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日が沈む頃、釣った魚の入ったバケツを片手にバドは家に戻った。
「バド? あの子はどうした?」
家の前には井戸水を汲んで丁度戻って来たフォガードの姿があった。
「……」
バドは無言で家の中に入って行く。間もなくして手ぶらで出てくると
「探して来る」
そう言い残して家を後にした。
「どこへ行ったんだ……?」
辺りはどんどん暗くなって行く。バドはゲアンを探し、森の中を走り回った。
――ああ、なんてことをしてしまったんだ
あんなこと……
言うべきでは無かった――!
彼は後悔した。もっと別の言葉で、慰めてあげれば良かったと。
「ゲアン……ゲアン――!」
彼は叫んだ。そうしている間にも空に闇は広がり、森の中は危険地帯へと変わって行く。あんなか弱い子供を一人にしたら、どんな危険が待ち受けているか分からない。彼は必死でゲアンを探し続けた。
コウモリが飛び回り、野犬の遠吠えが響く。
「ゲアン――! いたら返事してくれ!?」
その時、草に何かが擦れたような音を耳にした。
「ゲアン!?」
その音のしたほうを向く。
「!?」
その瞬間、彼に向かって何かが飛びかかって来た。
「……っ!」
鋭い牙を剥き出しにし、点のように光る眼と荒々しい息。辺りは暗く視界は最悪だが、ぶつかって来たその衝撃の度合いから正体は野犬であると予想できた。
「キャイィィィ――ン!」
彼は、所持していたナイフで野犬の首を突き刺す。
「くっ……」
今の一撃でその野犬は痙攣しながら死んで行ったが、彼のほうも足に傷を負ってしまった。
暗闇の中、威嚇する獣の唸り声といくつかの光る眼が現れる。
傷が痛むが、瞑想して直す暇など無い。次は攻撃しなければ殺られる。
相手は散らばっていて複数だ。爆破系魔法で吹き飛ばせば簡単だが、火事の危険性があり使えない。
彼は、一度しか使ったことのない風系魔法に賭けてみることにした。
――頼む利いてくれ!
彼はその呪文を唱えた。
目の前に小さな竜巻が出現し、次第にそれは大きく広がって行く……
獣達は毛を逆立て、完全に襲いかかろうとする体勢に入っていた。
「ガルルルル――!」
一匹が飛び出し、それに続くように一斉に獣達が襲いかかる。
「行け――っ!」
バドは、充分な大きさに達した竜巻を獣達目掛けて放った。
竜巻は回転しながら、獣達だけでなく周りに立っていた木々までも飲み込んで行く。
「はぁはぁはぁ……」
彼はその竜巻を操るが、その威力はあまりに強すぎる。その為、一歩間違えば自分も巻き込まれる危険性があり、必死だった。
「はぁはぁ……もう大丈夫だな……?」
彼は竜巻に宿る力を分散させ、そのエネルギーを自然に返す。
「はぁはぁはぁはぁ……」
その後の景色はあまりに無残な物だった。太くて丈夫な木ですら折れ曲がり、葉や実はどこかへ吹き飛ばされ、そこにいたであろう生物達の気配も感じない。
「くそっ!」
だからこんな魔法、使いたくなかったんだ……
彼は自分の力の無さに嘆き、失望したが再びゲアンを探しに向かった。
「ゲアン――!」
野犬に噛まれた足の傷口が出血し、ズボンの生地はじわじわと血で染まって行く。
「!?」
物音がし、彼は素早くそちらに目を向けた。
「……」
息を潜め、慎重に辺りの様子を確認する。
物音はしなくなったが、確かに何かの気配を感じていた。
「……」
冷たい風が吹き抜け、落ち葉が地面に擦れカサカサという音がした。
しかし、まだ気配を感じる。
――何故、出て来ない?
彼は不審に思ったが
「……ゲアン?」
まさかと思い、そう呟いた。
辺りは静かだが、明らかに“何か”がそこに居るのを感じていた。
「ゲアン……?」
「っくし!」
「?」
はっきりと今、聞こえた。
「ゲアン……!?」
彼はすぐさま、くしゃみが聞こえた木の向こうへと回り込んだ。
「……ずず」
そこに居たのはやはりゲアンだった。寒さで身体はガタガタと震えている。
「ああ……良かった……」
バドは安堵の溜め息を洩らし、彼を強く抱き締めた。
しかし、これで二人が打ち解けたわけでは無く……
まだ続きがある。
彼らは共に暮らし始めたが、いつまで経ってもゲアンは心を閉ざしたままだった。
フォガードは偉大な魔術師だが、心の傷を治療することは出来ない。
だからと言ってこのまま放っておくことなどバドには出来なかった。
そして彼はゲアンとふれあいを持ち、心の支えになろうとしたのだが
その気持ちは伝わらない。
「ゲアン」
ある時フォガードがゲアンを呼んで、ある話をした。
「……」
ゲアンは相変わらず沈んだ表情で話を聞き始め――
フォガードは語る。
「お前にはバド《あいつ》が幸せそうに見えるだろう。そして、自分は不幸だと思っている」
「……」
「今のバド《あいつ》は幸福と不幸の両方を抱えている」
「?……」
「お前に出会えたという幸福と――その、お前を幸せに出来ないという不幸を……」
「――?」
ゲアンは困惑した。何故自分が幸せでないとバドが不幸なのか分からずに。
フォガードは続けた。
「あいつは赤ん坊の時、森の中に置き去りにされていたのを私に拾われた」
――その時ともに入れられていた手紙には、名前と一言
『神様、どうかこの子をお助けください』
そう書いてあったらしく
――あまりに矛盾していた。
しかしその赤ん坊に罪は無い。フォガードはその赤ん坊を拾って育てることにしたという。
「あいつにとって、私もお前も家族と同じ。そしてお前は、あいつの兄弟のようなものだ」
「兄弟?」
「そう……あいつは兄弟と暮らしたことがないせいか、年下のお前を弟のように思っている。そして、そのお前を幸せに出来ないことが何よりも今のバド(あいつ)には辛く、不幸なことなのだ」
ゲアンは胸の奥が痛んだ。バドは彼に、そんな話を一度もしたことはない。
いつも笑顔で、不幸など経験したこともない――そんな風に見えた。
――その日の夜、仕事を終えたバドが家に戻ると
「お兄さん」
初めてゲアンが、自分から話し掛けて来た。
「?」
バドは少し驚いた様子で振り向く。
「僕、お兄さんの弟になれるかな?」
「?」
ゲアンの意外な言葉に驚き、バドの動きが止まった。
「友達でもいいけど……」
そっけなくゲアンが言い
「ゲアン……」
バドはゲアンの顔を見ると――微笑した。
「両方だ」
「両方?」
「そうだ……」
バドはゲアンを強く抱き締めた。
その時の彼の顔は、喜びと幸福しあわせに満ち溢れていた……
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