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ポケットに無造作に突っこまれている札束と小銭。それだけが、今の俺の持っているものすべてだ。
ああ、帰ったらスマホの解約だけでもしておかないとな。どう使われるかわかったもんじゃないから、それだけはきっちりしておこう──なんて、やけに冷静に算段する。まあ、あの路地裏での様子を見れば、鈴木が俺のスマホで今すぐにどうこう出来るわけもないだろう。
脳裏に、先刻の男の土下座姿が蘇る。
あいつはきっと、俺の元同級生でも何でもなかったのだろう。そして鈴木という名前ですらないのだ。ありきたりな苗字を名乗り、寄ってきただけだ。どういう経緯で俺の苗字がバレたのかは知らないが、さまざまな詐欺の手段やルートを知っているあいつなら、名前を盗み見ることくらい容易かったのかもしれない。
たまにいるんだよな、ああいう、ハイエナみたいな輩は。俺みたいに、いなくなってもすぐに騒がれないようなやつを取っ捕まえて利用して、用なしになったら消す。そうして捕らえた獲物も、すぐにライオンに横取りされてしまう間抜けなやつがさ。
それもいいさ。一つの生き方だろう。でも俺は、あんな風にはならないぜ。あんな、土下座なんて無様な姿をさらして殴られるような生き方なんて。
じゃあ、今の生き方は満足しているのかと聞かれたら──それはそうだとも言えないのだけれど。
眉間に皺が寄る俺の顔をまた、運転手のおっさんがミラー越しに覗き見ていた。シミで汚く縁取られた小さな目を細めてまた、フヒ、と豚のように笑う。
「お客さん、やっぱり裏仕事の人だね」
詮索好きなおっさんだ。俺は眉をひそめるだけで答えなかった。
それなのにおしゃべり好きのスイッチが入ってしまったのか、おっさんはえらく流暢に話し始めた。
「いや、長年こうしてドライバーをしているとね、わかるんですよ。乗ってくる人たちのこう……裏側っていうんですかね。仕事は何をしているとか、どんな性格の人なんだとか。とくにわかりやすいのは、お客さんみたいな若い男性ですわ。その年齢だと、着ているものだけでわかります」
どこかで油でも差されたのだろうか。えらく滑らかになった口元からは、流れるように言葉が出てくる。しかもその内容はいたく、俺の神経を逆撫でするもので。
「へえ……じゃあ、あんたは俺がどんなやつかわかるって?」
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