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思えば、女に媚びへつらうことも話を合わせることも、俺の性には合わなかったのだ。それに加えホスト同士の醜い争い、虐め、嫉妬。男のそれは女よりもさらに醜悪に見えて、反吐が出た。俺は、その一日だけでギブアップした。
「俺は、その日暮らせればそれでいい」
思い出したくもない過去を思い出して、遠くを見ながら俺はそう言った。
次々と運ばれてくる料理を口に放り、まだ満たされない腹のために追加注文しようとメニューに手を伸ばす。すると、浮かそうとしたメニュー表を上から押さえて鈴木が言った。
「なぁ、恩田。店を変えないか」
「は?」
まだ本格的に酔っても食ってもいないのに、なぜ。
訝しげに鈴木を見ると、奴のぎょろりとした双眸が小さく細くたわんでいた。
「いい話があるんだよ。場所変えて、ゆっくりしようぜ」
小さく低く発せられた言葉──イイハナシガアル。
この八文字ほど、分かりやすい危険信号はないだろう。通常の人間ならば、すぐに警戒をして相手の思惑を探るシーンだ。
しかし、その時の俺は暇だった。あまりにも──暇だった。多少の危険やスリルに触れてみても面白いかもしれない……と、考えるほどに。
「なら、ここお前の奢りな」
そう言って再度食べ始めた俺に、鈴木は満足げに笑って頷いた。
鈴木が俺を連れて行った先は、繁華街の細道に入った小洒落たバーだった。そんな場所に初めて入った俺は少し戸惑ったが、やつがあまりにもすんなりとその扉を開くので、その背中に当然のようについていった。
店に入ると、鈴木は店員にカウンターではなくソファー席を指定し、案内してもらった。
角の席にあったそこはなるほど、壁とソファーの背もたれ、そして馬鹿でかい水槽でしっかりと空間を切り離されていて、密談もできそうな空間であった。
適当に酒を頼み、煽り、つまみを食う。
少し落ち着いた頃に、やつは言った。
「で、いい話ってのはさ」
カラン、とモヒートのグラスを傾け、鈴木は切り出す。
「詐欺しない?」
学生が部活勧誘でもしているかのような軽さだった。そんなことだろうとは思っていたが。
「直球だな」
「お前には、これくらいがいいかなぁと思って」
遠回しに馬鹿とでも言いたいのかとムッとしたが、そうではなかったらしい。鈴木はグラスにかかっていたミントをいじりながら、楽しそうに笑う。
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