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朝、いつものように1階に降りる。
正確な日数は忘れたが、日本にいた頃から1ヵ月は経っていないはずだ。なのに、ここでの生活のほうに慣れてしまった。それが僕自身の適応力によるもので、何者かの意思が介入していないことを願う。いや、そんな類のことはこれまで起きていないけど、昨日久しぶりにステータスが上昇したことで、例の神の存在をなんとなく意識してしまう。
「やあ、おはよう」
机に座っていたのは、オータルさんだけだった。いつもより少し遅い時間だから、他の人たちはもう働いてるのかもしれない。
「おはようございます」
挨拶を返す。僕が普段座る席にだけ、1人分の朝食が置いてあった。どうやら本当に、他の人はもう動いているようだ。僕の今日の予定は何もないが、いつまでもダラダラしているわけにはいかない。早く食べて、剣の練習でもしよう。
ん、おいしい。決して、日本式の朝食ではないが、それももう慣れた。量や種類はあっちよりも少ないけど、それに不満を感じることもない。僕もすっかり、この世界の住人かもしれない。
「そういえば、オータルさん。僕の剣、1階にありませんでしたか?昨日持ち上がるの忘れていて」
ふと思い出して、聞いてみる。
「あー、グレイさんが奥に持っていったよ。今はちょっと外出してるから、昼頃にでも聞いたらいい」
みんなが集まるところに、いつまでも置いておくようなものでもないし、それはそうだろう。福音荘では、今いるリビングのような場所と、自分の部屋ぐらいしか把握できていなくて、倉庫がわりになっているらしい1階の他の部屋の事はわからないから、素直にグレイさんが帰ってくるまで待とう。
「一心君は、今日の予定何かあるかい?」
「いいえ、何もないです。剣の練習でもしようかと思ってたけど、それも無理ですし」
オータルさんの質問に答える。
「なら、ちょっと僕に付き合ってよ。この町に来てから、必要なものを買う位で、ブラついたりとかしたことないだろう。これから住む街なんだし、リリィ以外の視点から見たこの街を案内しよう」
お誘いがあった。確かに、買い物以外でこの街を歩いたのは、カフェに行ったこと位だ。あのカフェの件は、正直自分でもよくわかっていない。多分これからもわからないだろう。この世界が、異世界だと言うわかりやすい記憶だと思っておこう。
「いいですね。いろいろ知っておきたいですし、よろしくお願いします」
「そうこなくっちゃ」
そんな話をしているうちに、食べ終わった。皿を流し台にもっていく。洗うべきか悩んだけど、他の人たちの皿もそのまま置いてあったため、別にいいやとそのまま置いておいた。
「いつ行きますか?」
「あはは、朝から動き出すのは僕の性に合わなくてね。しかし、グレイさんが帰ってきたら君はすぐに剣の練習を始めそうだ。そうなる前に、早く行こう」
そう言って、オータルさんは読んでいた本を閉じ、立ち上がった。何かの鍵を手首に付けている。福音荘の自室の鍵とは違うようだ。どこの鍵だろう?
「ちょっとね」
とだけ、オータルさんは言う。
「さて、案内するとは言っても、僕自身がインドア派だ。普段行くような場所も限られているし、君が気にいるかどうかは正直わからない。そのことも踏まえて、どこかご希望は?」
福音荘のすぐ前で、オータルさんが聞いてくれた。希望と言われても、僕にだって行きたい場所があるわけでもない。でも、相手はオータルさんだ。せっかくだし、魔法関係の場所なら、いい所を知っているかもしれない。
「オータルさんが、普段本を買ったり借りたりするような場所って、どこなんですか」
結論から言うと、その質問は正解だった。気まずそうにしていた彼の顔が一気に晴れて、目も輝きを増した。そして今、こんなところにいる。
「僕が本を買うのはここさ。この街は、中央の城近くの方が栄えているからね。福音荘からは少し遠いけど、ここならたいていの本が手に入る。何か読みたいものがあるなら、言ってくれ。君はまだまとまったお金を持っていないだろうけど、1冊分位のお金は貸そう。出世払いで返してくれ」
前を行くオータルさんに連れていかれるままだったが、どうやらこの辺が、この街の中心部らしい。確かに、建ち並ぶ建物が少しだけ豪華になっている気がする。
その中でも特に、僕が連れてこられた店は豪華だった。他の建物同様、木造建築だったが、その中でも一際、木そのままの造りだった。静かで厳かな感じ。何故かわからないが、圧倒感のある建物だ。中には、たくさんの本が並んでいた。装飾はすべて質素だが、雰囲気がある。娯楽用の小説のようなものもいくつかあるが、それよりも学問用の種類のものが多そうだ。手近にあったもののタイトルをいくつか読み、難しそうだと言う感想しか出てこない。
店の中を何周かして、この世界について少しだけ詳しくなった気がする。1冊も中身を読んでないけど、並ぶ本のタイトルだけは読み続けたから、どういう話が多いのかわかった。
自然科学系は、僕の知識と同じか少し遅れているようだった。高一の一学期までしか学んでいないから、どのレベルかはよくわからない。というか、少なくとも僕が理解できる範囲で、元の世界とこっちが同じ法則で成り立っているのは意外だった。魔法なんてものがあるから、一から十まで全く違うルールでできていてもおかしくないと思っていたのに。
魔法系は、よくわからない。前にみんなから聞いたような単語はいくつか見つけたけど、それ以上に知らない単語が多い。オータルさんに学術魔導士に誘われたけど、断って正解だったようだ。
そのほかは、物語と歴史と、なにやら偉い人の手記が並んでいた。面白そうではあるけど、ここにある本から読み始めるのは難易度が高そうだ。色々知ってからかな。
「どうだい、欲しい本は見つかったかい?」
自分の見たいものは全部見たのか、オータルさんが近寄ってきた。1冊の本を抱えている。
「ええ、ちょうどいいのがありました」
目をつけていた本を棚から取り出し、オータルさんに見せる。その本には、“森や草原で採れる特殊な植物”と銘打たれていた。僕は今知りたい知識は、モンスターのことと採るべき素材のこと。そのうち、モンスターのことをいろいろ教えてもらえるし、福音荘の住人が何冊も図鑑を持っているらしい。だから、素材に関係ありそうな植物の本が欲しかった。
「うん、ならその本を買おう」
「買ってもらった後に言うのは変ですが、そんな簡単に1冊丸々のお金を貸してもらってよかったんですか?本って結構高そうですけど」
この世界の印刷技術がどうなっているのか、この本屋を歩いただけではわからなかったけど、日本ほど整っている事はないだろう。活版印刷というのがこの世界の今、あるのかわからない。そう安いと言う事はないと思うのだが。
「本が高いっていうのは、10数年から数十年前の感覚だね。生産魔法革命と、木から紙を作る技術が簡略化されていったことで、かなり安くなったんだよ。僕程度でも、月に2、3冊買えるほどにね」
あーなるほど、つまり……
「確か、植物魔法を使った生産は、他の魔法よりも簡単なんでしたっけ」
リリィと会ったばかりの頃、教えてもらった。
「そういうこと」
会計の済んだ本を、僕に手渡しながらオータルさんは笑った。僕に魔法の知識が多少あったことか、本が手軽に手に入るようになったことが嬉しいようだ。
「なんだかんだ、もう昼だね。福音荘に戻ろうか。昼ごはんは別料金だけど、それでもグレイさんのご飯が食べたくなるよね」
「というわけで、オータルさんに本を買ってもらいました」
「買ってあげた、と言うつもりはないよ。いずれ返してもらうつもり。忘れないでね」
結局、住人全員が福音荘で昼食をとっていた。僕たちの午前の話をする。他の人は、みんな仕事だったようだ。
「いいわね。私も一心君と一緒に街を歩いてみたいわ」
と、フロワさん。
「へー面白そうだな、俺にも今度付き合えよ」
と、ギレンさん。
「なら、明日明後日でも行けばいいじゃないですか」
と、グレイさん。
「私、明日は空いてるわ」
「俺は明後日」
おっと、とんとん拍子で話が進んでいく。
「私は、ここ2、3日忙しくするつもりだから、ちょうどいいじゃない」
リリィも賛成のようだ。
僕の今後2日の予定が決まった。
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