42人が本棚に入れています
本棚に追加
祝賀パーティーは神獄の人柄を反映してか、終始、和やかな雰囲気に包まれていた。
しかし、黄雷龍は会場を見回して眉をしかめていた。黒家の者が誰一人としてパーティーに参加していなかったからである。
黒家は紅家や黄家と長きにわたって対立してきたが、それでも六家の一角であることに違いない。本来は《レッド=ドラゴン》の一員として、この祝賀会にも参加すべきであるのに。
黄雷龍が苦々しい表情を隠しもせず、内心で大きく舌打ちをしていると、そこに影剣が小声で話しかけてきた。黄影剣は子どもの頃からともに切磋琢磨してきた兄弟のような仲で、雷龍が最も心を許している人物でもある。
「雷さま。今日の神獄さまはかなり顔色が良いようですね」
影剣の言葉に雷龍も頷いた。
「ああ。先日、伯父貴から倒れられたと聞かされた時には肝を冷やしたが……きっとご無理が祟ったんだろう。お忙しい方だ。いつも自分のことは後回しにして《レッド=ドラゴン》のために働いておられる。神獄さまのそういったところは俺も心から尊敬しているが……もう少しごお体をご自愛なさってもらいたいものだな」
「ええ、そうですね。神獄さまが《レッド=ドラゴン》のことを第一に考えておられるからこそ、みなに慕われているのでしょうが……だからこそ神獄さまに何かあったら《レッド=ドラゴン》は大きく揺らぐことになってしまう。良し悪しは別として、それが事実なのですから」
数年前から神獄は慢性的な体調不良に陥っていた。幾度か命すら危ぶまれることもあり、そのたびに《アニムス抑制剤》で症状を抑えてきたが、最近はあまり効果が見られなくなっているという。
伯父の鋼炎から聞かされる神獄の体調は、雷龍にとっても心痛の種であった。
もっとも神獄が倒れたという話は六家の人々には知らされていない。それどころか紅家や黄家でも、ひと握りの人間にしか知らされていなかった。
神獄の体調不良が周囲に知れ渡ると、さまざまな方面に影響が出る。そのいずれも《レッド=ドラゴン》には都合の悪いものばかりだ。
たとえば敵対勢力である《アラハバキ》はこれ幸いとばかりに全面抗争を再開させかねないし、《レッド=ドラゴン》内部にも神獄を追い落とそうとする勢力が手ぐすねを引いている。
彼女に何かあったら《レッド=ドラゴン》はどうなってしまうのだろう。雷龍らにとって実に頭の痛い問題だった。
ついでに神獄の見舞いに紅家邸を訪れた際、黒彩水とエレベーターでばったり出くわした時のやり取りを思い出してしまい、雷龍は乱暴に吐き捨てる。
「それにしても……黒家の奴らはどうなっているんだ!? 神獄さまの誕生祭に誰一人寄越さんとは……あまりにも不敬だ! 非礼が過ぎる! 連中はここぞとばかりに神獄さまに恥をかかせるつもりじゃないだろうな!?」
「黒家の当主である蛇水殿の病状が悪化したため、やむを得ずとのことですが……どこまで本当なのか疑わしいですね。蛇水殿が出席できないのであれば、息子の彩水が代わりを務めればいいだけのこと。それなのに彩水でさえ、この場には来ていないのですから」
影剣も眉をしかめ、雷龍に同意した。他の五家は祝賀会に参加しているのに、黒家だけが不参加なのだ。何か他意があると勘繰られるのも当然だ。
するとそこへ伯父の鋼炎がやってくる。鋼炎は黒家への不信を口にする雷龍と影剣に気づくと、さっそく二人をなだめるのだった。
「雷龍、影剣。黒家のことをそう悪しざまに言うな。我々とは対立することも多いが、彼らとて六家の一角なのだぞ」
「伯父貴……そりゃそうだけどよ……!」
「それに黒家はきちんと使者を遣わせてきた。蛇水殿の病状は我々が思っているより深刻であるようだ。息子の彩水は日々、蛇水殿に付き添っているという。この祝賀会に顔を出せないとしても仕方のないことだろう」
黄家の当主である鋼炎は外見はいかにも豪胆で気性も荒そうに見えるが、いたって穏健な性格だ。和を尊び、腕力にモノを言わせるより話し合いを好む。
しかし、その考えに同意しかねる雷龍は苛立ちを口にするのだった。
「伯父貴は甘いんだ! あいつらは絶対に黄家や紅家に服従しねえぞ……! 表面だけ従った振りをして、腹の中では舌を出しているに違いねえんだ! 連中を放置しておけば必ず禍根を残し、いつか後悔することになるぞ!」
鋼炎は、また甥の悪い癖が顔を覗かせたと言わんばかりに眉根を寄せる。
「黄家と紅家が健在である限り、あり得ぬことだ。……良いか、雷龍。真の敵は身の内ではなく、外にいるのだ。六家が弱体化すれば、いくら財を成そうとも《アラハバキ》や《収管庁》に対抗できなくなる。この街では人間の数は力だ。だから身内の足を引っ張るより自らを律し、力を蓄えることを考えろ。次期六華主人になるつもりなら、なおさらな」
「……」
「それより神獄さまに挨拶をしてこい。お前を待っておられるぞ」
鋼炎の言葉に納得がいったわけではなかった。雷龍には野心がある。その野心を実現させるためには手段は選んでいられない。鋼炎のように調和を重んじるやり方では通用しないのだ。
だが、このようなめでたい場で伯父と口論するほど雷龍も子供ではない。渋々ながらも鋼炎との会話を打ち切ると、影剣とともに神獄のもとへ向かう。
「神獄さま、お誕生日おめでとうございます」
雷龍が影剣と並び立ち、テーブルの向こうに座す神獄へ礼をすると、神獄は慈しむように両目を細め、笑みを浮かべた。
「ありがとう、黄雷龍。……精進していますか? あなたにはみなが期待を寄せています。自らを律し、他者には慈愛と寛容の心を忘れぬよう努めるのですよ。これから《レッド=ドラゴン》を支えていくのは、あなたたちの世代なのですから」
「この黄雷龍、そのお言葉を深く心に刻みます。神獄さまも、どうかお体を大切にしてください」
「ええ、これから《監獄都市》は寒くなりますもの。風邪を引かぬようにしなくてはいけませんね」
神獄は柔らかく微笑んだ。もちろん風邪にも気をつけなくてはならないが、雷龍が心配しているのは彼女の体調そのものだ。だが、公の場ではっきり口にすることは許されない。それを分かっているから神獄も風邪という表現をしたのだろう。
こちらの真意は神獄に伝わっている。それで十分だと雷龍は思う。体を大切にして欲しいという気持ちには何ひとつ偽りはないのだから。
黒家の人間が一人も姿を現さなかったことが雷龍はひどく気に障ったものの、にぎやかで盛大な祝賀会は、こうして無事に幕を閉じたのだった。
紅神獄も最後まで笑みを絶やすことはなかった。
最初のコメントを投稿しよう!