夕方、明日に向いて

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夕方、明日に向いて

 さあ、何をしようか。  リリィがいなくなって、がらんとした部屋で一人ため息を吐いた。そりゃ、特訓とかをした方が良いのだろうけど、多分これ以上動いたら明日が辛い。  戯れにノートを捲ってみる。『ステータスオープン』ではなくて、普通に書いた文字を読み直すだけ。  何も変わったことはないし、全部頭の中に入ってることだから読んでいて面白みがない。  気付けば寝てしまっていた。感じる空腹からして、夕方に近いかもしれない。 「下に降りよ」  寝癖を直しながら、ドアに手を掛けた。 「オッス」  ギレンさんがいた。前にも似たようなことがあった気がする。 「え?お前寝てたの?明日が初依頼だってのに、気楽だねえ。大物になるよ」  笑われた。こんな時間に寝ぼけた顔で部屋から出てきたら、そりゃそうだ。 「ギレンさんは、ここで仕事を?」  居心地が悪くて、なんとなく思ったことを聞く。特別気になったわけではないけど、話題をそらすため。 「ああ、まあな……」  ギレンさんの顔から笑いが消え、ちょっとしんみりした声が返ってきた。えー、そんなテンションのやつじゃなかったんだけど。  ギレンさんは持っていた工具っぽいのを弄びながら、視線で階段を示した。 「一階に降りようや、グレイさんになんか飲むものだしてもらおう」  なんだか怖い。聞いてはいけないことを聞いたのかな?優しい人だと思っていたから、距離を取るのを忘れてしまっていた。前の世界だと、絶対に失敗しなかったのに。 「おや一心君、いたんですか。昼食は自己責任ですから、今日は作ってませんよ」 「はい、大丈夫です」  まあ、昼間から寝ているような奴に容赦はないですよね。お腹空いた。我慢しないと。 「すいません、コイツと話したいんで、ちょっとこの場所借ります。あと、できれば何か淹れてもらえますか?」  仏頂面を少し和らげて、ギレンさんが口を開いた。グレイさんも黙って頷く。 「ま、座れよ」  ギレンさんは、ご飯の時に使う大きなテーブルじゃなくて、隅にある小さなテーブルに座った。初めて来たとき、リリィが座っていたやつだ。僕もならって座る。二人でもギリギリ使える大きさだ。  グレイさんが引っ込んだカウンターの方を見ると、遠く感じる。間にいつもの大きいテーブルがあるし、当然だけど。でも、なんでこっちなんだろう。大きい方も空いてるのに。 「声を潜めたら、あっちにまで聞こえないんだよ、ここ。ま、聞かれてもそんなに悪いことではないんだけどよ」  心を読まれたかのように、アンサーが返ってきた。何の話をするつもりなのか、余計に気になる。 「ああ、身構えんな。多分もう耳だこな話だしよ。ついでに俺の話もするが、そんなもん聞き流しても良いし」  そんな風に言われても、さらに警戒するだけなんだけど。 「戦う覚悟はあんのか?」  さらっと切り出された。ああ、その手の話ね。確かに耳だこな話ではあるけど、この人に聞かれたら迫力が違う。モンスターたちと、って意味のはずなのに、今すぐ殴り合いになりそうな感じがする。優しいんだけど、顔がなあ。怖いよ。 「まあ、いちお……、いや、あります」  曖昧な返事をしそうになって、それだと覚悟が足りないみたいな話になりそうだったから、言い直す。揚げ足取られて怒られるのは、日本の学校で慣れてるんですよ。 「ならいいや、違う話すんぞ」  あっさりと終った。意外。 「さて、この俺が、いい年したおっさんが、なんでこんな時間に自分の家にいるのか、つう話だったよな」 「いや、違います」  そういう風にとられたの?そんな嫌味みたいな……。誤解を解かないとッ。 「ああ、良いって。冗談冗談、お前頭固いなあ。ダチとじゃれ合ったりとかしてこなかったのか?」  してないですね。というか、ダチって言えるほどの知り合いがいなかった。 「本題の話するとな、工房とかその類のとこに、居場所がねえんだよ。さっき自分でおっさんって言ったが、この職種の中だとめちゃくちゃ若手で、ホントは独り立ちなんて冗談でも言えないだよ。たまに冗談みたいな、腕か金で無理矢理、店を立ち上げてる奴いるけどな。成功してんのは俺が知る限り一人だ。俺みたいな半端モンは、まだまだ修行中の身、のはずなんだよ」  そこまで言って、ギレンさんは言葉を切った。そこから先の更にデリケートな部分を、どうやって説明するか、悩んでるようだった。 「ま、有り体にぶっちゃけると、問題起こしてそれまで世話になってたところから追い出されたんだよ」  ぶっちゃけると、と言っておきながら、多分一番無難な言い方を選んだのだと思う。僕から目線がそれている。 「あんまりうじうじとお前に言う話でもねえな。俺はニートじゃねえって自己弁護だ。あ、あと、さっき言った俺と同世代なのに独り立ちしている奴んとこ、今度連れて行ってやるよ。お前が面白がるような話を、俺と違って色々してくれるだろうし」  そうやって急に話をそらしたギレンさんはそのまま席を立った。紅茶を二杯淹れてきてくれたグレイさんとすれ違い、 「すいません、話し終わってしまいました。作業に戻ります」 と帰って行ってしまった。なんだか慌ただしくて、きっと違う話がしたかったのではないかと、勘ぐってしまう。 「ギレン君とは、どんな話を?」 「あー、明日の仕事の話です」 「そうですか」  どこまで伝えていいものか判断が難しく、全く違う話をしたことにした。あながち嘘ではないし、別にいいだろう。  グレイさんが持ってきてくれた紅茶は、一方は僕の目の前に置かれ、他方はグレイさん自身が飲んでいる。この二三日で、どれだけ紅茶を飲むんだろう。日本での人生だったら、多分一生分飲んでるな。 「彼は、他人に気を配るたちですからね。後輩が森に行くとなっては、心配なんでしょうね」  グレイさんのギレンさん評を聞きながら、お茶請けのクッキーを齧る。あ、甘い。 「ありがたいです」  当たり障りなさそうな返しをしたが、どこまで正しかったかわからない。グレイさんもギレンさんも、どこか含みがあるように喋るから、対人スキルが低い僕には怪しく見える。ああ、人の心が読めたらもっと楽なのに。妄想は妄想の域を出ないから、グレイとかギレンとか、日本じゃ馴染みのない名前だよなあ、と適当なことを考える。どこの国の名前に近いとか、全然わかんないし。グレイさんは、英語?いや、異世界でそんなことを当て嵌められないか。 「暇なら、はい、これどうぞ」  一冊の本が渡された。 「なんですか?」 「オータル君から預かった、魔物の図鑑です」  あー、そんな話もあったなあ。すっかり忘れていた。  ペラペラと捲ると、明らかに手書きの文字と絵が並んでいた。 「これ、めちゃくちゃ高い奴じゃないですか?借りにくいんですけど」  活版印刷とか、ないの? 「いえいえ、コピー本ですから。多少は高くとも、ここほどの規模の街だと簡単に手に入る程度の品ですよ」  そうなの? 「まあ、そういうのはギレン君が詳しいから、今度聞いてみてください。それでは、私も仕事に戻りますね」  飲み終わった自分のカップを持って、グレイさんも去っていった。  クッキーも食べ終わって、紅茶を啜る。下手に食べたせいで、空腹が強くなってしまった。  自室に戻って、借りた図鑑を読む。絵のおかげで、魔物の姿がようやくはっきりとわかった。明らかに生物としておかしいものや、うまく収まっているもの、相同器官などの生物の基本を無視したものなど、いろんな種類があった。  オータルさんのメモ書きが幾つかあったが、全部魔法に絡めたものだった。真面目だなあ。  特に気になるようなものもなく、一つ一つの注釈は読んでいなかったからすぐに読み進んでしまった。  エレメンタル、という項目のページがあった。オータルさんのメモ書きが多く、一際魔法的な説明が多いから、そういう類いのモンスター何だろうか。試しにファイヤーエレメンタルの説明を読むが、よくわからなかった。魔法とかについてもっと知っておかないと理解しにくい内容なのかな。  よくわからないなりにも、印象に残った文があった。エレメンタルの項目の、総括みたいな部分の文章。 「本来その場にいないはずのモンスターが発生することも、異常魔的事態の一つである。エレメンタルは特にこの不可思議な発生が起こりやすい種である。異常魔的事態は、古代より凶兆の証と言われてきたが、これが単なる迷信と馬鹿にはできないのではないかと唱える学者も多い」  声に出して読んでみた。異常魔的事態……、なるほど。そんなこともあるのか。元の世界的な考え方だと、外来生物とかのそれに近そうだけど、この書き方からして違うような気もする。発生?魔物の繁殖って、どんな風なんだろう。  まあ、そんな学術的なことは僕には関係ないけど。気になるのはその下の、凶兆の証っていうところだ。古くから言われる迷信は、案外科学的に証明できるのが多い。夕焼けの次の日は晴れとか、鳥が低く飛んだら雨とか。ここに書いてあることも、覚えておいて損はないかも。 「夕飯よ~」  もうそんな時間か。 「わかった、今行く」  席を立って、図鑑を閉じた。
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