第1話 紅神獄の生誕祭

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第1話 紅神獄の生誕祭

 東京中華街・紅龍大酒店――通称、紅龍グラウンドホテル――は《東京中華街》の中でも最も格式の高いラグジュアリーホテルだ。  五十階を越えるホテルには三千室以上の客室数があり、千人以上を収容できる多目的ホールも複数有している。  ウォーターパークやレストラン、ナイトクラブ、さらにはジムやテニスコートといった娯楽施設も充実(じゅうじつ)しており、《壁》の外からやってきたサービスにはうるさい観光客たちの満足度もすこぶる高い。  その紅龍グランドホテルの二階にある巨大多目的ホール―――通称・紅龍ホールで、六華主人である紅神獄(ホン・シェンユイ)の誕生祭が開かれていた。  六華主人とは《レッド=ドラゴン》を統べる代表者を指し、暴力団でいうこところの総組長。マフィアでいうところの首領(ドン)に相当する。  紅神獄が六華主人となってから十四年。彼女は今年で三十七を迎えようとしていた。  そんな紅神獄の生誕を祝うために紅龍ホールへと集まったのは、《レッド=ドラゴン》を支える六つの幹部一族―――いわゆる六家の面々だった。  老若男女みな、シルク製の(あで)やかな光沢のあるチャイナ服に身を包み、胸元や袖口には、それぞれの家の色を示すチャイナボタンがあしらわれている。《レッド=ドラゴン》の構成員はみなチャイナ服を着用しているが、彼らにとっては格式のある正装でもあった。  会場の華やかさとあいまって、色彩が大洪水を起こしている。  ちなみに、この生誕祭を主催(しゅさい)しているのは《レッド=ドラゴン》の最大勢力である黄家の当主、黄鋼炎(ホワン・ガイエン)だ。黄鋼炎は五十代だが身長は二メートル近くもあり、中年とは思えないほど肉体を鍛え上げている。目の前に立つだけで相手に威圧感を与える巨漢だった。  《レッド=ドラゴン》の六華主人は紅神獄であるが、実質的に組織を支えているのは黄鋼炎だと言っていい。それは《レッド=ドラゴン》だけでなく、《監獄都市》で生きる人々にとって周知(しゅうち)の事実であった。  紅神獄の生誕祭は《レッド=ドラゴン》の首領(ドン)を祝う会だけあって、豪勢(ごうせい)な祝賀会だった。会場の各テーブルにはたくさんの料理と酒がずらりと並べられており、その真ん中では芸術的と言えるほどの趣向(しゅこう)を凝らしたカッティングフルーツが、オブジェのようにそびえ立っている。  立食形式のパーティーであるため、酒杯を手にした人々がそこかしこでグループを作り、笑顔を浮かべて会話を交わしていた。  ただ一人、紅神獄だけは会場の上座にもうけられた席に座っている。  組織を率いている時には威圧的な言動も辞さない紅神獄(ホン・シェンユイ)だったが、今日ばかりは穏やかな表情で誕生会を楽しんでいるように見える。彼女のもとへ入れかわり立ちかわり六家の者たちが挨拶(あいさつ)をし、祝いの品々を送っていく。  その神獄へ緑香露(リュイ・シャンルー)が大きな花束を手に近寄っていく。彼女がまとっているのは鮮やかなライム色をした一着が数百万もするチャイナドレスだ。手首や首元にはエメラルドなどの宝石があしらわれたアクセサリーが妖艶(ようえん)な光を放っている。  香露(シャンルー)(リュイ)家の当主の一人娘である。緑家の当主は齢七十を超える老人だが、歳を取って授かった一人娘を目に入れても痛くないほど溺愛(できあい)していた。香露が望むものは、どれだけ困難であろうと必ず手に入れて与えたため、少々わがままに育ってしまった面は否めない。  彼女はまた、次期六華主人候補と見られている黄雷龍(ホワン・レイロン)許嫁(いいなづけ)の仲でもあった。もっとも(ホワン)家と(リュイ)家の関係を深めるための政略結婚であり、本人たちの感情を必ずしも反映(はんえい)しているとは言えないのだが。  ともかく緑香露(リュイ・シャンルー)は、ひと抱えもある花束を神獄に差し出した。 「神獄さま、お誕生日おめでとうございます!」  神獄は花束を受け取ると、その花々の美しさに目を細めた。  「ありがとう、香露。見事な花束ですね。これは……ガーベラですか?」 「はい! 神獄さまは誕生花ってご存知ですか?」 「誕生石などと同じで、それぞれの月や日にちを司る花のことですね?」 「はい、十月生まれの人の誕生花はガーベラなんだそうですよ。ガーベラの花言葉は『希望』と『常に前進』だそうです」  その言葉を耳にした神獄は満足そうな笑みを浮かべて大きく頷いた。 「『希望』と『常に前進』ですか……良い言葉ですね。まさにこれからの《レッド=ドラゴン》にとって最も必要な言葉であると言えるでしょう」  神獄は花束を抱えたまま立ち上がると、会場に集まった六家の人々に向かって凛とした声を張り上げた。 「この二十年、本当にいろんなことがありました。良い事も悪い事も本当にたくさん……想像を絶するような困難に直面したこともありました。けれど、我が《レッド=ドラゴン》はその苦難や困難をすべて跳ねのけ、ことごとく克服(こくふく)し、窮地(きゅうち)好機(チャンス)とさえしてきました。そうして自らの力で未来を掴み取ってきたからこそ今の《東京中華街》があるのです」  それまで和気あいあいとしていたホールは一転し、水を打ったように静まり返った。聴衆はみな紅神獄の言葉に聞き入り、あるいは感極まったように深々と頷いている。 「この二十年は《レッド=ドラゴン》と《東京中華街》にとって成長と繁栄の二十年でした。けれど成長と繁栄を、ここで終わらせてはなりません。安定的な成長を持続させ、次の世代へ継承してこそ真の繁栄を手に入れることが出来るのです。そのためにはまず六家が結束し、力を合わせることが大前提です。六家が志を同じくし、信頼し合ってはじめて《レッド=ドラゴン》はその機能を果たすのだといえるでしょう。私たちはこのガーベラの花言葉の通り、これからも『希望』を胸に抱き、『常に前進』していかなければならないのです!」  紅神獄はさらに、ぐるりと会場を見渡す。 「私は六華主人として、これからも《レッド=ドラゴン》のため、そして《東京中華街》のために尽力していきたいと思っています。ですから、六家のみなにも是非、力を貸して欲しい。そして共に《レッド=ドラゴン》の繁栄を確かなものにしていきましょう!」 「紅神獄さま、万歳! 《レッド=ドラゴン》、万歳! 《東京中華街》、万々歳!!」  会場には一斉に拍手が沸き起こった。ホール全体が揺れんばかりの大きな歓声だ。その歓声の大きさは紅神獄がいかに彼らの信頼を得ているかの証でもあった。  決して一枚岩とは言えない《レッド=ドラゴン》という組織が、どうにか互いに手を取りあい発展してきたのは、ひとえに紅神獄の人望(じんぼう)によるところが大きい。  その後、会場の中央では中国の伝統音楽や伝統舞踊などの催し物が披露(ひろう)された。《東京中華街》で高い人気を誇る歌手、KiRIのライブもはじまる。  KiRIは歌声の迫力もさることながら、先端技術をふんだんに取り入れた舞台美術にも定評のあるアーティストだ。彼女のライブは一瞬にして観客を未知の空間へと(いざな)っていく。  洒落たものや洗練されたものには慣れているはずの《レッド=ドラゴン》の人々も、息を呑んでKiRIのライブに惹きこまれていったのだった。
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