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 (ひび)から漏れ出してきたのは、おのれへの疑いだ。  自分は、誰なのか。  記憶のない自分は。以前の『紫合(ゆうだ)葵』とはべつものなのか。  思い出さなければ、ならない。  記憶を、以前の自分を、鷺ノ宮(さぎのみや)皇貴(きよたか)のことを、思い出さなければ。  そうでなければ、自分は……。  いよいよ震えの止まらなくなった葵の耳に、ドアの開閉する音が聞こえて。 「準備が済んだなら帰るぞ」  と、低く、深みのある声が向けられた。  葵は呆然と、そちらを見た。  置いて行かれたのではなかったのか。  まだ、葵を連れ帰ってくれる気があるのだろうか。  皇貴が、まだ開いたままのカバンを眺めて、軽く眉を寄せる。 「葵? まだかかるのか?」  問われて、葵は大急ぎでファスナーを閉め、肩にカバンを掛けて皇貴の傍へと駆け寄った。  男の気が変わって、やはりおまえは要らないと言われることが怖かった。  記憶のないおまえは要らない、と。  皇貴に言われる前に、葵はきちんと葵の役割を果たさなくてはならない。 「持って帰るのはそれだけか?」 「は、はい」 「あれは?」  顎でベッドサイドを示されて、葵は振り返る。  テーブルの上にはまだたくさんの小物や花が残ったままだった。  すべて皇貴からの見舞いの品なので、贈ってくれた本人を前に要らないとは言えない。しかし、荷造りをしている間に置いていかれるのではないかという不安が葵の中にはあって、このまま、早く皇貴と帰りたい気持ちの方が強かった。  口ごもる葵へと、 「若様がいろいろ贈りすぎなんだよ」  と、助け船が差し出された。各務(かがみ)修哉(しゅうや)だ。皇貴と一緒に戻ってきた彼が、呆れたように物であふれる一角を見て肩を竦めた。 「ウサギちゃんもさっさと、要らないもんばっかり送るな、邪魔になるっつってやれば良かったのに」  冗談めかした各務の言葉に、葵と皇貴が同時に口を開いた。 「い、言いません、そんなこと」 「葵が言いそうなことだ」  言ってから、互いに沈黙した。  葵は居たたまれずにうつむいた。  失敗した。失敗した。  そのことばかりが脳裏に渦巻く。  前の葵は、言ったのか。  要らないものは要らないと、忌憚(きたん)なく声に出せるような関係だったのか。  戸惑いながら、謝罪の言葉を紡ごうとして、葵は息を吸った。  しかし、うまく吐き出せない。  なにをどう謝ってよいのかわからない。  早く思い出します。  早く記憶を取り戻します。  早く元の『葵』に戻ります。  ではいつ、記憶は戻るのか。  いつ、葵は元の『葵』に戻るのか。  未来があまりに不確かで頼りなく、目眩がおこりそうだ。
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