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第5話 紅龍芸術劇院①
深雪たちが《収管庁》に呼び出された、まさにその頃、《レッド=ドラゴン》にも激震が走っていた。
とくに黄家は事件現場となった紅龍芸術劇院の経営と管理を担っていたこともあり、KiRI殺害事件には怒り心頭だった。
何せ容疑者とみられる男が《アラハバキ》の構成員なのだ。黄家の邸宅、黄龍太楼―――通称、黄城では雷龍が激高し、どういうことなのかと伯父である黄鋼炎に食ってかかる。
雷龍と鋼炎は考え方の違いからたびたび対立し、衝突してきたが、今回は事件が事件なだけに双方ともより一層、感情的になっていた。
「雷さま! 雷さま、お待ちください!」
影剣が慌てて二人の間に割って入ろうとするが、雷龍は止まる気配がない。影剣を押しのけ、なおも鋼炎に迫る。
「放せ、影剣! 伯父貴、どういう了見だ!! KiRIがあんな殺され方をしたってのに、なんで《アラハバキ》に報復しねえんだよ!?」
すると鋼炎はクワッと目を見開き、雷龍を一喝する。
「雷龍、早まるでない。自重せよ! まだ《アラハバキ》が犯人だという証拠はどこにもないのだぞ!!」
「証拠……? 証拠なんて要らねえだろ! あったとしても連中がとっくに隠滅したに決まってる! あんな残虐非道な真似ができるのは《アラハバキ》の奴らだけだ!!」
「口を慎まんか、雷龍! 将来、人の上に立とうという人間が憶測でモノを語るなど軽率に過ぎるわ!」
「伯父貴は考えが甘いんだ! いいか、連中は俺たちの誇りであるKiRIを狙ったんだぞ! わざわざ非戦闘員だった彼女を殺したんだ! 俺たちに精神的なダメージを与えるために違いねえ! 連中は俺たちをナメてやがる……!! やられたら十倍にしてやり返すべきだ!!」
「愚かなことを……それで犯人が《アラハバキ》でなかったら、どうするつもりなのだ? 感情に任せて《アラハバキ》に攻撃を仕掛け、それがただの勘違いであれば報復を受けるのは我々なのだぞ! お前は自分の復讐心を満たすためだけに《レッド=ドラゴン》を破滅させるつもりか!?」
鋼炎に指摘され、雷龍は一瞬だけ怯んだものの、すぐにじろりと伯父を睨み返す。
「……じゃあ伯父貴は《アラハバキ》が犯人だという証拠さえあれば、報復してくれるのか? 本当は真相がどうであれ、事件を握り潰すつもりじゃないのか!?」
「何……?」
「《休戦協定》が結ばれてから、伯父貴たちは《アラハバキ》や《収管庁》、《死刑執行》の顔色を過剰に窺うようになった。確かに抗争は減ったのかもしれないが、それは俺たちの誇りと引き換えの偽りの平和だ! そんなのは間違ってる……誇りを踏みにじられるくらいなら《休戦協定》なんて必要ない!!」
「雷さま、おやめください!!」
ところが影剣が止めるのも虚しく、とうとう鋼炎の容赦ない鉄拳が雷龍の頬を張る。
「この大馬鹿者が!! お前は何も分かっとらん!!」
「違う! 分かってないのは伯父貴のほうだ!」
「黙れ! 《休戦協定》を締結されたのは神獄さまだぞ! 神獄さまが《アラハバキ》や《収管庁》との交渉にどれほど尽力されたか……! その恩恵を思う存分に享受しておきながら、己の復讐ごときのためにその努力を水の泡にするつもりか!?」
「くっ……!」
神獄の名を出され、今度こそ雷龍は黙らざるを得なかった。彼女は《レッド=ドラゴン》の頂点に君臨する六華主人であるが、それだけが理由ではない。
神獄が組織のために身を粉にして働いているのは周知の事実だ。雷龍もまた神獄に尊敬の念を抱いている。それは《レッド=ドラゴン》の構成員であれば、誰もが大なり小なり抱いている感情であろう。
さすがに、それ以上の反論は憚られた。
「……いずれにしろ真相を突き止めるのが先だ! 確かな証拠がなければ、正しい判断を下すことはできん。報復などもってのほかだ! よって真相を確かめるため、東雲探偵事務所の《死刑執行人》が事件の調査に当たることになった。お前は彼らを事件現場に案内し、調査に協力しろ! ……よいな!?」
そう言って鋼炎は踵を返すと、黄龍太楼の広々とした廊下を歩き去っていく。雷龍は苦々しい感情を抱えたまま、鋼炎の大きな背中を睨みつけた。
「くそっ……!!」
「雷さま……」
影剣は頬を赤く腫らした雷龍を支えながら、私室へと連れて行く。そして氷水の入った水桶と手拭いを持ってくると、冷水で浸してから手拭いを絞り、雷龍の頬に当てる。
「雷さま、大丈夫ですか?」
影剣がふて腐れたような顔をして椅子に腰かける主に声をかけると、雷龍は不機嫌さを隠しもせず、吐き捨てるように答える。
「これくらい平気だ。それより……伯父貴はやり方が生温いんだ! 《アラハバキ》の顔色を窺ったところで、つけあがるだけだ! 俺たちを見下しているくせに、《東京中華街》の富だけはかすめ取ってやろうと舌なめずりをしている……そんな連中とまともに話をする必要はない! 力で思い知らせるしかないんだ!!」
「しかし……雷さま。お気持ちは分かりますが、鋼炎さまと対立するのはおやめください。鋼炎さまには鋼炎さまの、お立場というものがあるのです」
「……。分かってる、影剣。今は伯父貴が黄家の当主だ。だが……俺は諦めないぞ。俺が六華主人になったら《アラハバキ》を叩き潰して吸収してやる! 土地さえあれば《東京中華街》はさらに成長し、発展できるんだ。そうすれば《休戦協定》に縛られ、《収管庁》の機嫌をうかがう必要もなくなる。みなが幸せになれるんだ! だったら何を躊躇する必要がある?」
「しかし……そう上手くいくでしょうか? あまり《アラハバキ》を侮らないほうが良いのでは?」
一時期ほどの勢いは失われているものの、《アラハバキ》が《監獄都市》の大部分を支配しているのは事実だ。影剣は控えめに主張するが、雷龍はそれがどうしたと言わんばかりに唇を歪め、冷笑を浮かべるのだった。
「ははっ、連中の体たらくを見ろ! 確かに昔は勢いがあったのかもしれんが、今や完全に老いた豚だ。《アラハバキ》の若い構成員は多額の上納金に喘ぎ、糊口を凌いでいるって話じゃねえか! 《アラハバキ》は数こそ多いが、所詮は烏合の衆。経済力では《レッド=ドラゴン》とて負けはしない!」
「……」
影剣はそれ以上、何も口にしなかったが、その瞳には心配の色が浮かんでいた。
影剣は幼い頃から雷龍とともに育ってきたため、その性格をよく知っている。雷龍は良く言えば理想が高く純粋であるが、悪く言えば直情的で感情に流されやすいところがある。影剣はそんな主をいつも案じていた。
《レッド=ドラゴン》の内部も《アラハバキ》に負けず劣らず複雑だ。いつか雷龍が、その気質に足元を掬われる日が来なければいいのだがと。
影剣の心中を知ってから知らずか、雷龍は嘲笑を引っ込め、腕組みしつつ低い声で続けた。
「ともかく、今は東雲の奴らの相手をしねえとな。伯父貴にどやされるし、この《東京中華街》で《死刑執行人》にでかい顔をさせるわけにもいかない。事件があったのは紅龍芸術劇院だったな?」
「はい、そうです」
「《死刑執行人》か……くそっ! この街は俺たちの敵ばかりだ!」
雷龍は腹立たしげに吐き捨てると、頬を冷やしていた手拭いを水桶に叩きつけるのだった。
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