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13/100 水槽のなかの休日
文字書きさんに100のお題 014:ビデオショップ
水槽のなかの休日
この話は、「12/100 Aspect」のつづきです。
クリスマスのイルミネーションが喫茶店の入り口を照らしている。
リースをつくった次の日の休日、冬木整は芹沢楓にとなりの市にある喫茶店へ呼びだされた。
(なんでもいいから、一回だけ会って)
付き合いを断ろうとした電話口で、楓はせっぱ詰まった声でくい下がった。
「ごめんね、むりやり呼び出して」
アルトの声があたりに響いた。楓は、私立校のセーラー服姿で喫茶店に現れた。ふたりとも後で塾があるので学校の制服姿だった。まえに見たときは中学校の卒業式だった。そのころよりも髪が伸びている。
長めのショートヘア、理知的な大きな目、すらりとした鼻に大きな口。楓は恵まれた容姿と長身で目立っていた。生徒会の委員を何度か務めている。
内向的な自分とはほとんど縁がない生徒だった。そんな彼女が、ミルクティーを手に目の前で笑っている。
「とつぜん言われたから驚いたでしょ?」
「ああ――うん」
整はコーヒーを一口のんでくせっ毛を手で撫でつけた。正直、楓になにを言っていいのかわからない。
「単刀直入に話すけど、私と付き合わない?」
「悪いけど……」
整は制服の紺のネクタイの襟元をゆるめながらつぶやいた。
「君のことはなにも知らないし……」
「ほんとうに付き合うわけじゃないのよ」
楓は広い肩をぐいっと整に近づけて、周囲に聞こえないようにささやいた。
「冬木くん、ホモなんでしょ」
整は柔和な目をふとみひらくと、なぜ楓までがそのことを知っているのだろう、といぶかしんだ。
「広瀬さんにきいたの。冬木くんがホモじゃないかってうわさになってるって」
広瀬は整の高校のクラスメートだった。同じ中学からあがってきたクラスメートだが、広瀬とはほとんど話したことがない。
――これだから狭い町はいやなんだ。
整は声に出さずにつぶやいた。
「実はね」
楓はミルクティーを飲みながらこういうわけなのよ、と整にむかって手をひらいた。
「冬木くんのお母さんからうちへ電話があったのよ」
心臓がビクリと跳ねる。動揺を鎮めるように、整は手にしたコーヒーを飲み干した。
「冬木くんとつきあってくれないか、って。うちは冬木さんの後援会に入ってるでしょ? その縁で冬木くんとコウコウセイらしいおつきあいをしてほしいって。馬鹿みたいでしょ」
県会議員をしている父親の人脈まで出てくるとは思わなかった。整は強張った面持ちで楓の話を聞いていた。心臓が音を立てて鳴る。
「それで広瀬さんに電話したの。なにか裏があるんじゃないかって」
「ないよ、裏なんか……」
「だから私と付き合ってほしいの」
話がわからない。整は知らないあいだに首をななめに傾けていた。
「私には家を空ける口実が必要なの。だから偽装で私と付き合ってほしい。冬木くんとはときどきデートもするし、冬木くんがホモじゃないってフォローもする。冬木くんと会っていることにして、私に自由な時間を作ってほしいの」
「――親に隠れてなにかやるの」
「言っとくけど、援交じゃないからね」
楓の話を聞いているあいだじゅう、心臓が音をたてて鳴っていた。母親がひそかにそこまで手を回していたという事実と、楓の自分の秘密に整を加担させようとする意志と。母親がそこまですることに恐怖を覚え、同時に、自分の存在を済まないと思った。
――自分が幸せになることが、だれかを不幸にする。
そんな人生を歩むことをどうして選択したのだろう。選択したくてそうしたわけではない。生まれつき自分は男が好きだった。それだけだ。
整は自分がゲイだとうわさされたきっかけを思い出していた。
高校の教室で体育の着替えをしていたときのことだった。
――冬木ってさ、柏木のことをよく見てるな。
そのとき柏木は窓辺で仲間たちとジャージに着替えていた。友人の袴田の指摘に、思わず頬が赤くなった。
――み、見てないよ。
――なに赤くなってんだよ。怪しいなぁ。
――見てないっていってるだろ!
声を荒げた整に、柏木たちがふりかえる。整はジャージの上着を手に、袴田を置いて教室を出ていった。袴田があとを追う。
――なにいきなり切れてんだよ。
整はふいに立ち止まって袴田に笑顔を見せた。自分がいつも笑っているような顔をしていることに感謝したい気分だった。
――冗談だよ。切れてなんかない。
――いきなり教室を出ていったじゃないか。
――だから冗談だって。
袴田は腑に落ちない表情でジャージとってくる、というと教室へ戻っていった。
それ以来、袴田とは気まずい関係になっている。袴田が周囲に自分がゲイだと言いふらしたのだと整は思っていた。
他人に気づかれるほど、自分が柏木を見ているとは思わなかった。一生胸に秘めた思いだと思っていたのに、一方的に表に引きずり出された。そのことが、整はくやしかった。なによりも、そのことを他人に気づかれた自分の落ち度が、くやしくてならなかった。
「冬木くん?」
自分の思いに沈む整に、楓が問いかけてくる。
「私とつきあってくれる?」
そのとき胸をよぎったのは自分の指をおさえる母親の手の感触だった。
――親に迷惑をかけるわけにはいかない。
整は空のコーヒーカップへ向けて、大きく頷いていた。
喫茶店をあとにすると、楓はビデオのレンタルショップに行きたいといった。
「ビデオ返すから」
「ここまで借りに来てるの?」
となりの市のビデオショップは、整の町からバスで一時間の距離にあった。
「映画好きなの。ここまで来ないと観たい映画がなくて」
整と楓はビデオショップまでの距離を無言であるいた。商店街に入って、クリスマスソングが流れるアトリウムをゆっくりあるく。市内まで出てくることは稀だった。周囲に知っている人がいない環境がここちよい。
ビデオショップは整が想像していたよりも広かった。楓はビデオを返し終えると、広い店内をゆらゆらと歩きまわった。店内は邦楽のバラードが聞こえるほかは、ふしぎと人の気配がしなかった。
カットアウトされた人生が整然と棚におさまっている。
「冬木くんはどんな恋愛映画が観たい?」
恋愛映画の棚のまえで立ち止まって、楓がきいた。
「ないか、そんなの」
放り出すようにいわれて、一瞬整は目をみひらいた。
楓がさきをあるいてビデオを物色する。
自分が観たい映画はなんだろうと考えた。
ふつうの恋愛の映画が観たいと思った。
特別な愛でもなく、性欲を満たすための虚構でもない、日常に溶け合った恋愛の話。
今日とおなじように明日がつづくと信じていられるような世界の話が観たいと思った。
楓がビデオを借りているあいだも、整はぼんやりと理想の恋愛のことを考えていた。
ゲイの雑誌は即物的な描写にあふれていた。自分がもとめているものはそんな非日常的なものではない、ふつうの男女のような恋愛だった。しかし、自分が求めるものはどこにもないような気がした。
たとえば父親と母親がそのまま受け入れてくれるような――
整は首をかすかに左右にふった。ありえないことを考えても仕方がないと思った。
「つきあわせてごめんね」
楓がビデオの袋をかかえてレジから戻ってきた。ふたりはならんでビデオショップを後にした。
アトリウムをあるいていると、電器屋のショーウインドウに熱帯魚の水槽が置かれているのが見えた。
熱帯魚はクリスマスソングに合わせてリズミカルにターンをした。
アトリウムをあるく家族連れやカップルが、水の壁をへだてた世界のように遠い。
こんなふうに自然に、だれを意識することもなく、好きな人と歩きたいと思った。
整はたまらない寂しさにおそわれていた。楓とふたりであるいていても、たとえようのない寂しさを感じる。
この感覚には覚えがある。整は小学校のころのことを思い出していた。
修学旅行で訪れた東京の海際の水族館で、南極海の魚を見た。
冷気をおびた青い水槽のなかで横たわっていたちいさな魚は、暗い通路をめぐる人々の流れをしずかに見ていた。
整は魚といっしょに暗い通路にひらめくバッグの金具の光や家族連れの話し声を感じていた。
冷たい水のむこうがわで、猥雑にうごめく生き物の気配を感じていた。
この魚は自分とよく似ている。場違いなところに連れてこられて、見世物にされて。だれとも交わる機会もないまま、しずかに一生を終えるのだ。
それは自分が男にしか惹かれないと気づきはじめたころの孤独な感情だった。胸のなかの冷え冷えとした孤独は、いまも真空になって自分の身の内にある。
かれもこのような感情をもっているのだろうか。
整は牧師のことを思い出していた。ぼくは君の仲間だとかれはいっていた。けれど、牧師のことはゲイだということ以外、なにも知らなかった。
――きけば何か教えてくれるだろうか。
整はぼんやりとアトリウムの天井を見上げて心のなかでつぶやいた。
First Edition 2009.6.10 Last Update 2009.6.15
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