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※一部、差別的な表現が出てきます。ご不快な思いをさせる場合は、申し訳ございません。また、作品に登場する人物の考えであり、作者本人の考えではありません。
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六道とそんな会話を交わしていると、轟虎郎治がこちらに気づいて歩み寄って来る。
「おう、東雲の小僧か。達者であるようだな? まったく往生際の悪いことよ」
「ご老体も、お元気そうで何よりです」
「どうした、今日はいつもの赤い頭と眼帯がおらんようじゃが?」
「赤神流星と不動王奈落は、別の任務に当たらせています。たまには他の《死刑執行人》にも経験を積ませなければと思いましてね」
もちろん、それは嘘だと深雪は知っている。流星と奈落が満身創痍で、今も石蕗診療所で治療を受けている事実を、《アラハバキ》の総組長に知られるわけにはいかないのだろう。幸い轟虎郎治も、それ以上は深く詮索しなかった。
「なるほどのう? ……巷では何やら、つまらんゴシップが流行っているようだの。こんなことでいちいち呼び出されるほど、儂らも暇ではないのだが」
「しかし、この事件に《アラハバキ》の構成員が関わっているのは事実なのです。《レッド=ドラゴン》にあらぬ因縁をつけられ、批判を被りたくはないでしょう? 《監獄都市》の秩序を維持するためにも、あなた方には是非とも《特別看守》としての役割を果たしていただきたい」
六道の口にした《特別看守》とは、《休戦協定》が結ばれた際に《レッド=ドラゴン》のトップである紅神獄と《アラハバキ》のトップである轟虎郎治に与えられた、特別権限のことだ。
轟虎郎治と紅神獄はその特別権限を与えられるかわりに、《レッド=ドラゴン》や《アラハバキ》を統率する義務を負っている。
《レッド=ドラゴン》の六華主人と《アラハバキ》の総組長が、《監獄都市》で並外れた権力を握ることができるのは、《特別看守》として《収管庁》から地位を保証されているからだ。
そして《収管庁》が彼らを《特別看守》として認めている限り、《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》にも一定の優遇措置が与えるかわりに、組織活動にも一定の制限が加えられる――という仕組みだ。
つまり《収管庁》は《休戦協定》を結ぶことで轟虎郎治と紅神獄の立場を認めるかわりに、両者へルールを守ることと、秩序だった活動を行う義務を負わせた。六道は轟虎郎治に、その《特別看守》としての義務を果たせと言っているのだ。
それを不愉快だと感じたのか、轟虎郎治はぎろりと目を光らせ、六道を睨みつける。
「ふん……お前は相変わらず、誰の味方か分からんな。重要なのは中国人どもの機嫌か、それとも日本人の誇りと名誉を守ることか? 少し考えれば、分かりそうなものだがな……」
轟虎郎治は冷ややかにそう吐き捨てると、今度はオリヴィエに冷厳たる一瞥を向ける。
「余所者の野蛮な白人をわざわざ雇い続けているのも、変わらずか。白人は所詮、白人……差別主義の塊だ。連中が我々日本人を真に理解する日など永久に来んし、命の価値を尊重することも決して無い。お前のそういう節操の無さが、日本人としての魂を腐らせ、白人への隷属主義を増長させているのだと……そうは思わんか?」
轟虎郎治は、まるで自分の権利だと言わんばかりに、排他的な価値観を口にする。深雪は内心、冷や冷やしながらオリヴィエの様子を窺った。面と向かってそのような事を言われ、気を悪くしたのではないかと心配したのだ。
しかし、当のオリヴィエは特に表情を動かすことも無かった。この程度のことには慣れているのだろう。六道もあくまで冷静に返答する。
「何か誤解があるようですが、私は誰の味方でもありません。それにこの街は、我々日本人だけではすでに成り立たなくなってます。好むと好まざるとに関わらず、それが現実……ご老体には、どうかご理解願いたい」
「減らず口だけは一人前なのも、いつも通りじゃな。その話はもう良い。時間の無駄よ。……して、そっちの子どもは? 見ない顔だな」
「……。雨宮深雪といいます」
あまり価値観は合いそうもないが、相手は一応、年長者なのだから失礼の無いようにしなければ。深雪が渋々ながら頭を下げると、轟虎郎治はすっと両目を細める。
「はて……。あまみや・みゆき……とな?」
轟虎郎治もすぐに気づいたようだ。深雪の名前が、かつて養子であった轟鶴治の本名とまったく同じことに。おそらく深雪の顔立ちが、轟鶴治と奇妙なほど酷似していることにも気づいたに違いない。その証拠に、深雪の顔をじろじろと穴が空くほど観察している。それを悟ってか、六道はすかさず口を開いた。
「私は、ゆくゆくはこの雨宮に事務所を譲るつもりです」
「ふむ? つまりこの若造が、次代の《中立地帯の死神》になると」
「ええ」
「ふふふふ……まったく酔狂な事よのう! お前の能力はそれなりに買っているが、夷人を雇ったり力不足の子どもを後釜に据えたり、人を見る目だけは欠けているようじゃな。……まあいい。目障りな《死刑執行人》の力が衰えれば、それだけ儂らも動きやすくなる。我ら《アラハバキ》の未来は安泰よ!」
そう言い放つと、轟虎郎治は皮肉と嘲りを両眼に浮かべ、遠慮なく笑った。そして、もう話すことはないとばかりに、若頭と下桜井組組長を引き連れて離れていく。
轟虎郎治の背後にぴたりと付き添っている大柄な男たちに目をやると、彼らは立ち去る寸前まで、深雪たち《死刑執行人》を威圧していた。思わず後ずさりしたくなるほど、怖ろしい形相だ。
《アラハバキ》の面々が立ち去ってから、深雪はオリヴィエへ小声でつぶやく。
「何か……いろいろ衝撃的な人だったな」
「そうですか?」
「あれだけ偏った感覚の人が組織のトップに立ってるなんて。その欠点を差し引いても、トップに立っていられるだけの強みがあるんだろうけど……。『日本人の誇りと名誉』とか『日本人としての魂』とか、『白人への隷属主義』とか……日本語を喋っていても、言葉が通じてない感じ。オリヴィエは大丈夫? 不愉快じゃなかった?」
それを聞いたオリヴィエは淡く微笑む。
「深雪は私を心配してくれているのですね。大丈夫ですよ。差別は慣れていますから」
「オリヴィエも差別されることがあるんだ?」
「ええ、もちろん。ヨーロッパが世界で圧倒的に優位だったのは、はるか昔の話ですからね。アジアや他の地域が裕福になり、相対的にヨーロッパは貧しくなりました。経済的な地位の低下は即ち、国や地域の弱体化に繋がります。今では我々も十分に差別の対象になりますよ。特に宗教関係者は、特定の地域での風当たりが非常に強い。それに対していちいち挫けていては、信者を守り、信仰を貫くことなどできません」
「そうなのか……」
オリヴィエは微笑んで言ったが、どこまで本心かは分からない。深雪なら『夷人』などと言われて、絶対に良い気はしないと思うからだ。
腹も立ったし、何か言い返してやりたかったが、深雪がしゃしゃり出て六道に迷惑をかけるわけにもいかない。《中立地帯の死神》になれば、轟虎郎治のような人間も相手にしなければならないのだと考えると正直、気が滅入った。
(そういえば、轟虎郎治は俺の名前に反応していたな。もしかしたら、俺と轟鶴治の関係に気づいたのかもしれない。それにしては深く追及してこなかったけど、あまり興味がないのか……?)
あの小柄な老人が何を考えているのか分からないが、深雪が自己紹介した時の反応を考えると、何も気づいてないはずがない。それでも深雪の素性を詮索してこなかったのは、轟虎郎治にとって深雪の正体など関心がないのだろうか。それとも警戒し、あえて追及してこなかったのか。真相は分からない。
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