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双方が幾分か落ち着きを取り戻すタイミングを待っていたかのように、それまで黙っていた九曜計都が口を開く。
「双方に言い分があるのは私も分かっているつもりだ。しかし、調査結果からも明らかである通り、この件は悪意や邪念による謀計ではなく、どちらかというと不幸な事故に分類される類のものだろう。確かに《レッド=ドラゴン》の諸君がKiRIの死で失ったものは甚大かもしれないが、《アラハバキ》も大事な構成員を一人失っている。ここはひとつ、痛み分けという事でいかがだろうか?」
「なっ……痛み分けだと!? 何をどう解釈したらそうなるんだ!? 俺たちを馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」
黄雷龍はすかさず九曜計都へ食ってかかった。本来であれば黄鋼炎が押し留めそうなものだが、今回ばかりは口を挟まない。よほど聞き捨てならなかったのだろう、紅神獄も厳しく咎めるような視線を向ける。
「……ご冗談でしょう? 長官は私たちをからかっていらっしゃるの?」
「もちろん《レッド=ドラゴン》の諸君が異議を唱えるのも分かる。よって、貴殿らにはこの私が、特別に取り計らおうではないか」
「まあ、それはどのような?」
「《レッド=ドラゴン》は以前、好ましくない商売に手を出しているな? 北米系マフィアと結託し、人身売買に手を染めた……そう、誠に嘆かわしいあの事件だ。いかな《特別看守》とはいえ、《監獄都市》における外国勢力との取り引きには厳しい制限が課されている。それは貴殿も承知であろう?」
北米系マフィアと手を組んで行った人身売買事業――東雲探偵事務所が《リスト執行》を手掛けた事件だから、深雪もよく知っている。それを持ちだされた途端、《レッド=ドラゴン》の面々は揃って顔をしかめた。
「そ……それは黒家の奴らが勝手に……!!」
黄雷龍が反論を口にしようとするが、九曜計都はそれを許さない。
「貴殿らの事情は、こちらも把握している。だが、《休戦協定》に盛り込まれた禁止条項に抵触するほどの案件なのだ。まさか何の責任も取らずに、仕舞いにできるなどと思ってはいまいな?」
紅神獄はしばし無言のまま、射殺さんばかりの視線を九曜計都に向ける。
「……。長官も人が悪い……あれはもう終わった話でしょう」
「それはいささか性急すぎる判断ではないかな? 貴殿は《レッド=ドラゴン》を統率する六華主人だろう。いくら組織の一部がしでかした愚行とはいえ、貴殿にも立場上、監督責任があるのは明白……そうは思わんか?」
「……」
「もっとも、私も貴殿らに情状酌量の余地が無いわけではないと思っている。貴殿らが速やかに動き、騒ぎを治めたのは事実だ。私もそれは大いに評価しているよ。だから、特別に厚意を示そうと言っているのだ」
「……。私たちにどうしろと仰るのかしら?」
「KiRI殺害の件に関し、我々の示した提案を全面的に呑んでもらいたい。そうすれば、六華主人である貴殿の責任問題は不問に付すとしよう……悪い話ではないと思うが?」
「くっ……!!」
雷龍は悔しそうに唇を噛んだ。それはそうだろう。九曜計都は「厚意を示そう」などと口にしているが、黒家の仕出かした人身売買の件を追及されたくなかったら、黙って従えと脅迫しているのだ。表向きはさも善意であるかのように振舞っているが、その実態は《レッド=ドラゴン》の弱点を突くことで反発を封じ込めようとしているに過ぎない。
《レッド=ドラゴン》が北米系マフィアと共同で手掛けた人身売買は、黒家が紅家や黄家に断りなく内密に進めた『事業』だから、紅神獄や黄雷龍にとっては余計に言いがかりじみて感じるのだろう。
黄雷龍は歯ぎしりし、呻くようにして吐き捨てる。
「卑怯な……! これが……これが日本人のやり方というわけか……!!」
ところが、隣に立つ黄鋼炎は鋭く叱責するのだった。
「言葉を慎め、雷龍! これは長官のご厚意による特別な配慮なのだ。我々にそれを拒む選択肢など残されてはおらん」
「理解が早くて助かるよ。さすが黄家の当主は器が違う」
「……」
鷹揚に微笑む九曜計都に対し、紅神獄は無表情だった。《レッド=ドラゴン》にとっては得るものが何もないばかりか、一方的に忍耐を強いられる、屈辱的とも言える結果だ。
《収管庁》にしてみれば、この騒ぎが収まりさえすればいいのだから、手っ取り早く《レッド=ドラゴン》側に事件の追及を諦めさせようという作戦に出たのだろう。
《レッド=ドラゴン》がここから形勢を逆転するのは、ほぼ不可能に近い。
「これで会談はお開きじゃのう。やれやれじゃ。こういったつまらん会議は老体に堪えるわい」
《アラハバキ》の総組長である轟虎郎治は、聞こえよがせに大声で嫌味を言い放つと、席を立ち上がる。
雷龍の体は怒りで小刻みに震えていた。この会談によって《レッド=ドラゴン》の面々がどれほどの怒りと屈辱を覚えたか、言わずもがなだ。黄鋼炎や紅神獄も、雷龍ほど怒りを露わにしないものの、苦虫を噛み潰したような顔をしている。第三者である深雪でさえ、さすがに気の毒に感じるほどだ。
ただ、真実を――《進化兵》や《アイン・ソフ》といった勢力の存在を明らかにできない以上、こうするしか方法が無いのも分かる。この件がのちのち大きく尾を引くことが無ければいいと、深雪は切に願うのだった。
ともかく、これで会談は終了だーーー誰もが思ったであろうその時、突如として会議室の扉が盛大に開かれた。
真っ暗だった室内に鮮烈な光が差し込んで、一同の視線は一斉に扉へと注がれる。
そこに立っていたのは、一人の女性だ。ワンピースタイプの白衣の上にニットカーディガンを羽織り、黒いタイツを履いた、ひと目で看護師と分かる格好だ。
しかし、この場になぜ看護師がいるのだろう。深雪が首を傾げていると、九曜計都も訝しげに口を開いた。
「……何用だ? 今はまだ会談中だぞ」
その剣呑な口調に看護師の女性は体を強張らせたが、すぐに黄鋼炎が助け舟を出す。
「どうした、何があった?」
「も、申し訳ありません! ただ……紅神獄さまに至急、お伝えしなければならない事があるのです!」
それは本当なのか。九曜計都から問うような視線を向けられ、紅神獄は首肯する。
「彼女は私の専属看護師……いついかなる時も行動を共にしてもらっているのです」
(専属看護師……? 紅神獄の体調が悪いという噂は本当なんだ)
深雪は真澄の健康状態を心配に思った。彼女が専属の看護師を連れているのは、それほど常日頃から体調が悪いからなのだろう。この会談に挑む紅神獄からは、不調の兆候を感じ取ることができなかったが。
一同が黙って注目する中、看護師の女性は紅神獄のそばに駆け寄って、小さく耳打ちをする。何を話しているか深雪たちには分からない。おそらく、九曜計都や轟虎郎治にも聞こえてはいまい。
ところが、彼女の報告を聞き終えた紅神獄は表情を一変させた。先ほどまで威厳と気品に満ちていたその顔は今や蒼白になり、心なしか慌てているようにも見える。そして、やにわに席を立った。
「神獄さま……?」
「どうかされましたか?」
黄雷龍と黄鋼炎も、揃って驚いたような表情を浮かべた。まさか紅神獄がその様な行動に出るとは思ってもみなかったのだろう。
「……KiRI殺害事件に関しては全面的に九曜長官の采配にお任せしましょう。急用ができましたので、私たちはこれで失礼します」
「な……? それで良いのですか、神獄さま!? いったい何があったというのですか!?」
雷龍は戸惑いもあらわに叫ぶものの、神獄は一顧だにすることなく、看護師を連れて会議室を出て行ってしまう。黄鋼炎も甥の黄雷龍に目配せをすると、共にその後を追った。
会議室に残された面々は呆気に取られて、《レッド=ドラゴン》の背中を見送る。
「何じゃ、慌ただしい連中じゃのう」
「どうせ勝ち目はないと悟り、逃げ出したのでしょう。奴らは端から我々と対立するつもりは無いのです。何せ、数の上では《アラハバキ》のほうが圧倒的優位に立っておるのです」
「まあ、奴らは金だけはしこたま持っているからな。それだけで怯むとも思えんが……あの慌てようだと、よほどのことが起きたに違いない。いずれにしろ、いい気味よの」
《アラハバキ》の面々は言いたいことだけ言うと、「それでは我々もこれで失礼する」と言い残して会議室を後にする。
残されたのは、巨大な円卓とその一角に腰かける九曜計都、彼女の真向かいに座る六道、その背後に立つ深雪とオリヴィエの四人だけだ。
「長官、我々はどのように?」
六道が判断を仰ぐと、不機嫌そうに表情を歪めた九曜計都はため息を吐き出した後、片手を振って六道たちを追い払う仕草をした。
「こうなってしまった以上、会談は続けられまい。お前たちも下がるがいい」
会談に集った四者のうち、主役とも言うべき二つの勢力が退出してしまった以上、会議場に留まることに意味はないだろう。六道は九曜計都へ挨拶の言葉を口にすると、席を立って会議室を後にする。深雪とオリヴィエも一礼をして六道の後に続いた。
廊下に出ると《レッド=ドラゴン》や《アラハバキ》の面々の姿はすでに無く、閑散としていた。《収管庁》の本部となっている旧都庁は、彼らにとって長居したい場所ではないことは分かるが、それにしても《レッド=ドラゴン》が退出時に見せた混乱ぶりが妙に気になった。
「いったい《レッド=ドラゴン》に何が起きたのでしょうか?」
「さあ……?」
深雪とオリヴィエがそんな会話を交わしていると、不意に六道の腕に嵌めてある端末が点滅する。それに気づいた六道が腕輪型端末を操作すると、ウサギのマスコットをした立体ホログラム――マリアが慌てた様子で飛び出してきた。
「しししし、所長! 所長~~!! 大変です!」
「どうした?」
「ついさっき、おかしな動画が配信されて……それがとんでもない内容なんです! とにかく、今すぐ確認してください!」
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