福音荘の朝

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福音荘の朝

 それから、紅茶を飲み終わったらすぐに自分の部屋に戻った。そういうのに詳しくないからわからないけど、安眠効果のあるものだったのだろうか。気持ちよく眠れた。  翌朝、小鳥の囀りを聞きながら目が覚めた。なんとも風流なことだと、今までの自分の人生ではありえなかった目覚めを心地よく感じた。  なんとなくノートを確認した後、コンコンとノックされた。 「はい」 「あ、起きてた?そろそろ朝ごはんの時間だから、下りてきてね」  ノックの主はリリィだった。早朝にしてはテンションの高い声がドアの外に響く。思いつめたような昨夜の面影は、声を聴く限りもうすっかりない。  昨日、リリィと一緒に買った服を手に取る。今着ている寝間着兼、部屋着用じゃなくて出かけるときにも着れるいい感じのやつ。これまで母さんに服選びを任せていたから、自分で買ったり着るのを決めたりするのは、どこか違和感がある。  そんな思いも適当に捨て置き、みんなを待たせないためにさっさと着替える。ボタン付きの服って、一々開けるのめんどくさいよな……。  脱いだ服をどうすべきか知らないことに、今気づいた。家事は自己責任のはずだけど、どこでどうやってやればいいのだろうか。もう親に甘えとけばいいわけじゃないんだよな。詳しいやり方については、あとで聞こう。  身支度が済んだら、勢いよくドアを開けた。福音荘では、個室が廊下をはさんで向き合っているが、僕の部屋は階段から一番遠い端にあって、向かいの部屋のリリィは既に下りているから、開ける勢いは気を遣わなくてもいいだろう。  部屋の中からは感じなかった朝食の良い匂いを楽しんでいると、隣の部屋のドアが開いた。隣はギレンさんの部屋だ。 「おう、おはよう。昨日はよく眠れたか?」  ギレンさんは、微笑みながら僕にそう言ってくれた。 「はい、途中で目が覚めたけど、そのあとはぐっすり眠れました」 「そりゃよかった。ん、中々良い服じゃねえか。お前、センスいいんだな」 「ああ、これはリリィに選んでもらったんですよ。手持ちの服がなかったんで、昨日グレイさんに言われて」 「へえ、アイツが……。意外だな」  なんて会話をしながら、すぐに階段まで来た。福音荘の二階には両側にそれぞれ三部屋、合わせて六部屋しかないから、廊下は短い。  二階から下りる直前に、ギレンさんが壁を蹴った。ドォォンと、かなり強く。 「あ、ああ、あああ。起きてる、起きてるよぉ」と、どう考えてもベッドに転がりながら答える声が、壁越しに聞こえた。オータルさんは朝が弱いらしい。  蹴った跡が、若干壁に残っているのだがいいのだろうか。 「誤魔化せなくなったら直すから大丈夫だ」  僕の視線に気づいたギレンさんが、言い訳がましくそう呟いた。 「おはようございます、二人とも」  下では、グレイさんがおのおのの席に料理を並べていて、リリィもそれを手伝っていた。 「はざーっす」 「おはようございます」  挨拶を返してから、僕たち二人も手伝った。 「おはよう、みんな。遅れちゃったかしら?」  すぐにフロワさんが下りてきた。ちゃんとした服に着替えているだけでなく、髪のセットや化粧まで済ませていて、空気が一気に華やかなものになった。 「全然。女性はいつでもオシャレしないとだもん。むしろ早い位だよ」  リリィがそう答えた。よく見ると、リリィもすでに随分綺麗な格好をしていた。これからデートにでも行けそうだ。 「あらそう、ありがとう」  フロワさんは、口元に手を当ててお淑やかに笑いながら席に着いた。 「やあやあ、おはよう、皆様方。お待たせして済まないね」  全員が席に着いてから暫くして、ようやくオータルさんが下りてきた。女性陣は完璧な格好になっていて、グレイさんは言わずもがな。僕とギレンさんも最低限の身だしなみを整えているというのに、一番最後の彼だけが寝間着のままだった。髪にも至る所に寝癖がついていて、正直みっともない。 「あのね、今更あんたに期待なんかしないけど、もうちょっと早く来るとか、せめて着替えておくとか、そういうのしなさいよ。ここにはレディもいるのよ」  リリィが、フロワさんの時とは打って変わって刺々しい口調で言った。 「そうだね、フロワさんの前でこんな姿なのは、紳士としてあるまじき行為だったな。反省するよ」  一見しおらしいことを言っておきながら、リリィのことを女性として意識していない物言いに、リリィは些か気分を害したようだった。けれども、完全に悪意のないオータルさんの顔を見て、抗議は諦めていた。 「それでは、皆さん席に着きましたね。召し上がれ」 「「「「「いただきまーす」」」」」  昨晩と同じく、グレイさんの声を合図に、みんなが料理に手を伸ばした。  みんなが一心不乱に食べて、朝食はすぐになくなってしまった。昨日の晩ごはんと同様、とても美味しかった。 「で、一心はこれからどうするんだ?」  一息ついてから、ギレンさんがそう切り出した。 「あら、そう言えばそんな話もあったわね」  フロワさんが、今思い出したように呟いた。 「一心くんの好きな方を選べば良いですよ」  グレイさんは、目の前の皿を片付けやすいように整理しながら、そう言った。  リリィとオータルさんは何も言わず、じっとこちらを見ている。 「えーと、戦闘職の方を目指そうと思っています」  みんなからの圧を感じて、なんとなく言いにくかったが、昨日グレイさんと話して決めたことを口に出す。  戦闘職、と言ったことで、場の空気が張り詰めたように感じた。ギレンさんはいつかの痛みを思い出すような顔を。オータルさんは失望したような顔を。フロワさんは悲しそうな顔を。グレイさんは周りの若者の様子を観察するような顔を。リリィだけが、安堵したように頬を緩ませていた。 「……、一心がそう望むのなら、俺は止めねえよ」  再び、ギレンさんが初めに口を開いた。 「そうだね、残念ではあるけど、仕方ないかな」 「ええ、私も一心君のことを応援するわ。ただ、できるだけ気を付けて、怪我をしないでほしいわね」  オータルさん、フロワさんも僕の決心を認めてくれた。 「それでは、この件は解決でいいですね。今度からは一心君とリリィさんをペアとして仕事を回しましょうかね」  グレイさんは、いつものように嬉しそうに微笑みながらそう締めくくった。  リリィはまたしても何も言わなかったが、ただただ安心しているようなその笑顔は、僕の心に何かを訴えかけてきた。  みんなで朝ご飯の片付けをしながら、口も動かした。  キッチンと机を行き来する間に、年長住人組三人(ギレンさん、オータルさん、フロワさん)にはすれ違いざまに、「命は大事にしろよ」といった旨の忠告をされた。未だに実感はわかないけど、戦うことはこの世界であっても残酷なものなのだろう。あんな神が支配していたり、『ステータス』なんてシステムが使われていたりで、この世界で起きること全てがどこか茶番のように感じていたのだが、命に係わることの怖さは同じなのかな。  グレイさんはずっとキッチンにいて、現代日本的にはシンクのような場所で皿を洗っていた。水道とかはあるのかな?ともかく、言葉を交わすことはなかったが、机から持ってきた皿を渡すとき、相変わらず楽しそうに笑っていたのはわかった。  リリィだけはまだ静かだったが、彼女だけが一人早めにすることがなくなって手持無沙汰になったとき、わざわざこっちに近寄って「ありがと……」と小さく零した。僕は僕がしたいことをするだけなのに、感謝されるのは変に感じた。嬉しくはあったけど。  片付けも終わり、途中から心ここにあらずだったオータルさんがいそいそと自室に戻ったあと、グレイさんがみんなに言った。 「はい、片付けまでありがとうございました。年長組はもう自分の活動を始めて良いですよ。と言っても、オータル君は既に二階に上がったようですがね。一心君とリリィさんはここに残ってください。早速ですが、一つ依頼があるのでね」  グレイさんの言葉を聞き、フロワさんは動き出した。曰く、「今日はオフの日だから、ショッピングに行くのよ」とのこと。女性らしい。ギレンさんは、「俺は急ぎの仕事もないし、もうちっとゆっくりするよ」と言って、食事をとる大きな机とは別の、隅にある小さな机に腰を下ろした。 「あんたは、依頼ってもちろん初めてよね。福音荘は、若者に安く部屋を貸す代わりに、教会かユタリカ城、グレイさん個人をつてに舞い込んできた依頼を若者を使ってこなすの。ホントなら結構な額が取れる仕事も、報酬は雀の涙ね。家賃代わりとしてそこは受け入れなさい。自分の目指す仕事に近いジャンルの依頼が来ることが多いから、経験値にもなるしね」  グレイさんが一瞬席を離れたとき、リリィはそう教えてくれた。そのシステムについては既に説明を受けていたが、なかなか具体的なイメージがわかない。一体どんなものなのだろう。 「お待たせしました」  グレイさんが、奥の部屋から数枚の紙と厳重に布に包まれたものを持ってきた。  紙を見ながら、グレイさんは続ける。 「お二人には、町の南に位置する森で、ある傭兵団と共にモンスターの駆除をお願いします。リリィさんはもう何度かしたことありますよね。一心君の初めての依頼としてもちょうどいい難易度と思いますよ」  そう言いながら、余っていた紙を僕とリリィに手渡す。どうやら、依頼の要項がそれぞれに書いてあるらしい。学校のホームルームでよくあったな、こういうの。 「具体的には……」  グレイさんがさらに説明を続ける。  これが、僕の初めての依頼だった。
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