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その日俺は、バイトの給料日で懐が温かかった。いつもは激安スーパーや女の金で飯を食っていたが、久しぶりに外食をしたい気分になっていた。
と言っても、そんなに高い店に行くつもりなどなかった。どこにでもあるようなチェーン店の居酒屋に入ると、左隅のカウンター席に座った。
薄っぺらい笑顔を貼りつけた店員が、注文を聞いてくる。やたら腕まくりをしている、馬鹿そうな大学生くらいの男だった。
「ご注文は?」
「ビール。……レバ刺し、たこわさ、唐揚げ」
メニューで目についた適当な食べ物を読み上げる。店員は張りのある声で「かしこまりました!」と叫ぶと、俺の近くから消えた。
大衆居酒屋とでも言うのだろうか。昭和時代をイメージした店内に、古いポスターがやたらと貼られていた。
おどけたちょび髭親父がこちらにドリンク瓶を掲げたり、ビール瓶を抱きしめるスカーフ姿の女のイラストが描かれている。そのどれもが古めかしさを演出するためのレプリカで、よく見れば傷や汚れと見えたものも、印刷されたものだった。
汚れや古さをわざと貼りつけて、何がいいのだろう。料金だけはきっちりと現代価格で搾り取るくせに。
そんな意味も脈絡もないことを考えていたときに、あの男は声をかけてきたのだった。
「お前、恩田じゃないか?」
壁のメニューを見ていた俺が横を向くと、そこには右隣の木製椅子に手をかけた男が立っていた。
やたら磨かれたスニーカーにジーンズパンツ、黒のTシャツの上に趣味の悪いドクロのシルバーアクセサリーを垂らしている。
まったく見たこともない男だった。
年齢は俺と同じくらいには見えるが、その口元には八の字のようなほうれい線がくっきり浮かんでいた。こちらを見ている瞳は、魚眼のようにやたらパッチリとしている。長く首筋に落ちている髪は乱雑で、肌も荒れ気味だ。手入れをすればマシに見えるだろうだけに、残念な風貌の男がそこにはいた。
「……誰」
「えっ。マジでわかんない? 俺おれ、鈴木だよ」
鈴木と名乗る男は、誰も良いとは言っていないのに隣の椅子をひいて腰かけた。
「ありきたりな苗字だし、わかんねーよ」と俺は答える。
その時ちょうど、店員がカウンター越しに生ビールのジョッキを置いた。鈴木という男はその店員に「俺も同じの」と注文する。図々しい態度に俺の眉間が寄った。
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