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自分の名前が大嫌いだった。
二十三年間生きてきて嫌いなものはなんだと問われたら、迷わずに自分の名前だと言うだろう。
嫌いなものならば、他にも数えきれないほどあった。
父親に教師。
昔の同級生たち。
噂好きの多い近所の大人たち。
灰色に見える生まれ育った町。
集団じゃないと何も行動できないやつ。
知ったかぶりをするやつ。
わかった気でいるやつ。
見下してくるやつ。
しなだれてくる女。魔女のような爪。香水。アナログな時計の音。静かな空間。
眩しい太陽。
壮大な海。
そういったものが、全部全部全部全部────大嫌いだった。
でもそんな大嫌いなものも、死んじまえばオサラバだ。
なんだ、死んでもいいことがあるんじゃねえか。はは、と笑みがこぼれる。
──……笑み?
なぜ死んだのに、笑みなんかがこぼれるのだろう。
そう考えた瞬間、笑ったはずの口からヒュッと音が出た。
喉が、肺が、心臓が、脳が、その口から酸素を求めて空気を吸いこめと俺を突き動かす。
ふいに目を開くと、暗闇と圧迫感が俺を押しつぶしていた。
「……っは!? がはっ! ……ゲホッ!」
兎にも角にも、体は酸素を欲していた。
目一杯あたりの空気を吸いこみたいのに、俺を押しつぶしている暗闇がそれを阻む。何だこれは────邪魔だ!
思いきり振り払ったつもりなのに、その手は震えていて弱い力で暗闇を押しているだけだった。
暗闇と思ったものは、どうやらゴミ袋らしい。数多のゴミ袋の下にいた俺は、まるで地獄の底から這い上がる屍かのように、ゴミ袋の山から体を出したのだった。
すると突然、目の前に真っ黒な嘴を突き立ててこようとする烏が現れたので驚いた。
「うわ!?」
俺の悲鳴に烏も驚いた様子で、ギャッギャッと鳴いて翼を広げて逃げていく。
あたり一面には、今しがた押しのけたゴミ袋。それを荒らしていた烏数羽と、破れ散らかされたゴミ袋の中身たち。異臭と腐敗の匂いが、死の淵から這い出た俺を出迎えてくれた。
息を整える。
ドックドックと心臓の鳴る音だけが、妙に体中に響いていた。
「生きて、る…………」
首筋をなぞる。
そこにはたしかに、ロープで締められた跡があることが、指の先でも確認できた。
それでも生きている。
俺は、生きている。
「…………はははは」
かすかな笑いが漏れた。
何だ俺は。とんでもねぇ強運じゃねぇか。
首を絞められて殺されかかって死にかかって、それでも息を吹き返して生きているだって?
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