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東雲探偵事務所の所長室では、流星がいつものように、六道へ定期報告を行っていた。人身売買組織の事件を片付けてからというもの、《監獄都市》で大きな事件は起きていない。
といっても勿論、何もないわけではない。《中立地帯》の《ストリート=ギャング》が繰り広げる抗争、《レッド=ドラゴン》や《アラハバキ》の下部構成員が起こす巷での犯罪。それらが途切れることはない。今日も《ストリート=ギャング》の抗争を鎮圧したばかりだ。
また、《監獄都市》で何か不審な出来事が起こっていないか――そういった犯罪の予兆にも目を光らせる必要もある。この国では法律によって警察組織はゴーストに関与することが禁じられているため、そういった事も流星たちの仕事となる。
もっとも、すべての《死刑執行人》が犯罪抑止に積極的に動いているわけではない。そのため、この街の治安を維持するには、常に深刻な人手不足にあるのだった。
ともかく、そういった日々の業務に関する報告が終わった後、流星はすぐに所長室を退出するつもりだった。ところが、六道はおもむろに口を開き、ある用件を切り出した。
「……実は西京新都の警視庁本部で、新しい部隊を新設する話がある。その部隊はゴーストで構成される予定であり、中央ではそれに相応しい隊員を集めているらしい。ゴーストの制圧に長けていて、なおかつ組織の規律を守ることのできる人材だ」
その話を耳にした流星は、少なからず驚いた。この国ではゴースト関連法の存在により、ゴーストは基本的に人間扱いされない。
一般の人々のゴーストに対する不信感や嫌悪感も相当なものであるため、ゴーストを起用する政策が上手くいくとは、とても思えないのだが。
「それは本当ですか? ゴーストは警察官……というか公務員の職全般に就けないと聞いていますが。ゴースト関連法との兼ね合いを考えても、人間だとすら認知されてない者に、そういった重要な職務が務まるとは思えません」
流星が思わず口にすると、六道もその意見に頷きを返した。
「基本的にはその通りだ。だが、ゴーストを国家体制へ組み込む動きは海外でも進んでいて、世界的な流れでもある。それに乗り遅れるわけにもいかないという考えなのだろう。……もっとも、《関東大外殻》の外では法律上、ゴーストの存在が認められていないのは確かだ。その新設部隊の創設も、当面の間は非公式で進められるだろうがな」
「……」
「お前は《監獄都市》の中でゴーストになった。だから例の注射……《グレフ接種》は受けていないだろう? つまり、《壁》を越えられるということだ。その気があるなら《収管庁》を通して、中央にお前を推薦しようと思っている」
流星は今度こそ呆気にとられ、しばらくは言葉も無かった。警視庁本部でゴースト部隊を新設する話だけでも十分に驚愕の事実なのに、まさか自分がその部隊へ推薦されるかもしれないとは。
二度と警察に戻ることはないと考えていた流星にとって、完全に寝耳に水の話だ。さすがに戸惑いを隠せない。
「俺が西京新都へ……ですか。この事務所はどうするんですか?」
自分がいなければ、この事務所は回らないなどと、おこがましい事を言うつもりは無い。ただ、東雲探偵事務所は慢性的な人手不足にあり、一人でも抜けると運営が難しいのも事実だ。すると六道は、さらに思いも寄らぬことを口にする。
「事務所は雨宮に譲ろうと思っている。ゆくゆくは、あいつが所長になるだろう」
「深雪に……?」
(それはいろいろと、無理があるんじゃないのか……?)
流星はそう思った。もちろん深雪にも長所はたくさんあるが、それでも人の上に立つのに向いているとは思えない。端的に言うと、リーダーシップに欠けているのだ。少なくとも、流星の知る深雪とはそういう人物だ。
しかし一方で、妙に腑に落ちる点もあった。六道が深雪に対して見せていた、強いこだわりの理由が分かったからだ。
深雪が初めて《監獄都市》に姿を現した時、六道は迷わずこの事務所へ招き入れた。深雪が神狼と《東京中華街》へ潜り込んだ時も、体調不良を押して迎えに行った。おそらく、最初から深雪に事務所を譲るつもりだったのだろう。
「し…しかし、俺は《死刑執行人》です。いくら新設部隊の求人条件に合致するとはいえ、そんな者が警官になるべきでは……」
なおも反論すると、六道は鋭利な視線を流星へと向ける。顔の右半分に刻まれた、抉り取られたような傷とあいまって、黙するには十分な迫力だ。
「お前は『人間』は誰一人、殺していない。……そうだな?」
「……」
「それに先ほども言った通り、中央が求めているのはゴーストを制圧できる人材だ。高アニムス値のゴーストだからと言って、誰もが戦えるわけではない。殺さずに捕らえるとなると、なおさら高い技術を求められるだろう。その点、お前なら経験も豊富だ。警察内部の事情にも明るいし、性格や能力も十分に生かせるだろう」
「それはそうかもしれませんが……」
「もっとも公僕ではなく、人間ですらない者を警視庁に配属しようというのだ。そう事がうまく運ぶとは思えない。むしろ、多くの矛盾や軋轢をはらんだ、難しい組織になるだろう。部隊の運営にも大きな困難がともなうのは間違いない。実のところ、私もこれが良い話なのか悪い話なのか、判断しかねるところがある」
「……」
「もちろん、お前がこの事務所に残るというなら、それでも構わない。正直に言うと、そのほうが我々としても助かるのは事実だ。ただ、お前が望むなら警察に戻ることもできる。どちらを選ぶかは、お前次第だ」
六道は最後に、やや視線を柔らかくしてつけ加えた。しかし、すべてが流星にとってあまりに突然の話で、現段階では「ではこうします」と即答できそうもない。
「少し……考えさせてください」と答えるのが精いっぱいだった。
ひょっとすると――流星は思う。西京新都の警視庁本部だけでなく、これからゴースト人材の活用は増えていくのかもしれない。
たとえば高所や山中、水中、あるいは特殊な工事現場などでの危険のともなう作業では、アニムスを持ったゴーストはさぞかし重用されるだろう。人が三人がかりで手掛けていた作業も、アニムスがあれば一人で事足りるといった事態も、容易に想像できる。
ゴーストのもたらすリスク軽減とコストカットに、ある種の人々は喜び勇んで飛びつくに違いない。
その一方で、ゴーストが《監獄都市》という名のゴミ箱に棄てられている今の状況が、簡単に改善されるとも思えなかった。
(これからは二極化が進むのかもな。使えそうなゴーストは残し、使えなさそうなゴーストは今まで通り《監獄都市》送りにする……)
だが、《壁》の外で労働力として活用されるゴーストが幸せかと言うと、決してそうはならないだろう。ゴースト関連法がある限り、《壁》の中でも外でも、ゴーストが人間扱いされないことに変わりは無いのだから。
この国では、たとえ人間であっても労働者は使い潰され、まともな扱いを受けないのだ。このままいくとゴーストがどのような扱いを受ける事になるか、まさに推して知るべしだ。
(それにしても……まさかこんなことになるとはな……)
所長室を退出したものの、流星の胸中は複雑だった。
(俺が警察に……か。こんな話が出てくるなんて思ってもみなかった。……確かに、このままずっと《死刑執行人》を続けられるとは思っていない。体力的にも精神的にもキツい仕事だし、ぶっちゃけ、いつ死んでもおかしくない。所長もそれを考えて、この話を用意してくれたんだろうが……)
今回の話が六道の善意や誠意によるものだと理解してはいるものの、流星の心は晴れなかった。やり残していること――心残りがあるからだ。
かつての仲間を殺した月城との決着が、まだついていない。
(俺は、まだ復讐をしたいのか……? 月城をこの手で殺し、仇を討ちたいのか……)
今となっては、流星自身にもよく分からない。月城を憎む感情はもちろん残っているが、復讐という行為に以前ほど正義があると思えなくなっている自分がいる。
月城が関東警視庁ゴースト対策部の機動装甲隊に所属していた同僚たちを皆殺しにし、姿を消してからというもの、流星は月城を見つけ出し、この手で報復することを何よりの目標として生きてきた。
流星が《死刑執行人》となったのも、いずれ月城が《監獄都市》に姿を現すのではないかと考え、再び相まみえた時に備えるためだ。
《死刑執行人》として東雲探偵事務所に属していれば、この街のあらゆる情報が手に入る。この街に月城が戻ってきたという情報も、真っ先に手に入れられると考えたのだ。
そして、その判断は正しかった。
ところが、いざ旧国立競技場跡地で月城と再会した時、あれほど願っていた復讐を、結局は果たすことが出来なかった。その原因を突き詰めてゆくうち、流星は己の力不足だけでなく、自身の心の変化に気づいたのだった。
(俺はたぶん、すべてを犠牲にし、投げうってでも復讐を果たすという選択はできない。意気地がない、初志貫徹の志が足りないと言われれば、それまでかもしれないが……何もかもぶち壊して復讐を最優先にする生き方が正しいとは、どうしても思えないんだ……)
たとえ何度、月城と対峙しようと結果は同じなのではないかと、流星は考えるようになった。
月城の素性を詳しく知っているわけではないが、奴が相当な手練れであり、生半可な覚悟で仕留められる相手ではない事は確かだ。よほどの奇跡でも起きない限り、逃げられるか、返り討ちにあうのがオチだろう。
――前回、まさにそうだったように。
月城にいまだ諦めきれない感情がある一方で、理性が冷ややかに告げる。この復讐は無意味なのではないか。最終的には徒労に終わるのではないか――と。
本当は《監獄都市》で経験したことのすべてを忘れ、六道の用意してくれた話を呑むのが賢い生き方なのだろう。喪失や怨恨は、時間が癒してくれる。そうして時の流れに身を委ねるのが最善の選択なのだろう。
流星自身、それはよく分かっている。だからと言って、そう簡単に割り切れるものでもない。何より、突然降って湧いた話に戸惑いのほうが強く、すぐに決断を下す気にはなれない。
流星は髪をかき上げながら、深々とため息をつくのだった。
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