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そう言うと伯爵は荒々しく部屋を出て行った。残されたヘルツはアンシュッツとキルンベルガーと話をした。本当に事件性は無いこと、
レオンハルトが見つかったのは早朝で死亡推定時刻はその前日の夜であること、その時間帯に山を歩く人は多くないから居たら絶対に覚えている筈の人間がいること、レオンハルトが最後に歩いた道の逆方向に山小屋はあるが、その山小屋の管理人曰くその日泊まったのはドイツ語を話せない英国人の一行で有ること……
「ヘルツ警部、伯爵の意を組みたい気持ちは分かりますが、殺人に繋がる証拠は何も無いんです。グロースグロックナー山で殺人が起こったかもしれないなんて不安を助長しないで頂きたい」とアンシュッツはうんざりしたように言った。
「わたしは殺人事件を捏造しようと思っているんじゃありません。事実を知りたいだけです。捜査報告を見せていただけないでしょうか」
ヘルツ警部が嘆息しながらそう言うとアンシュッツとキルンベルガーは更に大きなため息を吐いた。
伯爵夫人はベッドに横になると気持ちが落ち着いたようで今は侍女のルイーズが渡したブランデーを飲んでいる。そこでレオノーラは手持ち無沙汰になった。隣にはメイドのアントニアとグレーテが居る。2人とも流行り物やゴシップに目が無い今風の若い女の子だ。
「奥様、もう少しお飲みになりますか?」とルイーズが聞いた。
「いいえ、もう良いわ……」と言い終わる前に伯爵夫人はまた泣き出した。
「どうしてあの子が……? あの子はまだ23歳だったのよ……まだこれからだったと言うのに……それなのに夫は息子は殺されたと言うし……そんなわけが無いわ。あの子は下級生に慕われる良い子だったのに……」
その途端、後ろのアントニアかグレーテのどちらかがかっ、と床を蹴った。顔だけ微かに動かしたレオノーラはアントニアが困ったような、笑い出したいのを堪えるような表情をし、それをグレーテが咎めようと小突くのを確かに見た。レオノーラはヘルツと結婚する前は貴族の子弟たちの家庭教師だった。その屋敷は歳の近い子どもが6人いる大家族で結束力が非常に強く、兄弟姉妹の1人が犯した悪戯や失敗を他の兄弟姉妹が庇い立てるのが当たり前でその嘘を見破り、報告することも仕事だった。今、アントニアとグレーテはその姉妹と同じ顔をしていた。
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