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家にもあまり帰ってこない、仕事ばかりの父親との生活。家の中はもっぱら俺一人で、チクタクと進む時計の針の音はやけにうるさかった。
チクタクチクタクチクタク…………ああ、うるせえ。なんで今時、アナログなんだよ。デジタル時計にしろよ。うるせえよ。
俺の神経を酷く逆撫でする音だった。
ある日、その時計の音があんまりに耳障りなので、破壊したことがあった。小学校六年生の時だった。家にあった、一体何のために使うのかわからぬ棒切れを振り回した。遠くの壁に掛けてあったそれを、椅子の上に立って、思いきり叩いてやった。
時計は間抜けな音を立ててガラスを散らし、その音を止めた。せいせいした。すっきりした。帰ってきた父親は、俺を殴った。
それがきっかけだったのかはわからないが、父親はある日から、女を家によく連れてくるようになった。
同じ会社の女らしい。俺たちの家の事情をよく知っているかのように話す女だった。
「幸人くん、私をお母さんだと思ってね」
屈んで胸の谷間を強調しながら、女はそう言った。口元をたわませて、厚ぼったい唇でにっこりと笑う。
長い髪を耳にかきあげ俺に微笑むと、女はかたわらに立つ父親と目を合わせてまた笑った。やけに笑う女だった。
父親はその後も、何回かそいつを家に呼んだ。
あんなに俺と食事をとることすらしなかった父親は、その女に料理を作らせ、同じ食卓に俺を置いた。
それははたから見れば、理想的な家族を作り出そうとする父親の努力のように見えただろう。俺も最初はそうかと考え反吐を吐く思いだったが、だんだんそれにも慣れていき、女はいつしか当たり前のように家にいるようになった。
女はいつも香りを発していた。やけに甘ったるい匂いだった。香水なのかシャンプーなのかはわからなかったが、それまでにはなかった香りを漂わせて家にいるようになった女は、俺と父親の家にとっては異質なものだった。
蒸し暑い真夏のある日、女は我が家に泊まることになった。
そんなことは今までにも何回かあった。小さなマンションの自宅には俺の部屋と父親の部屋があり、女は父親の部屋でいつも眠っていた。
その日も女は、父親と同じ部屋で眠っていた──はずだった。
自室で寝ている俺の鼻腔を、嫌いなあの甘い香りがくすぐった。
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