5人が本棚に入れています
本棚に追加
ベッド上で、息荒く女を見つめる俺。床上で衣類がはだけている女。それがどう見えるのかなんて、そのときの俺にはわからなかった。
父親はすぐに、俺を殴りつけた。
そうして俺は初めて──ああ、そういうことかよ、と冷静に理解したのだった。
「お前は……何をしてるんだ!」
父親は俺を殴った拳を、わなわなと震わせて怒鳴った。侮蔑を混じえた視線で、俺の顔を穿つ。
心の臓が冷えていくのを感じた。父親が今、どちらを信用しているのかなんてすぐにわかったからだ。それでもまだ幼かったと言える俺は、乾いた口を開いて真実を訴えようとした。
「そいつが、忍びこんできたんだよ。俺に急にかぶさってきて……」
「嘘をつくな!」
目の前の父親は、俺の言葉を遮る。そいつの肩に、いつの間にか立ち上がっていた女は両手をかけてすがりついた。
「もうやめて、幸人くんは何も悪くないの。私が軽率だったの。相談事があるからって、こんな夜中に、部屋に行ってしまったから……」
笑えるくらいに、何を言っているのかわからなかった。
女が発する言葉は呪いだ。そしてその術をかけられた父親は、魔女のうわ言にたぶらかされた哀れなただの男だった。
「お前が悪いんじゃない。俺がすべて……ちゃんとこいつを見ていなかった俺のせいなんだ」
その父親の言葉は正しかった。
そうだよ、あんたが全部悪いんだよ。
今の現状は全部、あんたが招いたことだ。
息子が乱暴者なのも、寄ってきた女がその息子に襲いかかる色惚けババアなのも、それに気づかないのも、全部全部全部あんたのせいなんだよ。
ぐっと唇を噛みしめた痛みだけ──なぜか、覚えている。握りしめた手のひらに自分の爪が食い込んでいたことも。そして、ベッドの下で、刃先をのぞかせていた包丁の存在も。
俺は覚えているのに、一度も父親には言わなかった。
なあ、魔女さんよ。
あんたの本当の目的は、なんだったんだ?
その問いを投げかけることは叶わなかった。この事件以来、女が俺の家に来ることはなくなったからだ。
最初のコメントを投稿しよう!