12/100 Aspect

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文字書きさんに100のお題 037:スカート Aspect  この話は、「11/100 Blanc」のつづきです。  はじめてこの教会へきたころ、ここは古い木造の建物だった。  母に連れられて教会へきた冬木整は、暗い礼拝堂が怖かった。鉄筋コンクリートの建物になってから、天井の細長い窓から落ちる光で教会は明るくなった。そのころには、ひとりで日曜学校へくるのが怖くなくなったような気がする。  整は不安定に肩が上下する歩きかたで教会のガラス扉をくぐった。学校の帰り際に教会へ寄るのはこれで二回目になる。  一週間前、整は牧師の麻生敏幸に自分が同性愛者であることを告白した。だれにも言えなかったことを、牧師になら言える気がした。『王様の耳はロバの耳』。母親は整の部屋にあったゲイの雑誌を何事もなかったように処分した。 (私とつきあってくれませんか)  先週の日曜日、母が取り次いだ電話は、中学のときに同じクラスだった芹沢楓のものだった。 (南高とはバスが一緒でしょ? ときどき同じバスに乗ってたんだけど、知らなかった?)  整が楓を意識したことはなかった。電話があったことで、ぼんやりと水泳部のキャプテンだった楓の顔を思い出しただけだった。  楓は肩ががっしりとした、背の高い少女だった。南高のとなりにある私立の女子高に通っている。  楓の顔はよく思い出せない。整にとっては、楓の告白よりも麻生のひとことのほうが重かった。 「ぼくは、きみの」  いつも笑っていると言われる柔和な顔に、あわい翳が落ちる。  礼拝堂には人気がなかった。整は古い木造のままの牧師館へあるいていくと、扉の呼び鈴を押した。  牧師館の右手の庭から、麻生敏幸が顔を出した。整は夕方の光から顔を陰になるようにうつむけて牧師にあいさつをした。 「リースを作りに?」  うつむいたまま、整がうなずく。 「中へおいで」  牧師はまっすぐに整の目をみて、木の扉をあけた。牧師にとってあの言葉はなんの意味もなかったのだろうか。整は牧師の高い背中を見上げて、かすかに落胆しながら制服のコートを脱いだ。  牧師は容姿も立ち居振舞いもすっきりとしていた。以前は剣道をやっていたという。長身で風をきるようにあるく姿を見ていると、剣道を習っていた面影があるような気がする。  部屋にあがりながら、整は歪む口元を手で覆った。自意識過剰だと思った。牧師も同性愛者だときいて、はじめて言葉が通じる人ができたような気がした。が、牧師にとって、自分は単なる日曜学校の生徒にすぎない。  ストーブのついていない会議室はひんやりとしていた。牧師がストーブを点火する。整はストーブを囲むように無造作に置かれた椅子を選びかねて、部屋の入口に立ちつくしていた。 「好きな椅子に座って」  牧師が言い残して、隣室へ消える。ストーブの近くは牧師の指定席だった。整は牧師が戻ってくるのを待った。  夕方の光があふれる隣室から、牧師は折りたたみ式のテーブルを運んできた。 「どこがいい? 窓際? ストーブの近く?」  ええと、と呟きながら整は近くにあった籐の椅子に荷物を置いた。 「まわりの椅子をどけてくれるかな」  整がテーブルを置く隙間をつくると、牧師は籐の椅子のまえに机を置いた。 「コーヒーと紅茶、どっちがいい? 冷たいのがよければコーラがあるけど」  整はコーラ、といいかけてやめた。牧師が聞き返す。 「紅茶がいいです」  牧師が台所へ消える。家の躾がきびしかった整は、ジュースや炭酸飲料をほとんど飲んだことがなかった。  牧師が戻ってきた。目の前に置かれたのはコーラだった。最初に整が言っていたことをわかっていたのに、牧師はどうして聞き返したのだろう。整は口のなかで礼をいうと、要領を得ない面持ちで籐の椅子に座った。  コーラを飲むと、なんとなく悪いことをしているような気分になった。牧師はアケビの蔓を丸く編んだリースの土台と、飾りに使う材料を隣室からもってきた。 「前にリースを作ったときのことを覚えてる?」 「なんとなく」 「木工ボンドで固定したり、蔓のあいだに枝を挿したりして固定する」 「見本はありませんか?」 「ぜんぶ人にあげちゃったから、ないんだ」  飲みかけのコーラのグラスをテーブルに置くと、意外と大きな音がした。すみません、と整が小さな声で謝る。 「ぼくは不器用で……」  牧師は机に新聞紙を引くと、そのうえに松ぼっくりやどんぐり、ヒイラギの葉などを置きはじめた。整は工作が苦手だった。なにから手をつけていいかわからず、頭が真っ白になる。 「隙間なく作っていけば大丈夫だよ」  整はリースを作ると言ったことを後悔した。理由がなければ来ることができなかった。それだけだ。  牧師は隣室へひきあげていった。取り残された整は、松ぼっくりを収まりのいいくぼみに点々と貼り付けはじめた。  大きなストーブの上におかれたやかんが、低い音を立てはじめる。  整は名前のわからない茶色の笠がついた枝を迷いながら挿しはじめた。  炭酸が鼻につくコーラを飲みながら、そういえば、と首をかしげる。  母方の叔父が正月にデパートへ連れていってくれることになった。お年玉のかわりに、好きなものを買ってくれるという。叔父と母親とともにデパートへ行った整は、図書館で見てからほしかったアーサー・ランサムの全集を買ってもらった。  デパートのレストランで、整はとなりの席の女の子が飲んでいるジンジャーエールに目をつけた。  金色の泡がはじける飲み物に、胸がドキドキした。ランサムの小説に出てくるジンジャービアを思い出して、どんな味だろうと思ったのだ。  となりの席を指差して店員にジンジャーエールを注文すると、脇にすわっていた母が整の指に手を触れた。それはなにかを制するときの母親のくせだった。 「アイスティーのほうがいいわよ」  注文は取り消された。整はジンジャーエールが飲めなかったことをずっと後悔していた。  リース作りはなかなか進まなかった。整の指は何度も試行錯誤をくりかえしては、松ぼっくりを新聞紙に返していた。  隣室から牧師が様子を見にきた。整は顔を俯けながら牧師に助けを求めた。 「うまくできなくてすみません」 「うまく作る必要はないんだよ」  言って、牧師は整がひろったシダーローズをリースのすみに置いた。 「なるべく同じものが重ならないように飾っていけばいいよ」 「それがうまくいかない……」 「重なるところがあってもいいよ。別に誰も気にしない」  牧師は整の目の前にある帆布の椅子に腰かけると、頬づえをついて材料をならべはじめた。 「君のことを思い出したんだ、すこし」  牧師はツリーの飾りのりんごの位置をたしかめながら、リースの上に置いた。 「お母さんといっしょにリースを作りに来たときに君がなんて言ったか、覚えてる?」 「……さあ」  牧師はつぎつぎとリースの隙間を埋めていった。それを追いかけるように整がボンドで飾りを固定していく。 「いつもお母さんが工作を手伝ってくれるから、君の通信簿はいつもオール5になってしまうって」  口をかすかにひらいて、整は目を牧師の長い指に留めた。 「……そういえば……」  整は母親の指の感触を思い出して、左手で右手の甲を撫でた。 「君はそれがいやだって。君はいつもお母さんのスカートの陰にいるような子だったから、意外だったよ」 「あれは……」  やかんが沸騰する音が部屋にひびいた。牧師は黙々とリースを手伝い、整が自分の思いに沈んでいるのを見守っていた。 「……先生が僕の通信簿をいつも良くしてくれて」 「うん」 「僕は体育と図画工作が駄目だったから、いつも5がつくのは変だと思って」 「うん」 「でも『どうして5なんですか?』って聞くことはできなくて」 「聞けばよかったのに」 「聞けば……」  地元の有力者の息子という肩書きが怖かった。  どんな噂も広まってしまう狭い街で、つまらない取引がされたのか、それとも勝手に成績が操作されたのか、先生に問いただすことが怖かった。  自分が黙っていればすむ問題だと思った。 「中学のときは陸上部だったんだよね?」  眼鏡の奥の目がやさしい。整はうなずいた。 「そのせいで?」  整がだまってうなずく。 「中学では美術と体育の成績が悪かったから、よかったと思って」 「長距離の選手だったって聞いたよ」 「三年のときにやっと。成績も4になって」 「うれしかった?」  整はにっこりと笑った。 「高校でも続ければよかったのに」 「大学に入ってからでもできると思って」 「今しかできないこともあるよ」 「今しかできないから、勉強してるんです」 「それはほんとうに君が望んだことかい?」  整は牧師の顔を見上げた。牧師は物問いたげに整を見つめていた。整の意識を見透かすようなまなざしに、居心地が悪くなる。 「たぶん」  整は話題を変えた。 「僕に告白してくれた女の子がいて」 「同じ学校の子?」 「中学が同じで、高校は別です。断ろうと思っているんですが」  牧師は黙々とリースを埋める手を動かしていた。 「……噂を誤魔化すにはつきあったほうがいいのかもしれません」 「その子を騙すことになるね」  静かな口調だった。喉が渇いて、整はコーラを飲み干した。コーラが喉にからみつくような感触を残す。 「断ったほうがいいですか」 「それは君が決めることだと思うよ」  牧師は無表情で質問をかわした。黒いフレームの眼鏡の奥から牧師の考えは窺えない。  リースが完成するまで、整はせきたてられるように手を動かした。牧師もそれ以上話をつづけることはなかった。  木工ボンドが乾く三日後にリースを取りにおいで、と帰り際に牧師に言われた。 「それまでに仕上げをしておくから」  牧師館の入口で、整は牧師にリースの礼を言った。空はすでに暮れ、風が強くなりはじめていた。  整は牧師に礼を言うと、バス停へ歩きはじめた。  リースを作るのに手間取ったせいか、牧師館での時間はなんとなく居心地が悪いものだった。  バス停まで歩いているあいだにその原因を考える。  牧師には整を拒絶するようなそぶりは見えなかった。むしろ、整の意見をずっと聞いていた。  整は自分の左手で右手の甲を撫でた。  家ではあんなに自分の意志を聞かれたことがなかった。  母とふたりでリースを作ったときも、整は母の手伝いをしただけだった。  ――赤のリボンをちょうだい。  整は赤が嫌いで、緑のリボンがいいと思った。でも、母親は赤が好きだった。材料が置かれた机から赤いリボンのリールをもってきて、母親に渡した。  できあがったリースは母のリースで、整のものではなかった。でも、家の玄関に飾ったリースは赤いリボンがよく映えて、整は母の言うことをきいてよかったと思った。  整は暗くなったバス停でバスを待ちながら、猫の爪のように細い月を見上げていた。  牧師はずっと自分の意志を確かめていた。  母親のように、やわらかい指で整を止めるようなことはしなかった。  なのに。  どうして自分は、あんなに居心地が悪かったのだろう――? First Edition 2004.1.11 
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