眩暈。

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営業回りがいつもより早く終わった帰り道、小さな花屋を見つけた。 花なんて育てたこともないのに何故か惹かれ店内に入ってみると、緑のエプロンを着た小柄な男性が此方に振り返って「いらっしゃいませ。」と微笑んだ。 その笑顔があまりに可愛らしくて、胸が高鳴るのを感じた。 動揺して黙ったまま立ち尽くしていると、不思議そうな表情を浮かべながら首を傾げもう一度声を掛けてきた。 ハッと我に返り慌てて返事をすると、彼はくすりと笑って一輪の花を手に取った。 「プレゼントですか?」 「いや、そういうわけじゃないんですけど..」 「あれ、てっきり彼女さんへのプレゼントかと思いました。花、好きなんですか?」 「うーん、嫌いではないです。雰囲気に惹かれて入ってしまいました。」 ニコニコと嬉しそうにしている姿を見て、先程よりも激しく胸が高鳴るのを感じた。 どうやら俺は彼に恋をしてしまったみたいだった。 こういうのを一目惚れというのだろうか。 ぼんやりとそんなことを考えているうちに、彼は花を置いて小さな植木鉢を何個か持ってきていた。 「これも何かの縁ですし、せっかくなので何か育ててみます?」 「あ、はい!それ観葉植物ですよね?流行ってるってテレビで観ました。」 「初心者の方でも育てやすいので買っていかれる人が多いですね。個人的にはぺぺロミア・デピーナがオススメです。花の香りがとても良くて通称アロマペペとも呼ばれています。室内の明るい場所に置くと元気に育ちますよ。良かったら嗅いでみてください。」 「ほんとだ良い匂い。見た目も可愛らしいですね。お兄さんみたい。」 一瞬驚いた表情をしてからすぐに赤面する彼を見て、急に恥ずかしさが込み上げてくる。 今のは流石にキザすぎだろ、と心の中で反省した。 でも本当に彼みたいだと思ったのだ。 これなら俺でも育てられるかもしれない。 「あ、えっと!それ買います!」 「ふふ、720円になります。分からないことがあったらまたいつでも来てくださいね。」 「ありがとうございます。」 「これをキッカケに花を好きになってもらえたら嬉しいです。」 優しげに笑う表情から本当に花が好きなことが分かる。 大切に大切に育てられたこの花たちはとても幸せだろう。 だから俺も彼と同じように大切に育てたいと思った。 「あの、お兄さんの名前聞いても良いですか?」 「僕の、ですか?野上紫苑です。」 「俺は森圭吾っていいます。また来ますね。」 「はい、お待ちしております。」 それから俺は3日に1度くらいのペースで此処へ来るようになった。 何度も通っているうちに彼とも仲良くなり、花の名前も沢山覚えた。 そして今日でちょうど半年、告白することを決めた。 「森さんだ、こんにちは。」 「こんにちは。今日仕事終わった後って時間ありますか?」 「大丈夫ですよ。どうしたんですか?」 「大事な話があるので、まほろばカフェで待ってます。」 コクリと小さく頷いたのを確認し、ドクドクと無駄に高鳴る鼓動を押さえ付けて店を出た。 チャリンとカフェのドアが開く音に振り返ると、淡い色をしたコートを纏う彼がキョロキョロと辺りを見渡していた。 軽く手を上げると、すぐにそれに気付き此方へ向かってきた。 「お待たせしました。」 「お疲れ様です。来て頂いてありがとうございます。」 「いえいえ。此処のココア美味しいですよね。」 「確かに。たまに飲みたくなります。」 向かい合って座り、彼は素早くメニューを見てホットココアを注文した。 少し鼻が赤くなっているから、きっと外は寒いのだろう。 他愛のない会話をしているうちにココアが運ばれてきて、それを一口啜るのを見てから本題に触れた。 「あの、俺..野上さんのことが好きなんです。男同士なのにこんなの変だって分かってるんですけど、でも..」 「..じゃあ、その想いが嬉しい僕も変ですね。」 「え?」 「好きです。僕も森さんのこと。」 ほんのり頬を赤く染めふにゃりと笑う姿から受け入れてもらえたことを実感し、一気に顔が熱帯びていく。 こんな気持ちいつぶりだろう。 彼を好きになって本当に良かった。 「これから宜しくお願いします。」 「此方こそ。」 この時の俺は浮かれていて、これから起こる悲劇など想像もしていなかった。
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