ここに墓標を立てよ

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 レオンハルト・ローゼンハイムは舌打ちした。いくらヨハネスが所用でドイツに行くからといってブレンナー峠で別れるんじゃなかった。物分かりの良い男を演じるのはやはり愚かだった。歩けば歩くほど自分が袋小路に入り込んだという確信が大きくなっていった。見上げた木々の間からは太陽と空の橙は名残すら無く、暗い藍色しか見えない。星はかろうじて見えるが、自分は軍人であって航海士では無いし、星で進路を測ることは出来ない。昔は下級生を連れて山に入ることも出来たのにこのざまだ……  レオンハルトはまた舌打ちして側の大木に寄りかかってパイプを吸った。寄宿学校時代についたやんちゃな悪癖の1つだ。そのパイプが目に入ると思い出すことが沢山有った。唇が歪んでパイプが落ちそうになる。パイプを咥え直しながらレオンハルトは笑んだ。この旅行が終われば伯爵位を継ぐ。そしたら家の一切も財産も人も全部自分の思いのままだ。そう思ったら気力が湧いて来た。早く山を降りよう。マッチを擦ると遠くの闇に木の看板が見えた。傍まで歩いて見ると道が2つに分かれ、正規の道は左のようだ。  レオンハルトは道を下った。  良い天気だった。アルバン・ヘルツは妻のレオノーラの声に起こされながら窓の外を見てにっこり笑った。長年ウィーン警察に勤務し、功績を上げているヘルツはその報酬として10日の休暇を与えられた。その休暇を使ってレオノーラとハイリゲンシュタットへ保養に出かけた。宿に泊まり、朝から晩まで仕事をしないということは最初は落ち着かなかったが、直ぐに慣れてしまった。 「おはようあなた。今日もとても良いお天気よ」と横で起きたレオノーラが微笑んだ。「ねぇ、朝食を食べたら散歩に出かけない?」 「それは良いな」  外へ出ると自分たちと同じ中流階級の老若男女が微笑み、声を上げながら歩いている。もう昼間からホイリゲに繰り出したらしい陽気な男たちが子どものようにはしゃいでいる。 「あら、あの屋敷、ローゼンハイム伯爵家のものよ。……まぁ、ご不幸かしら」レオノーラが声を上げた。その先には立派な屋敷とそれに黒幕を垂れ流す家事使用人たちの姿が見えた。警察官の本能が不幸を知らされたのは昨日や今朝のことに違いないと告げていた。 「アルバン駄目よ。あなたは休暇に来たのだから」とレオノーラが若い娘のように腕を引っ張った。    
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