第5話 紅龍芸術劇院①

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 深雪たちが旧都庁から事務所に戻ると、六道の言った通り神狼(シェンラン)が姿があった。ちょうど中華料理屋(龍々亭)の仕事が終わったところなのだろう。いつもの黒いチャイナ服を着て深雪たちを待ち受けていた。  深雪も慣れないスーツから普段着に着替えると、そのまま神狼やシロとともに《東京中華街》に向かうことになった。深雪が《東京中華街》に足を踏み入れるのは、前回の潜入(せんにゅう)に続いて二回目だ。  《東京中華街》には劇場通りと呼ばれる、大小の劇場が二十以上も連なった、にぎやかな通りがある。そのほとんどは観光客向けの施設で、最新のテクノロジーを用いた演劇や伝統舞踊(でんとうぶよう)雑技(ざつぎ)、アーティストのライブが日夜、(もよお)されている。  そのため劇場通りは《東京中華街》の人気観光スポットのひとつでもあった。  中でも紅龍芸術劇院は最大規模を誇る劇場で、《東京中華街》でもトップレベルのアーティストやエンターテイナーしか公演できない。 (昔で言うところの武道館(ぶどうかん)みたいなものか……?)  その説明を聞いた時、深雪は真っ先に武道館を思い浮かべた。もっとも現在の武道館は半壊し、右半分が焼失してしまっているが。  紅龍芸術劇院に到着すると、黄雷龍(ホワン・レイロン)黄影剣(ホワン・インチェン)が深雪たちを待ち構えていた。影剣はいつもと変わらないように見えるが、雷龍はあきらかに不機嫌そうだ。それでも同胞である神狼(シェンラン)の姿を目にすると少しだけ顔を緩める。 「……神狼か」 「お久しぶりです、雷さま。お変わりありませんか?」 「ああ、お前も元気そうだな」 「さっそくだが事件現場を見せてくれ」  横から口を挟む流星に雷龍は表情を一変させると、敵愾心(てきがいしん)もあらわにぎろりと(にら)みつける。 「赤神か……先に言っておくが、くれぐれも劇場内で勝手な行動は取るな。ましてや、その汚い手で紅龍芸術劇院を荒らすなど絶対にしてくれるなよ。お前らには想像もつかないだろうが、この施設には莫大(ばくだい)な金と手間がかかっているんだ」  必要以上に嫌味(いやみ)たらしい口調だったが、流星も負けじとばかりに雷龍を正面から(にら)みかえす。 「そちらこそ俺たちの調査を妨害(ぼうがい)しないよう気をつけてくれ。俺たちは《収管庁》の依頼でここに来ている。それを忘れないことだ」  その言葉に激怒したのは雷龍に付き従っている影剣だ。 「貴様! なんだその口の利き方は!? 我々はお前らに協力してやっているのだぞ!」 「よせ、影剣。その調査とやらで本当に真実を突き止められるのか、高みの見物といこうじゃないか。まあ調査などしなくても、犯人は最初から分かり切っていると思うがな」 「……」 「ついて来い」   さっさと用事を済ませたいのだろう。雷龍と影剣は会話を切り上げると、先に立ってエントランスから劇場内へと入っていく。深雪たち東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》は互いに顔を見合わせると、その後に続くのだった。  紅龍芸術劇院の内部はため息が出るほど高級感にあふれ、縦も横も広々としていた。大理石の壁や柱はまばゆいばかりの光沢を放ち、天井からは鍾乳洞の石柱を思わせる豪勢(ごうせい)なシャンデリアが垂れ下がっている。  正面から入ってすぐに二階席へ向かう階段は扇状(おうぎじょう)に広がっており、まるでヨーロッパの城のようだ。手すりの一つ一つ、柱の一つ一つの趣向(しゅこう)を凝らしつつも、全体は上品にまとまっている。よほどセンスのある建築家が設計したのだろう。  床に敷きつめられているのは深い緋色の絨毯(じゅうたん)だ。信じられないほどふかふかで、靴を履いた下からでも弾力が伝わってくる。思わず靴を脱ぎ、素足で歩きたくなるような感触だ。《東京中華街》随一の劇場というだけあって、何もかもが贅沢(ぜいたく)にできている。  しかし、劇場内は閑散(かんさん)としていた。ちらほら劇場スタッフらしき人々が清掃(せいそう)しているものの、観客は誰一人いない。事件の影響で公演はすべて中止になっているらしい。  深雪は前を歩く雷龍たちの背中を見ながら、流星に小声で話しかける。 「……なんだか雷龍(レイロン)さんの顔、腫れてない?」 「どこかでぶつけたって感じじゃないな。おそらく黄家の当主にでも殴られたんだろ」 「そのせいで不機嫌なのかな?」 「まあ事件が事件だからな。俺たちも慎重(しんちょう)にやろう」  劇場のエントランスホールは無人と言っていいほどで、深雪たちは雷龍に先導されるまま、その奥へと進んでいく。  その間、影剣(インチェン)が聞きたいことがあれば説明してやると言う。どうやら調査に協力するつもりはあるようだ。  流星はさっそく質問を繰り出す。 「殺されたのはKiRIで間違いないのか? KiRIというのは芸名だよな?」 「ああ、KiRIの本名は(チャン)麗雪(リーシュエ)という。年齢は二十四歳。上海生まれのシンガポール育ちで、一時期はオーストラリアに留学していたこともあるそうだ。そのため複数言語を巧みに操るバイリンガルだったらしい」  影剣は(よど)みなく答えながら腕の端末を操作し、空中にKiRIのライブやMV、PVといった映像を次々に浮かべる。  中華風ファンタジー世界―――いわゆる神仙思想をモチーフとしたMVがあるかと思えば、原宿系を連想させるポップでキャッチーな動画もある。また失恋ソングがあるかと思えば、《東京中華街》で撮影されたヒップホップ系の映像もある。  どの映像も手が込んでおり、資金が潤沢(じゅんたく)に投入されているのがひと目で分かる。  ライブの完成度も高く、派手な演出やダンスはもちろん、立体ホログラムを駆使し、この世のものとは思えないほど幻想的な映像空間が広がっている。  中でもKiRIの存在感は群を抜いていた。目鼻立ちのくっきりした人目を惹く美人だが、ダンスや歌も相当な実力だ。ちなみに歌は英語と中国語とマレー語、そして日本語バージョンがあり、どれもKiRIが歌っている。中国語とマレー語は分からないが、英語や日本語のイントネーションは完璧だ。  影剣の説明は続く。 「彼女が《東京中華街》にやって来たのは七年前……彼女が十七歳の時だ。《レッド=ドラゴン》と(ゆかり)のあるスカウトマンが、オーストラリアに留学中だったKiRIをこの街に呼び寄せたんだ」 「何て言うか……すごく存在感のある人だな」  深雪が思わず感嘆(かんたん)の声を()らすと、影剣はどこか誇らしげに胸をそらせた。 「当然だ。この劇場通りには数多くの歌手や俳優・女優・芸人がいるが、KiRIのライブは一番の人気を誇っていた。彼女の名は《東京中華街》だけでなく、《中立地帯》や《新八洲特区》にも知れ渡っていたほどだ」 「確かにKiRIは俺でも知ってるくらいだからな」 「シロも知ってたよ! 《中立地帯》の子はみんな、一度はKiRIの歌を聞いたことがあるんじゃないかな? いつかKiRIのライブに行ってみたいって言う子もいっぱいいるよ」  流星とシロも口々に答える。立場の違いがどうであれ、KiRIが優れたアーティストだったのは、みなの認めるところなのだろう。  それだけにKiRIの殺害事件が《東京中華街》の人々がどれほど大きな衝撃を受けたのか、計り知れないものがある。  深雪がそう考えていると、やはりと言うべきか雷龍(レイロン)が沈痛な面持ちで吐き出した。 「楽屋に熱心なファンが直接訪ねてくることがあっても、KiRIはファンサービスだと気さくに応じていたそうだ。滝本という《アラハバキ》の構成員も熱烈なKiRIのファンだった」 「……」 「KiRIはただの歌手なんかじゃない……俺たちの誇りだった。だから命を狙われたんだ……! これは俺たちに対する侮辱(ぶじょく)であり、挑発(ちょうはつ)なんだ!」  雷龍の声には激しい憤りが(にじ)んでいた。はっきりとは言わないが、この事件の背後に《アラハバキ》がいると確信しているのだろう。  流星はさり気なく釘を差す。 「それは調査してみないと分からないな……ところでKiRIが殺害されているのを発見したのは誰だ?」  すると影剣がその質問に答える。 「第一発見者はKiRIの衣装係を務めていた女性だ。舞台の打ち合わせをするため楽屋に向かったところ、KiRIはすでに死亡していたそうだ」 「その衣装係ハ、滝本の姿ヲ見ているのですカ?」  次いで神狼(シェンラン)が質問すると、影剣は「いや……」と首を振った。 「彼女だけではない。誰も楽屋から出て行く滝本の姿を見ていないそうだ」  その話を耳にした深雪は首をひねる。 「それじゃ、どうして滝本が容疑者だと分かったんですか?」 「滝本が楽屋に入っていくところを見た者がいる。KiRIの死体が発見される十五分前だ。複数の劇場スタッフが楽屋を訪れる滝本の姿を目撃しているから間違いない」 「監視カメラは設置してないのか?」  スタッフの目撃証言だけでは、まだ滝本が犯人だと断定できない。そう考えた流星が問いかけると、今度は雷龍が(さげす)むような視線を返す。 「楽屋だぞ? 大勢の役者が着替えをする場所なんだ。プライバシー保護のため、楽屋と楽屋をつなぐ廊下には監視カメラはひとつも設置してない」 「……そうか。念のために監視カメラのデータをあとで渡してくれ」 「……影剣」 「分かりました。すぐに手配します」
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