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事務所の空き部屋に収められていたスーツやワイシャツを見つけ出し、袖を通してみると若干、だぶつくものの、どうにかサマになった。
同じ事務所で働いている琴原海に手伝ってもらいながら慣れない手つきでネクタイを締め、軽く髪を整えると、何だか就活生になったような気分になってくる。
身支度を終えた深雪が所長室へ向かうと、六道のほかに流星の姿があった。ちなみに流星もスーツ姿だ。六道によると、これから流星と深雪の三人で《関東収容区管理庁》へ向かうのだという。
《収管庁》はこの街の頂点に立つ組織であり、《監獄都市》を管理し、監督する立場にある。《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》でさえ《収管庁》と真っ向から対立することはない。
だが、深雪はどうも《収管庁》にはやる気が感じられないと思ってしまうのだ。実際、何か事件が起こっても彼らが表立って介入してくることはない。《中立地帯》で起きた事件でさえ警察や《死刑執行人》に投げっぱなしだ。
マリアによると《収管庁》の職員の大半は西京新都からの出向組で占められているらしく、それも組織運営に大きく影響しているそうだ。
ともかく何事にも無関心を決めこむ《収管庁》が、今回に限ってわざわざ東雲探偵事務所を呼び出したのだ。何かよほどのことが起きたに違いない。
深雪と六道は流星の運転するSUVで旧都庁へと向かうと、車を地下駐車場へ留め、エレベーターで《収管庁》長官室へと移動する。
「都庁か。懐かしいな」
エレベーターに乗りこんだ深雪が何とはなしにつぶやくと、流星は軽く眉根を寄せた。
「懐かしい……? お前、旧都庁に来たことあったっけか?」
「《監獄都市》に戻ってきてからは一度も無いけど、子どもの頃に来たことはあるよ。社会科見学の時とかにさ」
「社会科見学……?」
流星がひどく戸惑った反応をするので、深雪まで何かおかしなことを口にしただろうかと不安を覚えてしまう。
「あれ? もしかして今の時代には社会科見学が無くなってる?」
「いや、もちろんあるが……そうか。深雪は二十年前の東京で生活してたんだよな。普段はあまり意識しないが、いわゆる浦島太郎ってヤツか」
「まあね。でも俺だけじゃなくて、所長も二十年前の東京のことをよく知っているはずだよ」
「え、そうなんですか?」
初耳だったのだろう。流星が驚きを浮かべながら視線を向けると、六道は杖に体重を預けつつ頷いた。
「ああ、私も東京生まれの東京育ちだからな」
「へえ……知りませんでした。二十年前といえば、まだ東京が首都だった時代ですよね? それは大きな街だったって聞きましたけど」
「そうだな。今の西京新都よりもずっと巨大な都市だった」
六道は珍しく、昔を懐かしむような響きを滲ませて言った。深雪もその気持ちはよく分かる。東京が《監獄都市》になってからというもの首都機能の大半が破壊され、もはや影も形も残っていない。深雪たちが知っている東京を流星が目にしたら、いったいどんな反応をするだろう。
「何だか信じられませんね。日本にかつて、そんな巨大都市が存在しただなんて」
半信半疑でそう口にする流星に深雪は尋ねる。
「所長が東京出身だって流星は知らなかった?」
「ああ、所長はあまり自分のことを話さないからな。でもそうか……深雪も所長も東京出身なのか。実は二人は二十年前にばったり会ってたりしてな」
「えっ……? はは、そうだね……」
流星は深雪と六道の因縁について何も知らされていないらしい。マリアはある程度、事情を把握しているようだが、どこまで知っているのか分からない。六道は深雪との過去を流星たちに話すつもりはないのだろう。
(まあ六道は思い出話を自分から話して回るような性格じゃないけど。俺、いまだに《ウロボロス》時代の六道の姿を思い出せないんだよな……)
六道の腕にも深雪と同じ、《ウロボロス》の紋章刺青が刻まれている。彼が《ウロボロス》の一員だったのは間違いない。
しかし、どうしても該当する人物が思い出せないのだ。《ウロボロス》の中に東雲六道という人間は本当にいたのだろうか。
本人に聞くのが一番確実なのだが、深雪はまだ聞き出せずにいる。
長官室へと移動する途中、何人もの《収管庁》職員とすれ違うが、みな冷ややかな視線を向けてくる。中には汚らわしいと言わんばかりに大袈裟に避ける者さえいる始末だ。
六道や流星の顔は《監獄都市》で知れ渡っているので、彼らも深雪たちが《死刑執行人》だと承知しているはずだ。知ったうえでの、この態度なのだ。
(想像はしてたけど……やっぱり俺たち《死刑執行人》は忌避されているんだな。《死刑執行人》はゴーストからも嫌われているけど、それは恐れられてるからだ。でも……ここの人たちは俺たちを忌々しい厄介者だと思ってる。恐怖じゃなくて、嫌悪なんだ)
唯一の救いは六道と流星も周囲の視線には気づいているだろうに、何事も無いかのようにけろりとしていることだ。二人とも「だからどうした」と言わんばかりに堂々と、誰憚ることなく会話をしている。
流星は肩を竦めると六道へ声をかけた。
「それにしても……《収管庁》の長官から直々に呼び出しとは、どういった要件なんでしょうね?」
「さあな。長官は我々に直接会って、ご説明したいそうだ。こういった時は大抵、何か良からぬことが起きているものだが」
「普段は俺たち《死刑執行人》を邪険にしているくせに、何か問題が起きれば遠慮なくアゴでこき使うんですからね。本当、いい神経してますよ」
「裏を返せば彼らの手にあまるのだろう。我々にしか解決できない案件こそ存在感を示すことができる。煩わしい仕事にこそ好機が潜んでいるものだ」
「まあ、それは分かってますけど……」
「それに《収管庁》が《監獄都市》において権力を握っているのは曲がりなりにも事実だからな。権力者には可能な限り、恩を売っておくに限る」
そういった会話を黙って聞いていた深雪だったが、ふと気になって六道へ尋ねた。
「あの……《収管庁》の長官って九曜計都って人ですよね? 上品で優しそうな女の人に見えましたけど、実際はどういう人なんですか?」
深雪は九曜計都と直接会うのは初めてだから、ぜひとも人柄を知っておきたかったのだ。
かつて《休戦協定》が結ばれた際の映像を見たことがあるが、六道や紅神獄、轟虎郎治らと共に映っていた九曜計都は鮮やかな色のスーツを身にまとい、いかにも政治家然とした上品な女性だった。
ところが、それを耳にした流星は「ぶっ」と噴き出してしまう。
「九曜計都が優しそう……か。お前、長官室で卒倒するなよ?」
「えっ……どういう意味? そんなに怖い人なんだ?」
「怖いっていうか……ひと言で表すなら猛者だな。組織のトップに立つ人間は、みな独特の威圧感があるもんだ。外見や年齢、性別は関係なくな」
「威圧感……か」
深雪は「確かにそうかも」と思いつつ六道の背中を見つめた。以前も《東京中華街》へ潜入したことがあるが、そこで会った黄家の当主・黄鋼炎は立派な体格もあいまって、まさに威圧感の塊だった。
《監獄都市》で生き抜くには、たとえコケ脅しでも相手を圧するものが求められる。深雪に足りないものはたくさんあるが、威圧感や威厳は絶望的に足りないものの一つだ。どうすればいいのだろう。鏡の前で練習でもした方がいいのだろうか。
深雪が六道を見つめつつそんな事を考えていると、その視線に気づいた流星が口を開く。
「そういえばお前……」
「え、何?」
「ああ……いや、何でもない。また今度な」
流星はそう言いかけたものの、すぐ曖昧に笑って話を打ち切った。流星が口ごもるなんて珍しいことだ。いったい何の話をしようとしていたのだろうと、深雪は首を傾げてしまう。
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