2 汐香

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2 汐香

凪と航は、当然、付き合ってるもんだと思ってた。 二年になった新しいクラスで、男女二人で、もう慣れた感じの雰囲気で、あんな近い距離でしゃべっていんだから、誰だってそう思っただろう。 カップルだと思っていながら、まるっきり初対面のあたしがそれでも声をかけにいったのは、ぶっちゃけ、悪く言えば『利用してやろう』と思ったからだった。 一年のクラスで仲の良かった友人は、みんな、文系クラスにまとめて行ってしまった。仲間内で理系クラスを志望していたのはあたしだけだったから、わかってたことではあるけれど。 ぐっと同性率が下がった教室では、数少ない女子はすでに既存のネットワークで固まりつつあり、今から入っていきづらい空気感をすでに醸し出しつつあった。 あたしは割合どこにでも入っていけるし、楽しくやれるほうなんだけど、世の中にはそういうのが苦手な人間がいるってことはわかっていたし、なんなら、激しく嫌うタイプの人間までいるんだっていうことも、去年、嫌というほど実地で学んでいた。うげ、と思い出すだけで舌が出るほど、痛い目に遭ったんだから。 まあ、波長が合う仲間だって当然いたから、孤立したりはしなかったけれど。 でもそんな経験も手伝って、さすがのあたしでも、ほとんど知らない女子グループの輪に、ぐいぐい入り込んでいこうなんていう気にはなれなかった。 そこで、凪と航だった。 「ねえねえ、みんな、知ってる同士なのかな? 誰も友達いないの、あたしだけ? みたいな」 女子グループでもない、男子グループでもない。ちょっとお邪魔だよなって思いつつも、このクラス替え初日、一番声をかけやすかったのが、二人だった。いずれ入れそうな輪を見定めるまでの、ちょっとした止まり木にさせてもらう、それくらいのつもりだった。 「えっ、付き合ってんじゃないの?」 あたしの目は、たぶん、真ん丸になってたと思う。 「いやあ、違うんだよなあ」 大げさすぎず、ごく自然に否定する航。 「よく言われるんだけどね」 動揺しない、というか、大して心を動かされていなさそうな凪。 「えっ、ほんとに? じゃあ、夫婦?」 その堂に入ったやり取りのせいで、思いっきり飛ばした発言をした、あたし。 航と凪は、顔を見合わせて、それから大笑いした。 そこまで言われたのは初めてだね、なんて言いながら。 あたしも、女の子だけのグループとも、たぶん男の子だけとも違う、居心地の良さを感じていた。 それはやっぱり、凪と航の長年培われた、安定した関係性から来るものだったんだと思う。少しウザったいくらいのあたしが混じっても、びくともしない。同い年だけの集まりなのに、どこか、家族のような安心感があった。 どちらかと言えばインドア派な二人を、あたしは、あちこち連れ回した。 二人はだいたい教室でだべっていて、あとは凪が本好きだから図書館に行ったりするくらいみたいだったから、何をしても新鮮らしかった。そんな二人の様子を見ているだけでも、充実した気分になった。  ★ 事情が変わってきたのは、すっかり三人でいるのが当たり前になっていた、一学期の終わりごろ。 凪は委員会に出ていて、あたしと航で戻りを待っていた。 「あ、それ、新商品じゃない? すごいCMやってるやつ」 購買横の自販機に入ったばかりで、さっそく封を開けてみた清涼飲料水のボトルを見て、航が言った。 「そうそう、なかなかイケるよ。飲んでみる?」 何の気なしにペットボトルを差し出すと、 「えっ。あっ」 航は、明らかに、狼狽えた。 「……あのさ、そんな意識しちゃわれるとさ、こっちも恥ずかしくなるんだけど」 「ご、ごめん。ありがとう」 あたしは、回し飲みの間接キスくらいは、もともと大して気にしない。誰でもいいわけじゃないけれど、親しくしている航なら何も問題なかった。 航も同じようなものだと思っていた。だって、凪とは、当たり前のように一本を二人で買って二人で飲んでいたりしていたんだから。 でも、違った。 戸惑っちゃう航がなんだかかわいかったし、友達ではあるけれど、女子としても見られているんだということもわかった。凪とは、違って。 それ以降、あたしも、航を一人の男性としても見るようになっていった。 そして、段々と、好きになっていった。 凪は、こんな気持ちになったことはないのだろうか。 「ないなあ」 「ないの? ずっと一緒にいて、一度も?」 「幼なじみの、友達だよ。それ以上でも以下でもない。汐香が話してくれたような、ときめきエピソードなんて、ないしなあ。私のほうも、全然気にしないで回し飲みしてるしね」 ニッと笑う凪が、あたしに気を遣って嘘をつくような性格ではないことは知っている。知っているけれど。 それでも、初めてこの友人を疑ってしまう。それは本当だろうか、と。 あれこれ考えることが増えた。 寝返りをうつ回数も増えた。 授業中のノートの落書きの数も増えた。 あたしはすっかり、自分の内側のバランスが崩れてしまっていた。 そんなときの解決方法はわかっている。 前のめりに進むこと。この場合は、気持ちを伝えること。あたしはいつも、そうやってきた。それが一番後悔しないって、わかっているから。 わかっているけれど。 でも、今回は、自分だけの問題じゃない。 長い時間をバランスをとってきた二人の均衡まで、崩すことになってしまうんじゃないのか。 「私は別にいいよ。気にすることなんてない。気にされるようなこともないしね」 凪は、相変わらず、平穏さを崩さなかった。 「でも、」 「いつかそういう時が来るだろうって、思っていたから。あいつの恋愛相談に乗る日がね。まさか、相手のほうから先にされるとは、思ってなかったけど」  ★ 「なにも、問題ないよ。泣くことなんてない」 航はそう声をかけてくれた。 でも、涙が止まらなかった。 半分は、安堵の気持ちから。 凪はああ言ってくれたけど、じゃあ、航の気持ちは? 航は凪が好きで、それを凪が知ったら? ずっと、ずっと、不安だった。 半分は、罪悪感から。 本当はやっぱり、二人が結ばれるべきだったんじゃないか? どちらにしても、決定的に三人の関係性を変えてしまった。 もう、元には戻せない。 そして、それを超える、感謝の気持ち。 凪、ありがとう。 突然割り込んできたあたしの背中を押してくれて。 航、ありがとう。 突然割り込んできたあたしを、ちゃんと受け止めてくれて。
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