工房

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「今日は俺とだな」  みんなで朝食を食べていたら、ギレンさんに声を掛けられた。  一昨日にした約束のことだろう。昨日はフロワさんに広場に連れて行ってもらった。楽しかったなあ。 「よろしくお願いします」  今日はどこに連れて行ってもらえるのかな? 「ちょっと遠いけど、大丈夫だよな?」 「はい」  福音荘の玄関の前。軽いストレッチをしながら、これから行くところまでの道のりを聞く。 「ここの大きな道をずっとたどって──、良いところで細い路地に入って、曲がりくねった先に行くんだが…………。口で伝えるより、ついてきてくれた方が早いな。ほら、もう行くぞ」  結局、今日もどこに行くのか教えてもらえないようだ。 「昨日は、フロワさんとどんな話をしながら歩いたんだ?」  道中、話すようなこともなくなって、昨日の話になった。 「ええと、フロワさんの昔の話を聞きました」  そう答えると、ギレンさんは、少しだけ驚いたようだった。前を歩いているから、どんな表情かはわからないけど。 「そっか、そんな話もしてもらったのか。なら、俺もちょっとした身の上話でもしようかな」  空気が重くなったような気がした。 「と言っても、俺の場合はフロワさんみたいに特殊な生まれじゃないけどな。至って平凡な家に生まれて、物作りってのにあこがれたから、家の近くの職人の爺に弟子入りしたんだ。技術は教えてもらったんだが、その爺の工房も、年のせいで閉めっちまったからな。違うところに入れてもらって働くことになったんだが、馴染むまでにごたごたしてしまって……。結局、そこからは出たというか、追い出されたというか、な感じで。グレイさんに拾ってもらって、福音荘に住みながら、細々と何か作って暮らしてるってわけよ。いつかはちゃんとした工房かどこかに入って、もともと夢見た形の仕事をしたいんだけどなあ」  フロワさんとはまた違う、色々あった人生だったようだ。まだほんの少しの期間、一緒に暮らしただけだけど、ギレンさんが優しい人ってことはわかっている。何かの問題で仕事場を追い出された時も、誤解や擦れ違いのせいだったはずだ。それでも、ギレンさんの口調に恨みのような感情は入っていなかった。前を向いて生きているからだろうか。見習いたいな。 「ここ、右に曲がるぞ」  三十分ほど大通りを歩いて、言っていたように細い路地に入った。誰かに連れて行ってもらわないと見逃すような、狭い路地だった。 「遠回りならわかりやすい道があるんだよ。帰りはそっちを通るか。一人で来ることもあるかもしれないからな」  この世界だと、僕の考えを読めるかのような人が多い。  それからしばらく歩いたら、もう一度広い道に出た。ここまで来ればもう少しらしい。 「この辺は職人連中やその手の店が集まってるんだ。俺の前の職場も、な。そこには行く気ねえけど、そのころに知り合ったやつに会いに来たんだ」  言われてみると確かに、周りを歩く人たちの雰囲気はどことなくギレンさんに似てるし、立ち並ぶ建物も住宅とは違った感じになっている。 「ああ、帰ってきたって気がするな……」  ギレンさんの呟きは、しみじみとした響きを含んでいた。 「ここだ、ここ。この家のやつに用があるんだよ」  ギレンさんが急に立ち止まって、ある建物を指さした。その建物は、他のものよりも小さくて、居心地が悪そうにしていた。 「いるかー?来たぞー」  ギレンさんが建物の中に向かって叫んだ。遠慮がない。ここの友人と、よっぽど親しいんだろうか。 「はいはい、ようこそー。って、知らない子がいるね、そっちの新人さん?」  中から出てきたのは、ギレンさんと同じくらいの年齢の男性だった。でも背丈は低くて、僕の方が少し見下ろすぐらいだ。さっきのギレンさんの話から、この年の人がここに一人でいるのは難しそうだと思っていたから、意外だった。 「こんにちは。えっと、最近、福音荘に住み始めた緑川一心といいます。よろしくお願い、します?」  何を言えばわからなくなったけど、取り敢えず挨拶をした。 「へえ、珍しい名前だね。遠い場所から来たの?ああ、ごめん。今のなし。お宅のとこの住人にそういう質問はご法度だったね」  差し出された手を握る。周りの人は受け入れてくれていたから忘れていたけど、日本式の名前はここだと浮くはずだ。用心のために持ってきたシャーペンをポケットの上から握った。いざというときは、大丈夫。それに、福音荘の住人という肩書は、僕を守ってくれるらしい。こっちの知識が乏しいからわからないけど、意外とすごい施設かもしれない、福音荘。 「で、何が入用?」  中の応接室のような場所に通されて、その人は話を始めた。 「あー、いつも通りのやつを幾つか欲しいんだが、今日のメインの用はそれじゃなくてな。一心にお前の仕事を教えてやってくれないか?こいつは魔法とか、コーメイとかに興味があるらしいんだ。なら、俺が提供できるのはお前との出会いかなって思ってさ」  そこまで言って、ギレンさんは言葉を切った。 「ああ、成程。それならボクのとこに来て正解だね」  この家の主人が、そう答えた。そういえば、まだこの人の名前を教えてもらっていない。 「だろ。なんてったって、お前はこの町で一番の、若手生産魔導士だからな」  ギレンさんの言葉に驚いて、その人の顔を見ると、不敵な笑みがこぼれていた。 「というわけだから、名前はあんまり教えたくないんだ。戦うわけじゃないけど、魔法を生業にしているわけだしね」  名前を教えてもらっていないのも、伝え忘れではないらしい。 「まあ、気楽にお兄さんって呼んでよ」 「おいおい、もうおっさんでいい年だろうがよ」  ギレンさんとの掛け合いに、ちょっと口をはさめない。今まで人と話したことが少ないから、こういう時の距離感がわからない。 「冗談だよ、ネロって呼んで。適当に考えた呼び名だけど、かなり前から使ってるから、外でも通用する名前だよ」  困っている僕の様子を見かねて、普通に話しかけてくれた。ありがたいけど、気を遣ってもらわなくてもいいように、僕の方もコミュニケーションに慣れておかないと。 「でも、何を教えればいいものかね。大体のとこは、魔法オタクのオータル君が教えているだろ?」 「多分な。あと、リリィやグレイさんも。案外、教科書的な知識だとお前と大差ないかもよ」  出されたお茶を飲みながら、二人の話を聞く。部屋の中にも見たことないものがたくさん置いてあった、座っているだけでも結構楽しい。 「よし、仕事場でも見せてあげようか」  ネロさんの後ろから、建物のさらに奥に入っていった。 「ははは、天下のネロ様も、作業場の汚さは他のところと同じだな」  三人が入るともう手狭なその部屋で、ギレンさんが笑った。お世辞にも綺麗とは言えないその部屋で。 「ほとんど物置だからね。大きな仕事をするときは、別のところでやるし」  机の上の木くずを払いながら、ネロさんはそう答えた。生産魔導士のはずなのに、なんで木くずがあるんだろう? 「魔法で創り出すにしても、そのものについて深い理解がないとだめだからねー。仕事がないときは色々触ってるんだよ」  また僕の頭の中を読んだみたいな答えが返ってきた。そんなに僕の考えていることってわかりやすいだろうか。 「試しに何か作ってみようか?」  言いながら、ネロさんは軽く手を振った。 「はい、できた」  机の上におもちゃの木の車があった。さっきまではなかったはずだ。今、作ったのか。すごい。 「ほら、これがボクの魔法の触媒」  ネロさんが、指につけた指輪を見せてくれた。リリィのようなわかりやすい杖じゃなくて、フロワさんの髪飾りに近いものなんだろうか。 「小さいですね」 「戦いでもしない限り、こういうので十分なんだよ」  それから、色々なことを教えてもらった。今後の人生に使えそうな知識も、ただの雑学にしかならないようなことも。  その中で一番記憶に残ったのは、帰る間際に聞いたネロさんの言葉だった。 「ボクに用があるんなら、遠慮せずに早く来なよ」  彼は一瞬言葉を切って、笑いながら続けた。 「だって、魔法使いはただ一人の例外なく、短命だからさ」
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