双子の星と片羽の蝶

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「朧月夜の春の風よ。なぜ私たちは離れ離れなのだろう。片羽の蝶ではあなたの元へと飛んでいけない」 右手を伸ばし、朧月が怪しく浮かび上がる夜の空を掴もうとする。目の前には薄ら雲。私たちの星座を隠さないで。長方形に似たあの星座——双子座の星。そう、私たちは双子。世界でたった一人、同じDNAを持つ全く同じ個体。 私、絵麻と絵夢は双子座の星の元に生まれた。 ◇◇ 小さな小さな田舎町。高層ビルなんて無い風景画。排気ガスに塗れ腐った酸素や脳みそを響かせるノイズなんてない。空を切るのは澄み切った酸素と雀だけ。私たちは、透明な空気の中で見上げる星の座標が好きだった。 夜風で同じ菫色のカーテンが揺れる。踊る。 窓ガラスを全開にし、二人で頬杖を付いて顔を上げる。 「キレイだね!」 「うん、キレイ!」 「あの長方形みたいな星が双子座だよ」 絵夢が点と線を結ぶ様に、星座を指でなぞる。 私はそのラインに合わせて視線を動かす。星と星同士を結んでいく。本当にあの算数の長方形の様だ。 「私たちと一緒の双子だね」 私は絵夢の左手の甲に自分の右手の甲を寄せる。二人の手の甲が重なり合うと一つの、一匹の蝶へと生まれ変わる。生まれた時から私たちにあるアザ、しるし。片羽の蝶のような浅葱色のアザ。二人の羽が重なり合うと一匹の蝶が、その夜の空へと静かに飛び出していきそう。 パタパタパタ……金色の鱗粉を降らせながら飛ぼうよ。 この時に飛んでいれば、私たちは離れ離れにはならなかったのだろうか。あなたと永遠に——。 私たちは手を繋ぎ、手首を上下させ蝶を夜空へと羽ばたかせてみる。見上げた朧月は儚くそれを照らす。揺らす。 下の階からは、いつもの様に繰り返される怒鳴り声と物と物がぶつかる大きな音。お母さんがまた悲しい思いをして苦痛に耐えている。助けなきゃ。でも恐怖で全身が凍てつき、震えて何も出来やしない。毎夜の事、毎夜の後悔だ。 私たちはこの部屋から逃げ出し、あの星の元へと飛び立って行きたかった。 ある日、お母さんとお父さんは夫婦では無くなった。 お母さんは泣きついてお父さんの腕を引っ張ったが、絵夢はお父さんに引き取られ、私はお母さんに。 突然、私たちは引き離されたのだ。 蝶は半分こに引き裂かれたのだ。 だいぶ距離は離れたが、小さな小さな田舎町なので光が届くぐらいの距離に絵夢は居た。寂しさの波が心を飲み込みそうになっても、以前の様に月夜を見上げれば安心感がある。きっと絵夢も見上げている。そう思うだけで強くなれ、あなたがいない日常も頑張って生きれた。 私たちは双子座。遥かな絵夢の想いも分かる気がした。瞳を閉じて心をスーッと沈めると、絵夢の意識にいる気分になる。お父さんの怒鳴り声、物と物がぶつかる音。 痛い、痛い、助けて。 怖い、怖い、助けて。 絵夢が苦しみの叫びを上げている。助けたい。どうすればいい?無力な自分が嫌いだ。私に何か出来ないだろうか。 星の点、あなたがなぞった点を見つめる。それが悲しげに光煌めく。 あ、光だ。 私は部屋をひっくり返し、懐中電灯を探した。 「モールス信号」 電信で用いられる可変長符号化された文字コード。モールス符号を使った信号はモールス信号と呼ばれる。モールスは音だけでなく発光器による通信もある。 これだ!これで離れた絵夢と通信しよう。昔よくモールス信号で遊んだ事がある。神社の石ころと石ころだったり、部屋の中では懐中電灯と懐中電灯。私たちはその信号の簡単な符号なら分かる。 私は絵夢の部屋に向けて通信をしてみる。その発光線でゆっくりと頭で思い出しながら。電灯の入りと切りをパッパッパッと繰り返す。 〝ここにいるよ〟 寝静まった夜風が菫色のカーテンを揺らす。踊らす。お願い、気付いて!気付いて! 〝わたしもここにいるよ〟 遥か澄んだ空気の向こうから、発光体が点いたり消えたりを繰り返す。それは掴めない星座が瞬いている様だ。離れ離れとなった星と星。それを繋いでいるのは発光線。 この日からこの通信は始まった。 まるで〝おまじない〟のような符号。 〝ここにいるよ〟 それだけで安心した。 それだけで日常を頑張れた。 それだけで幸せだった。 それだけで生きていけた。 絵夢は大丈夫だろうか。暴力を振るわれていないだろうか。心配だ、心配だ。あの男は悪魔なんだ。 瞳を閉じて意識を集中させると、心をカッターナイフで切り裂かれた感覚がした。絵夢が痛がっている。辛い、苦しい、そう叫んでいる。今すぐにでも羽ばたいて助けに行きたい。私は右手の片羽を動かす。 〝ここにいるよ〟 発光体が私の窓へと届く。その光は儚く煌めき、悲しみを帯びている。私は机に置いてある発光器を持ち、悲しみの夜空へと掲げる。大丈夫、大丈夫だよ。 〝ここにいるよ〟 いつもの光とは別に瞬く雫が発光した様に見えた。その点は増えていき、暗い闇空を埋め尽くしていくみたいだ。 あなたが泣いている。苦しい、辛いと言っている。 「朧月夜の春の風よ。なぜ私たちは離れ離れなのだろう。片羽の蝶ではあなたの元へと飛んでいけない」 星座は繋がらないと一つになれないの。 片羽の蝶も重なり合わないと一匹になれないの。 朧月に必死に手を伸ばしてもあなたには届かない。 次の夜、私はもう届く事のない信号を待っていた。 今朝の電話通信。泣き崩れたお母さん。それはあなたの死を意味した。それからずっと止まない雨は降り続く。 朧月が登ってもなお。 菫色のカーテンが揺れる。踊る。 あなたが居ない双子のカーテンも揺れているの? 頬杖をついて星の座標を見上げる。今日は薄い灰色の雲はない。晴れ渡った夜の空。だから私たちの星座はとてもくっきりと輪郭が見えるよ。 右手を伸ばすと近くを片羽の蝶が通り過ぎていった。 アザと一緒の浅葱色をしている蝶だ。 金色の金粉が散らばって、星空をより煌めかせていく。 そしてその蝶は双子座の星までたどり着くと、儚く溶けて消えていった。今宵の夜の空へと。 あなたはそこにいるんだね。 ねぇ……絵夢? 〝ここにいるよ〟 end
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