それは理想という名の現実

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 私の名前は、葦屋七(あしやなの)。初見だと絶対に読み間違われるが、そのやり取りも相手との話のきっかけになるから別に気にしたことはない。  出席番号はアイウエオ順の二番。  小学校も中学校もアイウエオ順だった私は毎年出席番号一番だった。その連続記録は、高校進学と共に破られた。別に私の功績ではないのだから、破られたというのはおかしな話だけれど。  私の前の席に座っているのが、出席番号一番の記録を打ち破った葦屋くん。  そう。まさかの同じ苗字。  下の名前は寿。読み方はそのまま「ことぶき」だ。何てわかりやすくめでたい名だろう。名付けた人は余程彼の生誕が嬉しかったのだろうとわかる良い名前だと思う。  けれど、そんな葦屋くんの第一印象は、申し訳ないが陰気の一言に尽きる。  ぱっと見て印象的なのは、長い前髪と黒ぶちの眼鏡。二つとも彼の素顔を不明瞭にするのに効果を発揮していた。  うちの学校は髪や服装に関して自由度が高い。派手な見た目の子もいる中、逆に葦屋くんみたいにもっさりとしていても先生に注意されることはない。  後ろの席だから嫌でも目に入る。彼の授業態度は物凄く真面目だ。  華奢な背中を曲げて教科書に視線を落とし、時折じっと板書を見つめ、ノートをとる。たったそれだけの動作なのに、一つ一つが丁寧で授業に集中しているということが良くわかる。  それに、葦屋くんはどの授業で当てられても、どんな問題でもすらすらと答えてしまう。難しい応用問題も何のそのらしく、先生を驚かせることも何度かあった。  一番衝撃的だったのは、英語の音読が流暢なことだ。発音があまりにも自然すぎて、クラスでは「授業中に英語の発音を真面目にやる奴」を冷やかす嫌な笑い声すら起こらなかった。  そんな真面目な葦屋くんだけど、休み時間はイヤホンをして黙々とゲームをしていたりする。今も、机で手元を隠して平然とピコピコ指を動かしている。  彼の友達はというと意外にも――と言ったら失礼だけど――少なくない。  その中でも特に仲が良さそうなのは、明るいキツネ色の髪を短く刈り込んでいる背の高い男子。ちょっとたれ目。まるで真夏のひまわりみたいに、ニカっと笑うのが可愛いと女子の間で少しだけ話題になった。  大きさも笑顔も大きな存在感のある彼は、葦屋くんにしょっちゅう話しかけている。  最初は、もしかしたら葦屋くんをいじめているんじゃないかと心配になって、二人の会話に耳をそばだててみたりもしたけれど、いたって普通の友達同士の会話が聞こえてきただけだった。  今も例のでっかい男子が葦屋くんの席にやって来ていた。さっきの休み時間も来てたからよっぽど話したいのだろう。 「俺さっきの数学なんっもわかんなかった! テスト絶対やばい! っつーか今もやばい! 数学の宿題、俺当てられてんだけどさ、あの数字とアルファベットに俺は何をしてやったらいいのかさっぱりわかんねーの。ってことで寿様! 後で教えて!」 「……コーヒー牛乳」 「おごるおごる! 今? 昼にする?」 「昼」 「りょーかい。やー命拾いした! あ、そういや母さんが昨日の漬物美味かったっておばさんに言っといてって」 「うん」  話す分量に明らかな差はあれど、仲は良いようだ。それも家族ぐるみで。  ゲームをするばかりの塩対応をものともせず、葦屋くんの友達のでっかい男は、予鈴が鳴るまで楽しそうに話を続けていた。  私はゆっくりと二人から視線を逸らす。少し、見すぎてしまったかもしれない。  私には人を見つめる癖がある。友達に「見過ぎ。猫か」と指摘されるまで気が付かなかったそれは、見られる側からしたら不愉快なものであることは想像に難くない。  気を付けているつもりでいても、気が付くと見てしまっているから始末に負えないその悪癖は、私のとある『趣味』によるものだった。
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