス》時代の六道をはっきりと覚えていない。事ここに至っても思い出せないのだ。《ウロボロス》は百人を超える大所帯で、さすがの深雪も全員を把握しきれていない。初期メンバーは一人ひとりはっきりと覚えているから、六道はおそらく急激にメンバーが増えた後期に《ウロボロス》に入ったのだろう。
真澄は六道のことを覚えているのだろうか。《ウロボロス》にいた時の六道を知っているのだろうか。もっとも、この場で尋ねるわけにもいかないが。
紅神獄は六道を見つめる視線を伏せて小さく微笑むと、今度はその視線を深雪へと向ける。
「ふふ、まあいいでしょう。ところで……こちらの少年は? 始めてみる顔ですね」
「ええ、うちの新しい《死刑執行人》です」
「雨宮深雪です。は……始めまして」
六道の紹介を受けて、深雪は紅神獄に頭を下げた。普通に挨拶するつもりが、緊張のあまり声が裏返ってしまった。それを聞きつけた黄雷龍は、獅子のようなまなじりを吊り上げる。
「おい! 何だ、神獄さまに対してその無様な礼は!?」
「えっと、すみません。緊張して……」
深雪が慌てて顔を上げると、偶然に紅神獄と視線がかち合った。
「良いのですよ、雷龍。……可愛い《死刑執行人》さんね。私は紅神獄、《レッド=ドラゴン》の六華主人です。今後とも、どうぞよろしくお願いしますね」
「いえ……こ、こちらこそ……!」
深雪がしどろもどろに答えると、神獄は優美な笑みを浮かべた。深雪はどきりとして息を呑んだ。目元を緩めると真澄の面影を感じる。よく見ると、娘の火澄とも似ているだろうか。
深雪や火矛威の前で、いつも笑顔を見せていた真澄。体が弱く、寝込むこともしばしばだったが、その辛さを口にすることはほとんど無かった。《ウロボロス》を守りさえすれば、三人でずっと一緒にいられると信じていた。二十年前の幼くも愛しい日々が鮮やかに蘇ってきて、深雪は涙がこぼれそうになる。
(真澄だ……! 彼女は間違いなく、俺たちの仲間だった真澄だ……!!)
火矛威から紅神獄の正体を知らされた後も正直、ピンと来なかった。火矛威の話が信じられないわけでは無かったが、深雪にとって紅神獄はそれほど遠い存在だったのだ。
こうして実際に話してみると、紅神獄は紛れもなく式部真澄なのだと、深雪は確信を抱く。
一方、紅神獄は黄鋼炎と黄雷龍を連れてその場を離れると、会談が行われる会議室の前に移動し、その扉が開くのを待つことにしたようだ。《レッド=ドラゴン》と《アラハバキ》は距離を取りつつ、互いに睨みあってはいるものの、今のところは衝突するつもりは無いらしい。
真澄に会えた喜びと感動。逆に真澄が遠いところへ行ってしまったような寂寥感。様々な思いが去来し、深雪は胸がいっぱいになる。思わず目頭が熱くなり、手の甲で目元を擦っていると、それに気づいたオリヴィエが心配して声をかけてきた。
「……深雪? 大丈夫ですか?」
「いや、何て言うか……あんまりきれいな人だったから」
「そうですね。けれど、紅神獄の体調が良くないという噂は、数年前から囁かれています。噂が本当なら、《レッド=ドラゴン》はこれから試練に立たされることになるでしょうね」
「……!」
紅神獄の健康不安説は、これまでも幾度となく耳にしたことがある。ただでさえゴーストは寿命が短い。ただの噂の可能性もあるが、事実だろうと深雪は思っている。
(真澄は昔から体が弱かったからな……ちょっとしたことで熱を出しては、火矛威と俺が看病してた。今は具合が悪くなさそうだけど……確かに心配だな)
真澄が死んでしまったら深雪はとても辛いし悲しいが、《レッド=ドラゴン》にとっては悲嘆に暮れていられないほど途轍もない損失となるだろう。《レッド=ドラゴン》が内部分裂や組織崩壊を起こせば、《監獄都市》全体にも必ず累が及ぶ。それほど、《レッド=ドラゴン》の影響力は今や大きくなっているのだ。
六道も先が長くない。こうして会談を行えるうちはまだいいが、紅神獄や六道がこの世を去ったら《監獄都市》はどうなってしまうのだろう。深雪たちを始め、残される者にとっては深刻な問題だった。
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