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第40話 四者会談
深雪が難しい顔で考え込んでいると、ようやく会議室の扉が開いた。そして中から現れた《収管庁》長官の秘書官が、集った面々に入室を促す。
「みなさま、お待たせしました。九曜長官がお待ちです。どうぞ、ご入室ください」
その言葉を受けて、最初に《アラハバキ》の面々が、次に《レッド=ドラゴン》の面々が会議室へと入ってゆく。深雪たち東雲探偵事務所の《死刑執行人》は一番最後だ。
窓がすべて締め切られた薄暗い部屋の中央には、大きな円卓が設置してあった。東雲探偵事務所のミーティングルームと同じ仕様で、円卓の卓面がディスプレイになっているらしく、煌々と光を発するディスプレイが真っ暗な部屋を照らす光源となって、リング状の光が暗闇に浮かび上がる。
その円卓の一番奥で、《収管庁》長官である九曜計都が席についたまま声を発した。
「ようこそ、《特別看守》の諸君。座りたまえ」
九曜計都に促されて、紅神獄と轟虎郎治はそれぞれ円卓に着いた。九曜計都を十二時の位置として、轟虎郎治が三時、紅神獄が九時の位置だ。紅神獄と轟虎郎治は向かい合って座り、黄鋼炎や下桜井組組長といった供の者たちは、彼らの後ろに立っている。
ちなみに六道は六時の位置に座った。九曜計都と向かい合い、右手に轟虎郎治、左手に紅神獄を臨む席だ。そして深雪とオリヴィエも供の者たちと同様、六道の後ろに立つ。
みなが席に着いたのを確認してから、九曜計都は轟虎郎治や紅神獄とそれぞれ二言三言、取り留めのない言葉を交わすと、すぐに本題に入った。もちろん、KiRI殺害事件に関して行った調査の報告と説明だ。
九曜計都が説明したのは、やはりマリアの提案した案だった。すなわちKiRIを殺害したのは滝本蓮次であり、彼はKiRIを恋い慕うあまり、紅龍芸術劇院の楽屋で彼女を手に掛けてしまったが、後悔と罪悪感に苛まれて自ら命を絶った――というシナリオだ。
九曜計都説が明する合間に、円卓の卓上ディスプレイには次々と証拠となる映像や、事件現場および証拠品の画像が表示される。それらは犯行の決定的なシーンを捕らえた映像では無いし、事件現場や証拠となる画像も滝本が犯人だと断定するものではない。
これらを見て轟虎郎治や紅神獄がどこまで納得するだろうと、深雪は緊張とともに成り行きを見守っていた。今のところは《アラハバキ》も《レッド=ドラゴン》も、どちらも黙って九曜計都の説明に耳を傾けているが。
ひと通りの説明を終えると、九曜計都は紅神獄と轟虎郎治を交互に見やってつけ加えた。
「……私からの説明は以上だ。質問があれば受け付けるが?」
真っ先に口を開いたのは、紅神獄だった。
「つまり……長官は、これはあくまで滝本蓮次が個人的に起こした事件であり、《アラハバキ》とは無関係……と仰りたいのですか?」
「その通りだ。貴殿らが常日頃から互いに対立し、敵視し合っていることは知っている。しかし今回の事件に限って言えば、完全に滝本蓮次という個人の色恋沙汰による私事であり、これを《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》双方の問題とするには、いささか馬鹿げていると言わざるを得ない。感情的にいろいろと抑え難いものがあるのは分かるが、ここはひとつ、互いに冷静になるべきだと私は思っているが?」
すると紅神獄の後ろに立つ黄雷龍が、聞き捨てならないとばかりに声を荒げて身を乗り出した。
「詭弁だ! 滝本蓮次が《アラハバキ》の指示を受けていないと、どうして断言できる!? あの男は紅龍芸術劇院へ頻繁に出入りしていたんだ! いくらKiRIの熱心なファンとは言え、あまりにも不審すぎる!! むしろ滝本にファンのふりをさせて、《東京中華街》の内情を探らせていたんじゃないか!? そう考えた方が、よほど自然だ!!」
深雪は内心でぎくりとした。滝本がKiRIと情報のやり取りをしていたのは事実だ。もっとも、実際には滝本のほうがKiRIに《アラハバキ》の内情を漏らしていたのだが。
それを考えると、雷龍の指摘はなかなかに鋭い。紅神獄や黄鋼炎も言葉に出さないだけで、雷龍と同じように考えているのだろう。
ところが、それを聞いた轟虎郎治は、フンと鼻を鳴らすと、蔑むような目を黄雷龍へ向ける。
「……やれやれ。愚かで弱い犬ほどよく吠えるというが、まさにその典型じゃな」
「何だと……!?」
「お前さんはどうあっても、滝本と我々を結び付けたいようだが、そう主張するだけの物的証拠はあるのだろうな? あるなら今すぐここに示すがいい」
「証拠など必要ない! 貴様らが卑怯な手を臆面もなく使うことは、今まで俺たちが受けた数々の仕打ちではっきりしている!! 証拠など、それで十分だ!!」
「ふん、たわけたことを。証拠も無いのに憶測で罪を擦りつけるなど、それこそ愚か者の極みじゃ。それが《レッド=ドラゴン》のやり方か? そもそも儂らを糾弾する資格が、お前にあるのか?」
「黙れ! どうせ滝本も、お前の命令で動いていたんだろう!!」
黄雷龍と轟虎郎治のやり取りは熱を帯び、両者ともまったく引く気配がない。二人の応酬を見かねたのか、黄鋼炎が間に割って入る。
「よせ、雷龍!」
「くっ……!!」
伯父の鋼炎から鋭く叱責された雷龍は唇を噛んだ。どんなに頭に血が上っていても、当主である鋼炎には逆らえないらしい。雷龍が黙するのを待ってから、紅神獄が再び口を開く。
「……長官のお考えはよく分かりました。けれど、私たちにとってこの事件は、『色恋沙汰による私事』と簡単に片づけられるようなものではないのです。KiRIは一介の歌手でしたが、彼女は我が《東京中華街》の広告塔であり、彼女の生み出すコンテンツは重要な収入源でもありました。端的に言って、損失があまりにも大きすぎるのですよ。とても長官のご説明で有耶無耶にできるものではありません」
すると、再び轟虎郎治が挑発するような言葉を投げかける。
「何じゃ、何が言いたい? ここで土下座でもして欲しいのか?」
「貴様ッ!!」
黄雷龍は歯を剥いて轟虎郎治を睨みつけたが、紅神獄はすかさず片手を上げてそれを制す。そして雷龍のかわりに、冷ややかに轟虎郎治をねめつけた。
「まさか。あなた方の心にもない謝意など受けたところで、この身が汚れるだけです。経済の損失は経済で返してもらわなければ。それが筋というものでしょう?」
そこで口を開いたのは、轟虎郎治の後ろに立つ下桜井組組長だ。
「ちっ……金、金、金! 所詮は金か! さすがは金の亡者よ……!!」
忌々しげに吐き捨てるが、紅神獄は斬り込むような峻烈な視線を向ける。
「あら、こちらもそれなりに譲歩しているのですよ、下桜井組の親分さん。滝本蓮次はあなたの組の子分だったそうですね? 子の不始末は親がつけるのが世の習いでしょう? あなたは私たちにどう償ってくださるのかしら?」
「おのれ、黙っていれば調子に乗りやがって……分をわきまえろ! 儂らに口出しするなど何様のつもりだ!? 滝本は組に迷惑をかけぬよう自ら命を絶った……始末はそれでついている!!」
「それはあくまで、あなた達の世界のやり方でしょう。私たちの世界では違います」
紅神獄は冷然として答えると、すっと両目を細めた。彼女の表情を目にした深雪は、まるで氷の刃で背中をバッサリと斬りつけられたように感じて、思わず息を呑んだ。
紅神獄は先ほどまでの気品に満ちた口調を一変させ、びりびりと空気を震わせるほどの怒気を放ちながら、轟虎郎治を睨み据える。
「……《レッド=ドラゴン》は奪われたものは必ず奪い返す! それが金であろうと命だろうと関係ない! 滝本蓮次がKiRIを殺したというのなら、何としてでも代償を支払ってもらわなければ。《アラハバキ》にそのつもりがないのであれば、こちらも用意があります!!」
(真澄……すごい気迫だな。俺の知る真澄とはまるで別人だ……!)
深雪は内心で舌を巻いた。大人しいまま、心優しいだけでは《レッド=ドラゴン》を率いることはできないのだろうと容易に想像はつく。彼女の見違えるほどの変化を目の当たりにして、深雪はただただ圧倒させられるのだった。しかし、轟虎郎治も黙ってはいない。
「ほっ、用意とな! 随分と威勢のいいことよのう……! 事と次第によっては、下品で成金趣味丸だしなお前たちの街も、無傷ではいられんと思うが? ……さあ、何をするつもりか、今ここで言うてみい!!」
《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》は互いに睨み合ったまま、部屋は凄まじい緊張感に包まれる。
深雪は、どうなってしまうのかと息を詰めて会談の成り行きを見守った。視線だけで九曜計都の顔を窺うものの、彼女は何故か涼しい顔をしたまま、一向に火花を散らし合う両者の間に介入する様子はない。
このままでは不味いのではないか。深雪が冷や汗をかきながら危惧していると、突然、六道が静かに口を開いた。
「お二方とも、ずいぶん頭に血が上っておられるようだ。しかし、お忘れではありませんかな? あなた方が《特別看守》であることを」
「……!」
「ここにお集まり頂いたのは、子供じみた言い争いを拝聴するためではない。これからの対策を話し合うためだ。……双方、ただちに落ち着かれよ」
見ると、六道の両眼は赤く染まっている。薄暗い部屋の中で、その光は警告灯のように不吉な赤光を発していた。
六道の《タナトゥス》は一定範囲のゴーストから一定期間、アニムスを無効化させる。言い争いを続けるつもりなら、《タナトゥス》を使うことも辞さない。そう脅すことで、《レッド=ドラゴン》と《アラハバキ》に冷静さを取り戻させるのが狙いなのだ。
六道の警告は功を奏して、紅神獄と轟虎郎治は瞬く間に口を噤んだ。
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