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空は赤よりも青の濃いグラデーションに変化して、蚊のように見えた黒い集合体は、遠くにいるコウモリのようだった。歩いているのは、坂を登りきった平坦な道。まだ先には坂が続くのだろう。薄暗い景色の先には、黒い山が見えていた。
左手は葉が生い茂る山側、右手には頼りないさびれたガードレールが並び、その向こうは草木茂る崖となっていた。
坂を上がろうか、下ろうか。そう思案していた時だった。
エンジン音が、鈍く背後で響いた。
それは獣の喉から震わせるような呻き声に似ており、嫌な気分で俺を振り向かせる。
嘘だろ、おっさん────しつこすぎるんじゃないの。
口の端が引きつった。人間やばいと感じると笑っちまうのか。狂乱じみた双眸にフロントガラス越しに射ぬかれて、俺はすくみかけた足に力を込めた。
生死を分ける判断は、一瞬だ。
こちらに向かってきた車は、闘牛のように真っ直ぐ突っこんでくる。それを避けた俺は、マタドールさながらに華麗に宙を舞った。
おっさんは運がなかった。
そして、馬鹿だった。
俺は崖側に立っていたし、その向こうのガードレールはさびていた。
その二つの条件下に、アクセル全開の車を突っこませれば、どんな事態を招くのかなんてガキでもわかる。
おっさんを乗せた車は、ガードレールを突き破って崖の向こうに姿を消した。
大きな音をともなうわりに、間抜けに落ちていったタクシーの車。スローモーションのようにゆっくり傾き、再生ボタンを押されたようにあっという間に落下した。叫び声も聞こえた気はしたが、大きな物音に紛れてかき消されたそれを、茫然と俺は聞いていた。
蠱毒箱になり損ねたタクシーは、見る影もなく崖下にて、グチャグチャになっているに違いない。
おっさんはきっと、今までたくさんの生き物をあのタクシーで殺していたのだろう。そして最終段階の人間へ、俺を選んだ。それが、運の尽きとなった。
俺は油断すれば震えそうになる膝に手をつくと、破れたガードレールを睨みつけた。
何だっけ。
蠱毒で生き残ったやつには強い毒があり、呪いに使われる──だっけか。
あのおっさんも、毒気にやられたのだろうか。そうとうに尋常じゃなかった。
自分に刺さっているナイフを自分で抜いて、相手の死へのみ執着して、崖へと突っ込むなんて。狂人という言葉がぴたりとはまるような、哀れな男だった。
でも。
そんなおっさんに殺されかけて、生き抜いた俺は、より強い毒でも持っているのだろうか。
それとも、脱出できたのだから関係ないのだろうか。
そんなくだらないことを考えて、唇の端を噛んだ。
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